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title: "吹萬禪師語錄 · 茶話"
description: "吹万禅师语录由明代高僧吹万广真所述，其弟子灯来重新编撰。本书成于明末佛教禅宗兴盛时期，收录了吹万禅师的机锋对答、开示法语、禅理阐释及诗歌偈颂，集中体现了临济宗的禅学思想与实践方法。作为明代禅宗重要文献，该语录不仅展现了吹万禅师直指人心、见性成佛的禅风，更是研究明末禅宗思想流变与修行体系的关键典籍，对后世禅学发展具有深远影响，在佛教典籍中占有重要地位。"
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### 茶話

> 茶話

元夕，茶話。「娑婆此夕號元夕，火樹銀花皆不實。」畫○相，云：「爭如者箇不曾遷？恒照春林三山竹。」僧問：「如何是諸佛大圓鏡？」師云：「打不成，鑄不就。」問：「昔生公說法，頑石點頭。如今說法人多，因甚頑石不點？」師云：「秪為過東往西，觀南眩北。」進云：「如何得點頭去？」師云：「陝西棗子，四川蘿蔔。」

> 元夕、茶話の席にて。 「娑婆世界の今宵は元夕と呼ばれ、火樹銀花も皆実ならず」と。 円相を描き、曰く、 「いずれもこの円相のごとく移ろわず、常に春の林と三山の竹を照らさん」 僧問う、 「いかにすれば諸仏の大円鏡となるか」 師曰く、 「打ちて成らず、鋳て就かず」 問う、 「かつて生公が説法すれば、頑石も肯う。今説法する者多し、なぜ頑石は肯わぬか」 師曰く、 「ただ東を過ぎて西に往き、南を観て北に眩むが故なり」 進みて云う、 「いかにして肯わしめんか」 師曰く、 「陝西の棗子、四川の蘿蔔」

茶話。「求生本自無生，謂滅何曾暫滅？眼見不如耳見，口說爭似鼻說？若也會得，梵語阿彌陀，此云無量壽；如或未然，歡娛嫌夜短，寂寞恨更長。」

> お茶の席での言葉。「生を求めるも、そもそも生は無し。滅すと言えど、いつか滅すことがあったか。目で見るより耳で見る方が勝り、口で語るより鼻で語る方が優る。もし悟るならば、梵語の阿弥陀は、ここで説く無量寿。もし悟らねば、歓楽は夜の短さを恨み、寂寥は更け行く長さを嘆く。」

茶話。「小盡二十九，大盡三十日，盡情都說破，恐汝信不及。」僧出，師云：「汝號甚麼？」答云：「覺圓。」師云：「汝號覺圓，必定圓覺。圓覺覺圓，鏡花水月。」以箸指香，云：「喚者箇作不圓，得麼？若是不圓，為甚麼爇一株時，室羅筏城四十里內一時得聞？」以箸指燭，云：「喚者箇作不覺，得麼？若是不覺，為甚麼暗中物事借渠方纔照見？是知世、出世法無一事不圓、無一時不覺，到者裏猶是半提。」僧問：「如何是全提？」師云：「夾路桃花風雨後，馬蹄何處避殘紅？」

> 茶話。「小の月は二十九日、大の月は三十日、ありのままに語り尽くしても、あなたが信じきれぬ恐れがある。」僧が出て来ると、師は言った。「あなたの名は何というのか。」答えて「覚円です」と言う。師は言った。「あなたの名は覚円ならば、必ず円覚であるはずだ。円覚が覚円となり、鏡に映る花、水に浮かぶ月のようだ。」箸で香を指し、「これを不円と呼べるか？もし不円なら、なぜ一本焚けば、室羅筏城四十里の内がたちまち香りを感じるのか？」箸で蝋燭を指し、「これを不覚と呼べるか？もし不覚なら、なぜ暗闇の物事はこれによって初めて照らし出されるのか？これにより、世俗の法も出世間の法も、円ならざる一事なく、覚ならざる一時もないことが分かる。ここまで来ても、まだ半分を提起したに過ぎない。」僧が尋ねた。「では、全提とはどのようなものですか。」師は言った。「道端の桃の花、風雨の後、馬の蹄はどこで散り残る紅を避けられようか。」

茶話。「有一員大善知識，三頭六臂，常在一切凡聖境界中轉大法輪。洞山遇著與他結冤，神鼎遇著與他恰好。聚雲與他批判一上。貪嗔癡，太無知，賴我今朝識得伊。行便打，坐便捶，分付心王仔細推。無量劫來不解脫，問你三人知不知？此是洞山結冤處。貪嗔癡，實無知，十二時中任縱伊。行即往，坐便隨，分付心王擬何為？無量劫來原解脫，何須更問知不知？此是神鼎恰好處。且道聚雲如何批判？一箇如牧牛人執鞭，一箇如騎牛人吹笛。執鞭底，到來函谷愁中月，歸去蟠溪夢裏山。吹笛底，顛狂柳絮隨風舞，輕薄桃花逐水流。只如放鞭擲笛又作麼生？衲被蒙頭萬事休，此時山僧都不會。」

> 茶話。「ある大善知識がいる。三つの頭に六つの腕を持ち、常にすべての凡夫と聖者の境において大法輪を転じている。洞山は彼に出会って怨みを結び、神鼎は彼に出会ってちょうどよかった。聚雲は彼を批判してみた。貪・瞋・癡、あまりに無知なり、頼みに我が今朝、汝らを識り得たり。歩けば打ち、坐すれば捶つ、心王に分付して仔細に推せよ。無量劫より来たりて解脱せず、汝ら三人、知るや不知るや？これ洞山の怨みを結ぶ処なり。貪・瞋・癡、実に無知なり、十二時中に任せて縦にす。行けば往き、坐すれば随う、心王に分付して何をか為さんと擬す？無量劫より来たりて元より解脱せり、何ぞ須らく更に知るや不知るやを問わん？これ神鼎のちょうどよき処なり。さて聚雲は如何に批判するか？一人は牧牛人の鞭を執るが如く、一人は牛に騎る人の笛を吹くが如し。鞭を執る者、到来すれば函谷愁中の月、帰去すれば蟠溪夢裏の山。笛を吹く者、顛狂の柳絮風に随いて舞い、軽薄の桃花水に逐いて流る。ただ鞭を放ち笛を擲つはまた如何に生ぜん？衲被頭を蒙りて万事休す、この時山僧すら皆会せず。」

茶話。「古人道：『識得一，萬事畢。』我則道：識得無明，萬事畢。蓋無明者，教家謂之覺明種子，所以緣行、緣識、緣愛、緣取、緣生、緣死而成十二因緣，鉤鎖三世眾生，如明鏡一向開張，千醜百怪無不影現。若能打破此鏡，佛上不立，何況因緣？大眾！還識得此鏡麼？」一僧云：「不會。」師云：「會取不會底。」進云：「如何得打破去？」師良久，云：「破也！破也！只得鐘子落地，盞子一天星。」

茶話。「有問有答尋常事，無聞無見謾商量，頭頭盡是西來意，何事從中較短長？是即是，只恐逆風撲面難掉頭，不但拂著別人，亦且昧卻自己。到者裏，直須脫下垢膩汗衫，向沒巴鼻處打箇筋斗，沒撈摸處扭轉舌頭，恰似一箇死人一般，等他漫漫活將起來，有時放道清淨光，即是清淨法身佛；有時放道無分別光，即是圓滿報身佛；有時放道無差別光，即是三類化身佛。及到三身坐斷，獨露本源，便是十地滿心、等妙二覺，來汝隊中討塊閑地劄腳也沒分。快事，快事！」

茶話。舉：「仰山問中邑：『如何是佛性義？』中邑云：『我與你說箇譬喻。如室有六窗，內安一獼猴，外有人喚曰：「猩猩！」獼猴即應。若六窗，俱喚俱應。』山云：『只如獼猴睡著時如何？』中邑即下禪床把住，云：『猩猩！我與你相見。』據者段公案，仰山如是問，中邑如是答，老僧今日做箇旁不肯底為渠說破。試問：獼猴正睡著時又作麼生？」良久，云：「銀碗覆在雪山上，四聖六凡一帕包。」

茶話。「古人道：『普周沙界渾成飯，鼻孔累垂信飽餐。』聚雲者裏則不然，普周沙界渾成法，鼻孔昂藏任抑揚。何以故？只為三世諸佛、諸大祖師俱在鐵牛鼻孔裏安身立命，卻不可作鼻孔會。」問：「鐵牛鼻孔即今在甚麼處？」師云：「燭花有瓊樓，香煙生玉殿。」進云：「不會。」師云：「你只管看。」

除夕茶話。師指壁間曆拈示眾云：「有箇無情物事卻能說法，不免頌出。頌曰：宗源一片白，妙在白中黑。七十二侯總包含，二十四氣經掌握。吉凶禍福早先知，進退存亡觀自得。雖然面壁沒人情，卻也不礙人朝閱。春去春來那得知？全憑無口為君說。老僧何故借渠言？大用都來同一著。」一僧出，於空中畫一圓相云：「是者箇麼？」師曰：「春牛頭上規車子，三百六十一周天。」

茶話。「昨日十三是過去，明日十五是未來，今日十四是現在。過去不可得，未來不可得，現在不可得。既不可得，只今大眾雲集僧堂，對燭光、對香煙，喫茶說話，周旋宛轉，是過去耶？未來耶？現在耶？」一僧出云：「請和尚道。」師云：「你看是甚麼東西？」僧云：「團不攏，撲不碎。」師云：「喚作甚麼？」僧舉燭云：「是者箇。」師云：「離卻者箇聻？」僧云：「一句不較多。」師云：「張三門外叫，李四門內聽。一箇舌頭長三尺，一箇腳掌長二寸，又作麼生？」僧云：「莫是平地起風波麼？」師喝一喝，僧云：「請和尚再喝。」師以茶鐘覆卻，歸方丈。

茶話。舉：「三聖到德山會下參踢天泰首座，座云：『行腳高士須得本道公驗。作麼生是本道公驗？』聖云：『道甚麼？』座再問，聖打一坐具，云：『者漆桶，從來觸忤多少賢良？』」師云：「老僧看者首座大似將蚯蚓作鉤餌，向大洋海中把釣，忽遇箇呵氣成雷、噀波成雨底出來，只得拋綸罷釣去也。若是老僧則不然，若云：『道甚麼？』只向他道：『者一張作闍黎遮身符，再把一張為你批判作本道抵案。』若打一坐具，當劈脊連打趁出，云：『不用你者無印信底白紙。』為甚麼卻如是？秖因臨濟會下多有參箇擊石火、閃電光，舉了便會了底消息，便爾到處拿捏諸方，恐嚇人家男女。若是打頭收下一箇，令後來底不敢造次。」

　　　　　　四世法孫普陀性統重梓

## 吹萬禪師語錄卷之四終