---
title: "分別論 · 三　問分"
description: "分別論是南傳佛教上座部巴利三藏中的一部重要論書，歸屬於論藏的阿毗達摩部分。該論並非由個人作者郭哲彰所著，郭哲彰應為該文獻的現代研究者或譯者。其歷史淵源可追溯至佛陀時代後，由早期佛教長老論師結集編纂而成，系統整理了佛教教義。全論共分十五卷，核心內容在於對心、心所、色、涅槃等究竟法進行細緻的分類與辨析，闡明其特相、作用、現起和近因。該論在佛教中佔有崇高地位，被視為阿毗達摩哲學的綱要性著作，是深入理解名色分別與智慧解脫的關鍵典籍，對南傳佛教的禪修與理論研究影響深遠。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgn11ktu1twzjl04oww4rtao"
---

### 三　問分

> 三 問分

四聖諦者是苦聖諦、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦滅道聖諦。四聖諦者是幾何善？幾何不善？幾何無記？……乃至……幾何有諍？幾何無諍耶？

集諦是不善，道諦是善，滅諦是無記，苦諦是善、不善、無記。二諦是樂受相應、不苦不樂受相應，滅諦是不可言樂受相應或苦受相應或不苦不樂受相應；苦諦是樂受相應、苦受相應、不苦不樂受相應，不可言樂受相應或苦受相應或不苦不樂受相應。二諦是異熟法法，滅諦是非異熟非異熟法法，苦諦是異熟、異熟法法、非異熟非異熟法法。集諦是不已取順取，二諦是不已取不順取，苦諦是已取順取、不己取順取。集諦是有雜染雜染，二諦是不有雜染不雜染，苦諦是有雜染雜染、不有雜染雜染。集諦是有尋有伺，滅諦是無尋無伺，道諦是有尋有伺、無尋唯伺、無尋無伺；苦諦是有尋有伺、無尋唯伺、無尋無伺，不可言有尋有伺或無尋唯伺或無尋無伺。二諦是喜俱行、樂俱行、捨俱行，滅諦是不可言喜俱行或樂俱行或捨俱行；苦諦是喜俱行、樂俱行、捨俱行，不可言喜俱行或樂俱行或捨俱行。二諦是非見非修所斷，集諦是見所斷、修所斷，苦諦是見所斷、修所斷、非見所斷非修所斷。二諦是非見非修所斷因，集諦是見所斷因、修所斷因，苦諦是見所斷因、修所斷因、非見非修所斷因。集諦是能趣積集，道諦是能趣分散，滅諦是非能趣積集非能趣分散，苦諦是能趣積集、非能趣積集非能趣分散。道諦是有學，三諦是非有學非無學。集諦是小，二諦是無量，苦諦是小、大。滅諦是無所緣，道諦是無量所緣；集諦是小所緣、大所緣、非無量所緣，不可言小所緣或大所緣；苦諦是小所緣、大所緣、無量所緣，不可言小所緣或大所緣或無量所緣。集諦是劣，二諦是勝，苦諦是劣、中。滅諦是不決定，道諦是正性決定，二諦是邪性決定、不決定。滅諦是無所緣，集諦是不可言道所緣或道因或道增上；道諦是非道所緣、道因、道增上，不可言道因或道增上；苦諦是道所緣、非道因、道增上，不可言道所緣或道增上。二諦是已生、不已生，不可言可生；滅諦是不可言已生或不已生、可生，苦諦是已生、不已生、可生。三諦是過去、未來、現在，滅諦是不可言過去或未來或現在。滅諦是無所緣，道諦是不可言過去所緣或未來所緣或現在所緣；二諦是過去所緣、未來所緣、現在所緣，不可言過去所緣或未來所緣或現在所緣。滅諦是外，三諦是內、外、內外。滅諦是無所緣，道諦是外所緣，集諦是內所緣、外所緣、內外所緣；苦諦是內所緣、外所緣、內外所緣，不可言內所緣或外所緣或內外所緣。三諦是無見無對，苦諦是有見有對、無見有對、無見無對。

> 集諦は不善、道諦は善、滅諦は無記、苦諦は善・不善・無記です。 苦諦と道諦は楽受・不苦不楽受と対応しますが、滅諦は楽受・苦受・不苦不楽受のいずれとも言えません。 苦諦は楽受・苦受・不苦不楽受のすべてと対応しますが、これらに限定して言うことはできません。 苦諦と道諦は異熟法と非異熟非異熟法の両方を含み、滅諦は非異熟非異熟法のみ、苦諦は異熟・異熟法・非異熟非異熟法のすべてです。 集諦は「已に取らずして順取する」もの、苦諦と道諦は「已に取らずして順取せず」、苦諦は「已に取りて順取する」「已に取らずして順取する」の両方です。 集諦は雑染を有し、苦諦と道諦は雑染を有さず、苦諦は雑染を有する場合と有さない場合の両方です。 集諦は尋・伺を有し、滅諦は尋・伺を有さず、道諦は尋・伺を有する・無尋唯伺・無尋無伺のすべて、苦諦も同様ですが、これらに限定して言うことはできません。 苦諦と道諦は喜・楽・捨と俱に行じ、滅諦はこれらに限定して言えません。苦諦も同様です。 苦諦と道諦は見断・修断のいずれでもなく、集諦は見断・修断、苦諦はそのすべてと非見断非修断を含みます。 苦諦と道諦は見断・修断の因ではなく、集諦は見断の因・修断の因、苦諦はそのすべてと非見非修断の因です。 集諦は積集に向かい、道諦は分散に向かい、滅諦はそのどちらでもなく、苦諦は積集に向かう場合とそうでない場合の両方です。 道諦は有学、他の三諦は非有学非無学です。 集諦は小さく、苦諦と道諦は無量、苦諦は小と大を含みます。 滅諦は所縁を有さず、道諦は無量所縁、集諦は小所縁・大所縁・非無量所縁（小か大とは限定できず）、苦諦は小所縁・大所縁・無量所縁（小・大・無量とは限定できず）。 集諦は劣、苦諦と道諦は勝、苦諦は劣と中を含みます。 滅諦は不決定、道諦は正性決定、苦諦と集諦は邪性決定・不決定です。 滅諦は所縁を有さず、集諦は道所縁・道因・道増上のいずれとも言えません。道諦は非道所縁・道因・道増上ですが、道因・道増上とは限定できません。苦諦は道所縁・非道因・道増上ですが、道所縁・道増上とは限定できません。 苦諦と道諦は已生・不已生であり、可生とは言えません。滅諦は已生・不已生・可生のいずれとも言えません。苦諦は已生・不已生・可生のすべてです。 苦諦・集諦・道諦は過去・未来・現在、滅諦は過去・未来・現在のいずれとも言えません。 滅諦は所縁を有さず、道諦は過去・未来・現在の所縁とは限定できません。苦諦と集諦は過去所縁・未来所縁・現在所縁ですが、これらに限定はできません。 滅諦は外、他三諦は内・外・内外です。 滅諦は所縁を有さず、道諦は外所縁、集諦は内所縁・外所縁・内外所縁、苦諦も同様ですが、内・外・内外に限定はできません。 苦諦・集諦・道諦は無見無対、苦諦は有見有対・無見有対・無見無対です。

集諦是因，滅諦是非因，二諦是因、非因。二諦是有因，滅諦是無因，苦諦是有因、無因。二諦是因相應，滅諦是因不相應，苦諦是因相應、因不相應。集諦是以因為有因，滅諦是不可言以因為有因或以有因為非因，道諦是以因為有因、以有因為非因；苦諦是以因為有因、以有因為非因，不可言以因為有因或以有因為非因。集諦是以因為因相應，滅諦是不可言以因為因相應或以因相應為非因，道諦是以因為因相應、以因相應為非因；苦諦是以因為因相應、以因相應為非因，不可言以因為因相應或以因相應為非因。滅諦是非因、無因，集諦是不可言非因有因或非因無因。道諦是非因有因，不可言非因有因或非因無因。苦諦是非因有因、非因無因，不可言非因有因或非因無因。

> 集諦は原因であり、滅諦は原因ではありません。この二つの真実は、原因である場合と原因でない場合があります。 二つの真実には原因がありますが、滅諦には原因がありません。苦諦には原因がある場合とない場合があります。 二つの真実は原因と対応していますが、滅諦は原因とは対応していません。苦諦は原因と対応する場合と対応しない場合があります。 集諦は原因を因として持ちます。滅諦は「原因を因として持つ」とも「因として原因がない」とも言えません。 道諦は「原因を因として持つ」と「因として原因がない」の両方があります。 苦諦は「原因を因として持つ」と「因として原因がない」の両方がありますが、どちらか一方に定めることはできません。 集諦は原因を因として対応します。滅諦は「原因を因として対応する」とも「因の対応を原因としない」とも言えません。 道諦は「原因を因として対応する」と「因の対応を原因としない」の両方があります。 苦諦は「原因を因として対応する」と「因の対応を原因としない」の両方がありますが、どちらか一方に定めることはできません。 滅諦は原因ではなく、因もありません。集諦は「原因でないものが因を持つ」とも「原因でないものが因を持たない」とも言えません。 道諦は「原因でないものが因を持つ」ことであり、「原因でないものが因を持つ」とも「因を持たない」とも言えません。 苦諦は「原因でないものが因を持つ」と「因を持たない」の両方がありますが、どちらか一方に定めることはできません。

三諦是有緣，滅諦是無緣。三諦是有為，滅諦是無為。三諦是無見，苦諦是有見、無見。三諦是無對，苦諦是有對、無對。三諦是色，苦諦是色、無色。二諦是世間，二諦是出世間。〔二諦〕是少分可識，〔二諦〕是少分不可識。

> 三つの真理には縁（原因や条件）があるが、滅の真理には縁がない。 三つの真理には作為（作り出されたもの）があるが、滅の真理には作為がない。 三つの真理には「見（固定的な見解）」がなく、苦の真理には「見がある」「見がない」の両方がある。 三つの真理には対立するものがないが、苦の真理には「対立するものがある」「対立するものがない」の両方がある。 三つの真理は形あるもの（色）であり、苦の真理は「形あるもの」「形なきもの」の両方である。 二つの真理は世間（この世界）に関わり、二つの真理は世間を超えている。 〔二つの真理〕は一部は認識でき、〔別の二つの真理〕は一部は認識できない。

集諦是漏，二諦是非漏，苦諦是漏、非漏。二諦是有漏，二諦是無漏。集諦是漏相應，二諦是漏不相應，苦諦是漏相應、漏不相應。集諦是以漏為有漏，二諦是不可言以漏為有漏或以有漏為非漏，苦諦是以漏為有漏、以有漏為非漏。集諦是以漏為漏相應，二諦是不可言以漏為漏相應或以漏相應為非漏；苦諦是以漏為漏相應、以漏相應為非漏，不可言以漏為漏相應或以漏相應為非漏。二諦是漏不相應無漏，集諦是不可言漏不相應有漏或漏不相應無漏；苦諦是漏不相應有漏，不可言漏不相應有漏或漏不相應無漏。

> 集諦は煩悩である。 道諦と滅諦は煩悩ではない。 苦諦は煩悩であり、かつ煩悩ではない。 道諦と滅諦は煩悩を伴うものであり、 集諦と苦諦は煩悩を伴わないものである。 集諦は煩悩と対応している。 道諦と滅諦は煩悩と対応していない。 苦諦は煩悩と対応している場合と、対応していない場合がある。 集諦は、煩悩があるから「煩悩のある状態」である。 道諦と滅諦は、煩悩があるから「煩悩のある状態」であるとか、 煩悩があるから「煩悩のない状態」であるとは言えない。 苦諦は、煩悩があるから「煩悩のある状態」であり、 煩悩があるから「煩悩のない状態」でもある。 集諦は、煩悩があるから「煩悩と対応する」ものである。 道諦と滅諦は、煩悩があるから「煩悩と対応する」とか、 煩悩と対応するから「煩悩でない」とは言えない。 苦諦は、煩悩があるから「煩悩と対応する」ものであり、 煩悩と対応するから「煩悩でない」ものでもある。 しかし、煩悩があるから「煩悩と対応する」とか、 煩悩と対応するから「煩悩でない」とは言えないのである。 道諦と滅諦は、煩悩と対応せず、煩悩のない状態である。 集諦は、煩悩と対応しないが煩悩のある状態であるとか、 煩悩と対応せず煩悩のない状態であるとは言えない。 苦諦は、煩悩と対応しないが煩

集諦是結，二諦是非結，苦諦是結、非結。二諦是順結，二諦是不順結。集諦是結相應，二諦是結不相應，苦諦是結相應、結不相應。集諦是以結為順結，二諦是不可言以結為順結或以順結為非結，苦諦是以結為順結、以順為非結。集諦是以結為結相應，二諦是不可言以結為結相應或以結相應為非結；苦諦是以結為結相應、以結相應為非結，不可言以結為結相應或以結相應為非結。二諦是結不相應不順結，集諦是不可言結不相應順結或結不相應不順結；苦諦是結不相應順結，不可言結不相應順結或結不相應不順結。

> 集諦は「結びつき」であり、苦諦と道諦は「結びつきではなく、結びつきを離れたもの」でもありません。 苦諦は「結びつき」であり、同時に「結びつきを離れたもの」でもあります。 苦諦と集諦は「結びつきに従うもの」であり、滅諦と道諦は「結びつきに従わないもの」です。 集諦は「結びつきと対応するもの」であり、滅諦と道諦は「結びつきと対応しません」。 苦諦は「結びつきと対応する面」と「結びつきと対応しない面」の両方を持ちます。 集諦は「結びつきによって結びつきに従うもの」です。 滅諦と道諦は、「結びつきによって結びつきに従う」とも「結びつきに従うことによって結びつきを離れる」とも言えません。 苦諦は「結びつきによって結びつきに従う面」と「結びつきに従うことによって結びつきを離れる面」の両方を持ちます。 集諦は「結びつきによって結びつきと対応するもの」です。 滅諦と道諦は、「結びつきによって結びつきと対応する」とも「結びつきと対応することによって結びつきを離れる」とも言えません。 苦諦は「結びつきによって結びつきと対応する面」と「結びつきと対応することによって結びつきを離れる面」の両方を持ちます。 しかし、苦諦については「結びつきによって結びつきと対応する」とも「結びつきと対応することによって結びつきを離れる」とも、明確に言い切ることはできません。 滅諦と道諦は「結

集諦是繫，二諦是非繫，苦諦是繫、非繫。二諦是順繫、二諦是不順繫。二諦是繫不相應，二諦是繫相應、繫不相應。集諦是以繫為順繫，二諦是不可言以繫為順繫或以順繫為非繫，苦諦是以繫為順繫、以順繫為非繫。集諦是以繫為繫相應，不可言以繫為繫相應；二諦是不可言以繫為繫相應或以繫相應為非繫；苦諦是以繫為繫相應、以繫相應為非繫，不可言以繫為繫相應或以繫相應為非繫。二諦是繫不相應不順繫；二諦是繫不相應順繫，不可言繫不相應順繫或繫不相應不順繫。

集諦是暴流……乃至……軛……乃至……蓋，二諦是非蓋，苦諦是蓋、非蓋。二諦是順蓋，二諦是不順蓋。集諦是蓋相應，二諦是蓋不相應，苦諦是蓋相應、蓋不相應。集諦是以蓋為順蓋，二諦是不可言以蓋為順蓋或以順蓋為非蓋，苦諦是以蓋為順蓋、以順蓋為非蓋。集諦是以蓋為蓋相應，二諦是不可言以蓋為蓋相應或以蓋相應為非蓋；苦諦是以蓋為蓋相應、以蓋相應為非蓋，不可言以蓋為蓋相應或以蓋相應為非蓋。二諦是蓋不相應不順蓋，集諦是不可言蓋不相應順蓋或蓋不相應不順蓋，苦諦是蓋不相應順蓋，不可言蓋不相應順蓋或蓋不相應不順蓋。

三諦是非異取，苦諦是異取、非異取。二諦是已異取，二諦是不已異取。二諦是異取不相應，集諦是異取相應、異取不相應；苦諦是異取相應、異取不相應，不可言異取相應或異取不相應。集諦是不可言以異取為已異取，以已異取為非異取；二諦是不可言以異取為已異取或以已異取為非異取；苦諦是以異取為已異取；以已異取為非異取。二諦是異取不相應不已異取，二諦是異取不相應已異取，不可言異取不相應已異取或異取不相應不已異取。

二諦是有所緣，滅諦是無所緣，苦諦是有所緣、無所緣。三諦是非心，苦諦是心、非心。二諦是心所，滅諦是非心所，苦諦是心所、非心所。二諦是心相應，滅諦是心不相應；苦諦是心相應、心不相應，不可言與心相應或與心不相應。二諦是心俱住，滅諦是心不俱住；苦諦是心俱住、心不俱住，不可言與心俱住或與心不俱住。二諦是心等起，滅諦是非心等起，苦諦是心等起、非心等起。二諦是心俱有，滅諦是非心俱有，苦諦是心俱有、非心俱有。二諦是心隨轉，滅諦是非心隨轉，苦諦是心隨轉、非心隨轉。二諦是心俱住等起，滅諦是非心俱住等起，苦諦是心俱住等起、非心俱住等起。二諦是心俱住等起俱有，滅諦是非心俱住等起俱有，苦諦是心俱住等起俱有、非心俱住等起俱有。二諦是心俱住等起隨轉，滅諦是非心俱住等起隨轉，苦諦是心俱住等起隨轉、非心俱住等起隨轉。三諦是外，苦諦是內、外。三諦是非能取，苦諦是能取、非能取。三諦是不已取，苦諦者即已取、不已取。

集諦是取，二諦是非取，苦諦是取、非取。二諦是順取，二諦是不順取。二諦是取不相應，二諦是取相應、取不相應。集諦是以取為順取，二諦是不可言以取為順取或以順取為非取，苦諦是以取為順取、以順取為非取。集諦是以取為取相應，不可言以取為取相應；二諦是不可言以取為取相應或以取相應為非取；苦諦是以取為取相應、以取相應為非取，不可言以取為取相應或以取相應為非取。二諦是取不相應不順取，二諦是取不相應順取，不可言取不相應順取或取不相應不順取。

集諦是染，二諦是非染，苦諦是染、非染。二諦是雜染，二諦是不雜染。集諦是有雜染，二諦是不有雜染，苦諦是有雜染、不有雜染。集諦是染相應，二諦是染不相應，苦諦是染相應、染不相應。集諦是以染為雜染，二諦是不可言以染為雜染或以雜染為非染，苦諦是以染為雜染、以雜染為非染。集諦是以染為有雜染，二諦是不可言以染為有雜染或以有雜染為非染；苦諦是以染為有雜染、以有雜染為非染，不可言以染為有雜染或以有雜染為非染。集諦是以染為染相應，二諦是不可言以染為染相應或以染相應為非染；苦諦是以染為染相應、以染相應為非染，不可言以染為染相應或以染相應為非染。二諦是染不相應不雜染，集諦是不可言染不相應雜染或染不相應不雜染；苦諦是染不相應雜染，不可言染不相應雜染或染不相應不雜染。

二諦是非見所斷，二諦是見所斷、非見所斷。二諦是非修所斷，二諦是修所斷、非修所斷。二諦是非見所斷因，二諦是見所斷因、非見所斷因。二諦是非修所斷因，二諦是修所斷因、非修所斷因。集諦是有尋，滅諦是無尋，二諦是有尋、無尋。集諦是有伺，滅諦是無伺，二諦是有伺、無伺。滅諦是無喜，三諦是有喜、無喜。滅諦是非喜俱行，三諦是喜俱行、非喜俱行。滅諦是非樂俱行，三諦是樂俱行、非樂俱行。滅諦是非捨俱行，三諦是捨俱行、非捨俱行。集諦是欲纏，二諦是非欲纏，苦諦是欲纏、非欲纏。三諦是非色纏，苦諦是色纏、非色纏。三諦是非無色纏，苦諦是無色纏、非無色纏。二諦是所屬，二諦是無所屬。道諦是出離，三諦是不出離。道諦是決定，滅諦是不決定，二諦是決定、不決定。二諦是有上，二諦是無上。集諦是有諍，二諦是無諍，苦諦是有諍、無諍。