十二時の歌
丑の刻、鶏が鳴く。 起きてみれば、またもやだらだらと時間が過ぎる。 スカートも、普段着の上着も、これといってない。 袈裟の形だけは、ほんの少しある。 下穿きには腰紐もなく、袴には裾口もない。 頭には、青い灰が三五斗も積もっている。 修行して人々を救おうと北を望んだのに、 誰が知ろう、こんなに間の抜けた者になってしまうとは。
明け方の寅の刻、荒れた村の壊れた寺のありさまは、とても言葉にできません。 托鉢の粥の米粒は一粒もなく、ただ窓辺と隙間の塵を眺めるばかり。 雀の声だけが騒がしく、人の訪れはなく、独り座れば落ち葉の音が頻りに聞こえます。 出家すれば憎しみも愛しみも断ち切れるというけれど、思わず涙が袖を濡らすのです。
卯の刻、日が昇ると、清らかな心が煩悩に変わってしまう。 善行の功徳は塵に覆われ、広大な心の田地はまだ掃かれていない。 眉をひそめることが多く、心にかなうことは少ない。 東の村の黒黄老には困ったものだ。 供物を持ってこようともせず、驢馬を放って私の堂前の草を食べさせている。
食事の時分、煙の立つ家を探して周囲を見渡すが無駄なこと。 饅頭や団子とはもう長い間の別れ、今日思い出してもただつばを飲み込むばかり。 念仏も少し、ため息ばかり頻りに、百軒の家にも善人はいない。 来る者はただお茶を所望し、茶を飲めなければ怒って帰っていく。
午前の巳の刻、剃髪した身がこんな目に遭うとは誰が知ろうか。 わけもなく村の僧に招かれ、屈辱と飢えに苦しみ死にそうだ。 あの張三や、黒い李四は、少しも敬意を払ってくれない。 さっき突然門前に現れては、ただお茶と紙を貸せと言うばかり。
昼は南へ、食事の時間は決まっていない。南の家を出て北の家へ行き、北の家に着いても戸を叩かない。苦い塩、大麦の酢、キビの飯にレタスの漬物。ただ供養と称するのは容易ならず、和尚の道心は堅固でなければならない。
日は西に傾き、未の刻、このたびは光陰の地を踏まず。 かつて聞く、一たび満ち足りれば百の飢えを忘れると。 今日、老僧この身こそそれなり。 禅を習わず、義を論ぜず、破れた筵を敷き、日中に眠る。 思うに、上方の兜率天にも、かくも日が背中を温めることはあるまい。
夕方の申の刻、線香を焚き礼拝する人もいる。 老婆が五人、瘤持ちが三人、顔は一対で黒く皺だらけ。 胡麻茶は、本当に貴重なもの。 金剛様は苦労して力を張らなくてもよい。 どうか来年は蚕も麦も豊作でありますように、 羅睺羅様に一文を捧げます。
日が西に沈む酉の刻、荒涼たるものを除きて、さらに何を守るというのか。 雲水の高き流れは定めて委無く、歴寺の沙彌は鎮長に有り。 格言を出だすも、口に到らず、牟尼の子孫の後に続くを枉げる。 一条の杖は粗末な茨の枝、ただ山に登るのみならず、犬を打つにも用いる。
黄昏、戌の刻、独り座す一間の暗き空室に。 陽炎の燈火は永久に逢わず、眼前はただ金州漆のごとし。 鐘の音も聞こえず、空しく日を過ごす。 ただ聞こえるは鼠の騒がしい鳴き声のみ。 どうしてなお心の余裕あらんや、波羅蜜を思い念ずるなど。
人々が眠りにつく亥の刻、門前の明月は誰が愛でるだろうか。 内側ではただ、眠りにつく時を憂い、どの衣を着て、何を掛けようかと。 劉維那よ、趙五戒よ、口先で善を説くのはとても奇妙だ。 たとえ山僧の袋が空になろうとも、問われれば皆、何も分からないというだけ。
夜半の丑三つ時、心の境はいつか少しでも止まるだろうか。 天下の出家者を思うに、私のように住持として暮らせる者がどれほどいるだろう。 土の寝台、破れた莚、老いた榆の木枕、掛け布団は全くない。 尊像には安息香を焚かず、灰の中からはただ牛糞の香りがする。