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title: "雲棲法彙（選錄） · 金光明經空品"
description: "雲棲法彙是明代高僧袾宏的著作彙編，由後人輯錄補印而成。袾宏世稱蓮池大師，身處明末佛教復興時期，他融通禪教律而歸宗淨土，力主念佛往生。該書內容廣博，涵蓋經論註疏、禪修指導、戒律闡釋、淨土法門及書信雜文等，系統闡述了其圓融的佛學思想與修行實踐。作為中國佛教史上具有深遠影響的文獻，雲棲法彙集中體現了明代淨土宗的理論精髓與實修體系，對後世漢傳佛教特別是淨土信仰的發展起到了重要的推動與規範作用。"
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### ○金光明經空品

無量餘經， 已廣說空， 是故此中， 略而解說。眾生根鈍， 尟於智慧， 不能廣知， 無量空義。故此尊經， 略而說之， 異妙方便， 種種因緣。為鈍根故， 起大悲心， 我今演說， 此妙經典。如我所解， 知眾生意， 是身虛偽， 猶如空聚。六入村落， 結賊所止， 一切自在， 各不相知。眼根受色， 耳分別聲， 鼻臭諸香， 舌嗜於味。所有身根， 貪受諸觸， 意根分別， 一切諸法。六情諸根， 各各自緣， 諸塵境界， 不行他緣。心如幻化， 馳騁六情， 而常妄想， 分別諸法。猶如世人， 馳走空聚， 六賊所害， 愚不知避。心常依止， 六根境界， 各各自知， 所伺之處。隨行色、聲、 香、味、觸、法， 心處六情， 如鳥投網。其心在在， 常處諸根， 隨逐諸塵， 無有暫捨。身空虛偽， 不可長養， 無有諍訟， 亦無正主。從諸因緣， 和合而有， 無有堅實， 妄想故起。業力機關， 假偽空聚， 地水火風， 合集成立。隨時增減， 共相殘害， 猶如四蛇， 同處一篋。四大蚖蛇， 其性各異， 二上二下， 諸方亦二。如是蛇大， 悉滅無餘。 地水二蛇， 其性沉下，風火二蛇， 性輕上升。 心識二性， 躁動不停。隨業受報， 人天諸趣， 隨所作業， 而墮諸有。水火風種， 散滅壞時， 大小不淨， 盈流於外。體生諸蟲， 無可愛樂， 捐棄塚間， 如朽敗木。善女當觀， 諸法如是， 何處有人， 及以眾生？本性空寂， 無明故有， 如是諸大， 一一不實。本自不有， 性無和合， 以是因緣， 我說諸大。從本不實， 和合而有， 無明體相， 本自不有。妄想因緣， 和合而有， 無所有故， 假名無明。是故我說， 名曰無明、 行、識、名色、 六入、觸、受、愛、取、有、生、 老死愁惱， 眾苦行業， 不可思議。生死無際， 輪轉不息， 本無有生， 亦無和合。不善思惟， 心行所造， 我斷一切， 諸見纏等。以智慧刀， 裂煩惱網， 五陰舍宅， 觀悉空寂。證無上道， 微妙功德， 開甘露門， 示甘露器。入甘露城， 處甘露室， 令諸眾生， 食甘露味。吹大法螺， 擊大法鼓， 然大法炬， 雨勝法雨。我今摧伏， 一切怨結， 豎立第一， 微妙法幢。度諸眾生， 於生死海， 永斷三惡， 無量苦惱。煩惱熾然， 燒諸眾生， 無有救護， 無所依止。我以甘露， 清涼美味， 充足是輩， 令離焦熱。於無量劫， 遵修諸行， 供養恭敬， 諸佛世尊。堅固修習， 菩提之道， 求於如來， 真實法身。捨諸所重， 肢節手足， 頭目髓腦， 所愛妻子，錢財珍寶， 真珠瓔珞， 金銀琉璃， 種種異物。

> 数えきれないほどの他の経典で、すでに「空（くう）」の教えは広く説かれています。 それゆえ、この経典では、その要点を簡潔に解説します。 衆生（しゅじょう）の根機（こんき）は鈍（にぶ）く、智慧（ちえ）が乏しいため、 無量（むりょう）の空の意味を広く理解することができません。 ですから、この尊い経典では、それを簡潔に説くのです。 様々な巧みな方便（ほうべん）と、種々の因縁（いんねん）によって。 鈍根（どんこん）の者のために、大悲（だいひ）の心を起こし、 私は今、この素晴らしい経典を説き明かします。 私が理解するところによれば、衆生の心の意図は、 この身体が虚偽（きょぎ）であり、まるで空っぽの集まりのようなものだと知ることです。 六入（ろくにゅう）という村には、煩悩（ぼんのう）という賊が住み着いており、 それらは全て自由に振る舞い、互いに知り合うこともありません。 眼根（げんこん）は色を受け、耳（じく）は音を分別し、 鼻（び）は諸々の香りをかぎ、舌（ぜつ）は味を好みます。 全ての身根（しんこん）は、様々な感触を貪り求め、 意根（いこん）は、一切の諸法（しょほう）を分別します。 六情（ろくじょう）の諸根は、それぞれが自らの対象（縁）に執着し、 様々な塵（じん）の境界に向かい、他の縁には向かいません。 心は幻（まぼろし）のようでありながら、六情を駆け巡り、 常に妄想（もうそう）し、諸法を分別しています。 まるで世の中の人が、空っぽの集まりの中を走り回るように、 六つの賊（煩悩）に害されているのに、愚かで逃げることを知りません。 心は常に、六根（ろっこん）の境界に依存し、 それぞれが、自らの伺うべき場所を自覚しています。 色・声・香・味・触・法（ろくじん）に従って進み、 心は六情に留まります。まるで鳥が網に飛び込むように。 その心は、あちこちで常に諸根に在り、 様々な塵を追いかけ、一時も休むことがありません。 身体は虚ろで偽りであり、長く養うことはできません。 争いもなく、また確かな主人もいません。 様々な因縁から、和合して生じたものに過ぎず、 堅実な実体はなく、妄想によって生じるのです。 業（ごう）の力という機関（からくり）によって作られた、偽りの空っぽの集まり。 地・水・火・風の四大（しだい）が集まって成立しています。 時と共に増減し、互いに傷つけ合います。 まるで四匹の蛇が、同じ篋（はこ）に同居しているかのようです。 四大という毒蛇（どくじゃ）は、その性質がそれぞれ異なり、 二つは下へ、二つは上へ、各々の方位も二つに分かれています。 これらの蛇のような四大は、完全に消え去って無くなります。 地と水の二つの蛇は、その性質が沈み下がる性質であり、 風と火の二つの蛇は、その性質が軽く上へ昇る性質です。 心と識（しき）の二つの性質は、ざわつき動いて止むことがありません。 業に従って報いを受け、人間や天界などの様々な趣（しゅ）に生まれ変わり、 為した業に従って、様々な生存の世界（有）に堕ちます。 水・火・風の種（元素）が散り壊れる時、 大小の不浄なものが、外へと溢れ出ます。 身体には様々な虫が生じ、愛すべきものは何もなく、 墓場に捨てられれば、朽ちた木のようです。 善き女性よ、よく観察しなさい。諸法はこのようなものです。 どこに「人」や「衆生」という実体があるというのでしょうか？ その本性は本来空（くう）にして寂（じゃく）かですが、無明（むみょう）によって存在するかのように見えます。 このように、四大は一つ一つが真実ではありません。 本来、存在したわけではなく、その性質に和合はありません。 この因縁によって、私は諸大（しょだい）を説くのです。 本来、真実ではなく、和合によって存在するように見えるだけ。 無明の本体（実体）は、元々存在しません。 妄想という因縁によって、和合して存在するように見えるだけ。 実体が無いから、仮に「無明」と名付けるのです。 それゆえ私は、次のように説きます。すなわち、 無明、行（ぎょう）、識（しき）、名色（みょうしき）、六入（ろくにゅう）、触（そく）、受（じゅ）、 愛（あい）、取（しゅ）、有（う）、生（しょう）、老死（ろうし）の愁い苦しみ、 そして様々な苦しみの業（ごう）の働きは、思議（しぎ）できないものだと。 生死（しょうじ）には際限がなく、輪廻（りんね）は止むことがありません。 本来、生じたことすらなく、和合もありません。 善くない思考（不善思惟）と、心の働きによって作られたものです。 私は、あらゆる邪見（じゃけん）の纏わりつきを断ち切ります。 智慧の刀を用いて、煩悩の網を裂き、 五陰（ごおん）という家屋を、全て空寂（くうじゃく）であると観察します。 無上の道という、微妙な功徳を証得（しょうとく）し、 甘露（かんろ）の門を開き、甘露の器を示します。 甘露の城に入り、甘露の部屋に住み、 全ての衆生に、甘露の味を味わわせます。 大きな法の螺貝（らがい）を吹き鳴らし、大きな法の太鼓を打ち鳴らし、 大きな法の炬火（きょか）を燃やし、勝れた法の雨を降らせます。 私は今、全ての怨みの結び目を打ち倒し、 第一（第一）の、微妙な法の幢（はた）を打ち立てます。 全ての衆生を、生死の海から渡し、 三悪道（さんあくどう）の計り知れない苦しみを永遠に断ち切ります。 煩悩が燃え盛り、衆生を焼き尽くしています。 彼らには救いもなく、頼るべき場所もありません。 私は甘露の、清涼で美味なる味わいをもって、 彼らを満たし、焦熱（しょうねつ）の苦しみから遠ざけます。 無量の劫（こう）の間、様々な行を修行し、 諸佛世尊（しょぶつせそん）を供養し、敬いました。 堅固に、菩提（ぼだい）の道を修行し、 如来の真実の法身（ほっしん）を求めました。 捨てるのが難しいあらゆるもの、すなわち、手足や、頭・目・髄・脳、 愛する妻子までもを施し与え、 金銭や財宝、真珠の瓔珞（ようらく）、 金・銀・瑠璃（るり）など、様々な珍しい品々をも施しました。