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title: "金山龍游禪寺志略 · 序"
description: "《金山龍游禪寺志略》由清代僧人釋行海編撰。該書成書於清初，記錄了江蘇鎮江金山龍游禪寺的歷史沿革、寺院建制、高僧事蹟與宗教活動。內容涵蓋了寺院的創建源流、歷代興廢、田產經濟以及相關的詩文碑記，是研究該寺歷史與清代江南佛教的重要地方志文獻。此志略不僅為考察金山寺佛教文化提供了第一手史料，也對了解清代禪宗寺院的生活與社會功能具有重要價值，在佛教史志中佔有一席之地。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgn0y2je16hpjl04mcidrcq0"
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### 序

> 序文

憶昔余埀髫，當丁丑冬，從石頭先師大中丞余公，問易武林西谿之橫山。峕放舟過京口，望一峰孤聳大江，險怪崚嶒、盤欝蒼翠。訊之，知為金山也。誦樹影中流、鐘聲両𡶨之句，輙神往久之。辛卯歲，淂接天𨺚鐵舟禅師，一見心契。未幾，師即受潤城蕊亭陳公之請，繼席金山祖庭。余益深嚮慕，竊冀咨扣方丈，兼詣山中，一愽曠觀，而竟未能也。惚怳至丙辰夏望前一日，始買一葉舟造焉。師為烹中泠泉，歡然道故，設榻古曉坣東。縱談世出世之暇，出所輯金山誌畧見示。余焚香展對，適風雨淹留，為之三宿卒讀而拜手言曰：凡天下名山，各有紀載，師扵兹首標形勝，獨表祖位綱宗，旁搜諸名賢佳話、軼事，以暨歷代碑記、古文、辭賦、詩歌，無不悉收入山者。不待縷詢，其大端己列󸍠指掌。即聞風相思者，亦不妨臥游。如歷驚濤駭浪，身峙龍門三拄中。旨哉，是可藉金山以說法矣！師盖嗣法南澗箬老人，親自堂奧中來。其雷電之機用、氷雪之心胸，作為出風入雅之撰述，良有以哉！或云金山拳石耳，似未足誇異！余則不然，大抵域內山在水中者，不可勝數。其最著，近如采石之翠螺、洞庭之縹緲、岳陽之君山；稍遠則普陀之洛伽；再則神山之十洲三島、香水之須彌，約畧止矣。而蓬萊亦有時三見清淺。噫！達人旦暮古今，橫睇八表，抑又何大小之殊視耶？曩聞之先師稱前輩尊宿，每以南澗老人與報恩天童諸大老為法門傑出，尤歎其高韻不群。余恨未獲追隨，猶幸把手鐵師。余徃來江上將四十載，今方一至止，徘徊不能去。師乃住持山中，高座大徹堂三十餘年。烟雲圍繞供養，立說成書，与山靈爭光。余能無望洋而歎哉？是為序。

> 思い返せば、私がまだ幼い頃、丁丑の冬、かつて石頭先生に師事した大中丞の余公に従って、武林西谿の横山で易を学んだ時のことです。その時、舟で京口を過ぎると、大江にそびえる孤峰が見えました。険しく奇抜で、そびえ立ち、鬱蒼と青く茂っているその山を尋ねると、金山だと知りました。「樹影中流、鐘声両岸」の詩句を口ずさみ、しばし心を奪われたものでした。 辛卯の年、天𨺚の鉄舟禅師と出会い、一目で心が通じ合いました。ほどなくして、師は潤城の蕊亭陳公の招きに応じ、金山祖庭の法灯を継がれました。私はますます深く慕い、ひそかに師の元を訪ね、山中を巡り、広大な景色を心ゆくまで眺めたいと願いましたが、ついに叶わぬままでした。 はるかな時を経て、丙辰の夏、望の前日、ようやく一葉の舟で訪れることができました。師は中泠の泉を沸かし、喜びをもって昔語りをし、古曉坣の東に寝床を設けてくださいました。世間と出世の話に花を咲かせる合間に、師が編まれた『金山誌畧』を見せてくださいました。私は香を焚き、手に取って読み始めると、ちょうど風雨が続き、三日間滞在して読み終え、手を合わせて申し上げました。 「天下の名山はそれぞれ記録がありますが、師はここでまず地形の勝れた点を明らかにし、特に祖師の法統と綱要を示されました。さらに、歴代の名士の佳話や逸話、そして碑文、古文、辞賦、詩歌に至るまで、山に関わるものをすべて収められています。詳しく尋ねるまでもなく、その大要はすでに手のひらのように明らかです。風の便りに思いを寄せる者も、床に臥したまま遊覧することができます。まるで荒波を渡り、竜門の三つの柱の中に身を置くかのようです。なんと意味深長なことでしょう。これは金山を借りて説法をなさっているのです」 師は南澗の箬老人の法を嗣ぎ、自ら堂奥より来られた方です。その雷電のような機鋒、氷雪のような清らかな心が、風雅を極めたこの著述となって現れているのは、まことに道理があることです。ある人は、金山は拳ほどの石に過ぎず、誇るほどのものではないと言うかもしれません。しかし、私はそうは思いません。 およそ世の中には、水の中にある山が数え切れないほどあります。その中で最も有名なものは、近くでは采石の翠螺、洞庭の縹緲、岳陽の君山。少し遠くには普陀の洛伽。さらに遠くには神山の十洲三島、香水の須弥山などが挙げられるでしょう。蓬莱でさえ、時には三度もその姿を清らかな浅瀬に現すと聞きます。ああ、達人は古今を一瞬と見なし、八方を見渡せば、いったい何の大小の区別がありましょうか。 かつて先師が、先輩の尊宿について語られる時、常に南澗老人と報恩・天童の諸大老を法門の傑出した方々と称え、特にその高邁で並ぶものなき風韻を賞賛されました。私はその方々に追従できなかったことを残念に思いますが、それでも鉄舟禅師と手を携えることができたのは幸いです。 私は江上を往来すること四十年近く、今ようやくここに至り、名残惜しくて去りがたい思いです。師はこの山に住持として、高座大徹堂に三十余年もおられ、煙雲に囲まれて供養を受け、説法を立て、書を成して、山の霊気と輝きを競っておられます。私はどうして大海を望んで嘆かないでいられましょうか。これを序とします。

南邨法弟子大綱張㧾拜手題于龍游之古曉堂