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title: "南山律在家備覽略編 · 第五項　重受通塞"
description: "南山律在家備覽略編由近代高僧弘一法師編撰。該書成於民國時期，是對唐代道宣律祖南山律的系統整理與精要闡釋，旨在為在家居士提供清晰可行的戒律指南。內容涵蓋皈戒、持戒、懺悔等核心議題，提煉南山律精髓，並結合時代需求予以簡明詮釋。此書被譽為漢傳佛教在家律學的權威入門典籍，對現代居士持戒修行具有重要指導意義，在佛教律學傳承中佔有承先啟後的關鍵地位。"
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### 第五項　重受通塞

> 第五項　重受通塞

▲資持云『重受中。意令行者審己所受、更求增勝故也。』

> 資持にはこう言われています。「重受においては、修行者が自ら受けた戒をよく見つめ、さらに優れた境地を求めようとする心を起こさせるためである。」

▲事鈔云『依薩婆多宗、戒不重發、亦不重受。依本常定。』

> 『薩婆多宗』の教えによれば、戒は一度授かったら再び授かることはなく、また再び受けることもありません。本来の戒律は常に定まっているからです。

資持釋云『言不重發者。彼云、木叉戒者無有重得、若微品心受得五戒、後以中上品心受十戒、先得五戒更無增勝、於後五戒乃得增耳。　不重受者。彼計一受即定。既不重發、更受不增、故不立也。』

> 『不重発と言うのは、木叉戒は重ねて得ることはない、ということです。もし微かな心で五戒を受け、その後、中品や上品の心で十戒を受けたとしても、先に得た五戒はそれ以上に増えることはなく、後の五戒についてのみ増えるのです。　不重受とは、一度受けたらそれで定まる、と考えるからです。すでに重ねて発しない以上、改めて受けても増えないので、別に立てないのです。』

△事鈔又云『成論云。有人言、波羅提木叉有重發否。答云。一日之中受七善律儀、隨得道處更得律儀。而本得不失、勝者受名。其七善者謂五戒八戒十戒具戒禪戒定戒道共戒也。』

> 『成実論』にはこうあります。 「ある人が言います。『波羅提木叉（戒律）は重ねて発するものかどうか』と。 答えていいます。『一日のうちに七つの善き律儀を受けることができる。そして、道を得るにしたがってさらに律儀を得る。しかし、もともと得ていたものは失われず、勝れたものが名を受けるのである』と。 その七つの善き律儀とは、五戒、八戒、十戒、具足戒、禅戒、定戒、道共戒のことである」

資持釋云『成宗開重受本得不失者從前體增為後體故。勝者受名從後彰名、前名沒故。　成論離禪定為二戒、色無色別故。多宗合為一、俱不動業故。　問、重發重受如何分別。答、重發據多戒、重受約一戒。　若爾、論明重發、那見重受。答、由體重發、即得重受、以彼重受一體發故。』已上皆見事鈔記卷十五

> 『資持釈』に次のように説かれています。 「成宗では、重受によって本来の戒体が失われずに得られるのは、前の戒体が増大して後の戒体となるからである。勝れた戒を受けるという名称は、後に顕れた戒体に基づいて名付けられ、前の名称は消えるためである。 成論では禅定戒を二つに分け、色界と無色界で区別する。多宗では一つにまとめる、どちらも動かない業であるからである。 問う、重発と重受はどのように区別するのか。答える、重発は多くの戒について言い、重受は一つの戒について言う。 それならば、論では重発を明かしているのに、どうして重受が見られるのか。答える、戒体が重ねて発せられることによって、すなわち重受が得られるのである。その重受は一つの戒体が発せられるからである。」 <note place="inline">以上はすべて『事鈔記』巻十五に見られる。</note>

▲芝苑云『夫戒者、截苦海之舟航、發萬善之端緒、三乘聖賢之所尊敬、歷代祖師之所傳通。但受之者心有明昧、學有精粗、而不能一揆。故有初受者焉、重增者焉。律明發心則有三品。一者唯期脫苦、專求自利、名為下品、此二乘心也。二者為物解疑、自他兼濟、名為中品、此小菩薩心也。三者忘己利生、福智雙運、了達本性、求佛菩提、名為上品、此大菩薩心也。審知初受但發中下、佛開重增、轉為上品。此所謂增戒也。』見芝苑遺編補遺

> 『戒とは、苦しみの海を渡る船であり、あらゆる善行の始まりである。三乗の聖賢たちがこれを尊び敬い、歴代の祖師たちがこれを伝え広めてきた。しかし、戒を受ける者の心には明暗があり、学びには精粗があるため、一律にはいかない。そのため、初めて受ける者もいれば、重ねて増す者もいるのである。 律には、発心には三つの品があると明かされている。 第一は、ただ苦しみから脱することを願い、ひたすら自らの利益を求めるもの。これを下品といい、これは二乗の心である。 第二は、他者のために疑いを解き、自他ともに救うことを目指すもの。これを中品といい、これは小菩薩の心である。 第三は、己を忘れて衆生を利し、福と智をともに働かせ、本性を悟り究めて、仏の菩提を求めるもの。これを上品といい、これは大菩薩の心である。 初めて戒を受けるときには中・下の心で発心したとしても、仏は重ねて増すことを開き、上品へと転じさせてくださる。これが、いわゆる「増戒」なのである。』

上來戒法中第一章通敘戒法竟

> 以上、戒法の章のうち、第一章「戒法の通叙」はこれにて終了します。