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title: "黃蓮東巖禪師語錄 · 文德翼序"
description: "黄莲东岩禅师语录是清代禅宗重要典籍，由弟子机琇记录整理，黎元宽与文德翼分别作序。全书收录黄莲语录、蕲州语录及行实，末附怀净土偈。内容涵盖禅法开示、公案评唱与净土修行，反映明清之际禅净双修的佛教思潮。作为临济宗禅法的重要文献，该书既体现禅门机锋峻烈之风，又融合净土信仰，对研究清代禅宗思想演变与修行实践具有较高价值，是了解江南禅学脉络的重要依据。"
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### 序

> 序

東崖禪師者，臨濟宗斷橋下十五世，金明介和尚之嗣子也。歲在乙未，受星源黃連之請，學人機器，輯語成錄，傳播叢林。適師移錫西江，偈憩百福，余不住與師相見旅舍，藹然如舊識也，因得讀其錄，而遂屬余序之。余幸非多智老翁，不勞師揜門語，近者三寸不律，與髮同髡，亦何取挾以讚歎其萬分一乎？雖然，余於師殆幾幾有三緣焉：金明塗毒，聞者必死，遠聞者徐死，卒隔千里外無從一聞；早歲則宦游其地，寶蓋繡幢尚可述而志也，一緣也。黃連一味塞斷天下喉嚨，啞者得嘗，何口可說？亦卒隔千里外無從一嚼；中年則客游其地，翠屏香澗尚可想而褱也，一緣也。臨濟諸老曾為張拙說偈、韓休安名，覿面相呈，不惜蜣螂糞彈，惟斷橋一派現等瓊臺，仰望停雲、俛窺流水，雖佛法無二，而偏指不參，并隔四五十年外，無從一決。垂老能更僕其世，而莫逆其人，醇乳醴泉，更可挹而注也，又一緣也。師以儒家少年，及心空第，方憶丹霞騎古佛之風，將推倒一世，而襟期整秀，落落穆穆，松火橘湯，怡然自適，楊岐雅志，復見於今矣。至若說法親切，殺人活人，與人奪人，語句具在，諸方明眼，一一能辯之。他如或代或別，或拈或頌，自然月印，絕不雷同，皆纚纚可發人深省。師蓋以黃連為濫觴耳，異日流通，如江如河，固不可得而力遏也已。人亦有言：文章盛而儒術衰，語錄多而佛法少。其勢不能不厲禁云然，要非通論也。使一喝三拳，足明大事，一切有句，都歸默然，則百世而下，尚不知臨濟為何物，而況斷橋哉？學人之不能已於斯刻也，殆為慧命計也。

> 東崖禅師は、臨済宗断橋下の十五世、金明介和尚の嗣法の子である。乙未の年に、星源の黄連の招きに応じ、学人の機縁に従い、語録を編纂して叢林に広めた。ちょうど師が錫を西江に移し、百福に憩う折、私は旅舎で師と出会い、親しみ深く旧知の如くであった。そこでその語録を読み、序文を依頼された。 幸い私は多智な老翁ではないので、師の門を揜う言葉を労する必要もない。近ごろは三寸の筆も髪と共に剃り落とし、何を以てその万分の一を賛嘆しようか。しかしながら、私と師にはほぼ三つの縁がある。金明の塗毒は、聞けば必ず死に、遠くで聞けば徐々に死ぬが、千里も隔てては到底聞くことができない。若い頃、私はその地に宦游し、宝蓋や繡幢の様子を今も語り記せる。これが一縁である。黄連の一味は天下の喉を塞ぎ、啞者が味わえば何を口にしようか。これも千里隔てては咀嚼できない。中年になってその地を客游し、翠屏や香澗の景色を今も思い描き懐かしむ。これが二縁である。臨済の諸老はかつて張拙に偈を説き、韓休に名を安じ、面と向かって惜しみなく蜣螂の糞玉を投げたが、ただ断橋一派のみが瓊臺のように現れ、雲を仰ぎ流水を窺う。仏法に二つはないが、偏に指さず参究せず、四五十年も隔てては決着がつかない。老いてなおその世を継ぎ、その人と莫逆の交わりを結び、醇乳や醴泉を酌み交わすことができる。これが三縁である。 師は儒家の少年として心空の境地に至り、丹霞が古仏を跨ぐ風を思い起こし、一世を推倒せんとしながらも、襟懐は整って秀で、落落穆穆として、松火や橘湯に怡然自適する。楊岐の雅志が今また見られるのである。説法の親切さ、人を殺し活かし、与え奪う言葉は、すべて語録にあり、諸方の明眼がひとつひとつ弁えよう。その他、代や別、拈や頌も、自然に月を映し、決して雷同せず、すべてが深い省察を促す。師は黄連を濫觴とするが、異日流通すれば江河の如く、もはや力ずくで抑えることはできない。 世に言うように、文章が盛んになれば儒術は衰え、語録が多くなれば仏法は少なくなる。その勢いから厳禁せざるを得ないと言われるが、要するに通論ではない。一喝三拳をもって大事を明らかにし、一切の言葉を黙然に帰すれば、百世を経ても尚、臨済が何者か知る由もなく、まして断橋であろうか。学人がこの刻を止められないのは、慧命のために計らうからである。

柴堯法弟文德翼拜譔

> 柴堯法弟文德翼が拝して撰す。