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title: "絕餘編 · 題等韻"
description: "絕餘編是明末高僧智旭大師的著作由弟子圓果錄其講述而成智旭大師身處明末佛教衰微之際力主儒釋道三教融合並致力於淨土法門的弘揚該書內容廣泛涉及教理闡釋修行要旨及對治習氣的方法系統總結了其佛學思想與實踐心得在佛教史上尤其於明末清初的佛教復興中佔有重要地位是研究智旭思想及淨土宗發展的關鍵文獻對後世學人修行具有深遠的指導意義"
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### 題等韻

> 等韻の題

光音以上，覺觀永離，不復以音聲為教體。世界初成，梵天再立，始共呼為薩埵。薩埵，此語言文字之始也。風土既殊，以字代音，而梵韻不可復考矣。後之賢哲，創為三十六母，以辨五音，至今相沿習學，又成故套。試研問久學，尚未委其源流，他何足云？嗟嗟，文字性空，緣生故有，一音一字，咸即法界。所以眾藝童子，唱字母時，一一無非般若波羅蜜門。而今於因緣所生法中，尚未知其端的，況能知此音性字性，皆悉即空即假即中，頓成三般若耶？雖然，法無迷悟，迷悟在人。觀照為實相之門，文字又為觀照之門，則此一帙，未始非諸佛智母。縱令習而不察，如貧女寶藏，雖未受用，不可謂無。況今書者讀者，又孰非善財眷屬哉。

> 光音天より上は、覚と観が永遠に離れ、もはや音声を教えの本体としない。世界が初めて成り、梵天が再び立つとき、初めて共に「薩埵」と呼ぶ。薩埵、これが言葉と文字の始まりである。風土がすでに異なり、文字をもって音声に代えると、梵語の韻はもはや調べることができない。後の賢哲たちが三十六字母を創り、五音を弁別し、今日まで相習い学びながら、また古い習慣となっている。試みに長く学んだ者に尋ねても、まだその源流を明らかにせず、他は何を語るに足ろうか。ああ、文字の性は空であり、縁によって生ずるゆえに有である。一音一字、すべてが即ち法界である。それゆえ衆芸童子が字母を唱えるとき、一つ一つがことごとく般若波羅蜜門でないものはない。今、因縁によって生じた法の中で、まだその真相を知らない。ましてや、この音の性、字の性がすべて即して空であり、即して仮であり、即して中であり、たちまち三般若を成就することを、どうして知ることができようか。とはいえ、法に迷い悟りはなく、迷い悟りは人にある。観照が実相への門であり、文字がまた観照への門であるならば、この一巻は決して諸仏の智母でないことはない。たとえ学んで察しないことがあっても、貧女の寶蔵のようなもので、まだ受用しなくとも、ないとは言えない。ましてや、今、書く者、読む者、また誰が善財の眷屬でないことがあろうか。