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title: "雪關禪師語錄 · 與錢瑞星太史"
description: "雪關禪師語錄是明代禪僧雪關智誾的語錄彙編，由弟子成巒等人記錄，開詗編訂。該書成於明末禪宗傳承之際，反映了當時曹洞宗的發展面貌。內容收錄雪關禪師的上堂法語、機鋒對答、書信偈頌等，闡揚禪宗心性思想，強調頓悟見性、直指人心的修行路徑。作為明代曹洞宗重要文獻，該語錄不僅體現了雪關禪師的禪學特色，也為研究明末禪宗思想提供了珍貴史料，在佛教典籍中具有承先啟後的學術價值。"
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### 與錢瑞星太史

參學人喚安身立命處權名家舍，正謂其能內脫身心、外遺世界，毫髮不蹲窠臼，大段以清風為舍、明月為家，凡寢興飲喙、應煩酬劇常在其中，一涉動定便落途次風光、於斯能步步回頭、刻刻還鄉，是之謂雖涉程途不離家舍者以此也。楊次公云：「無一可戀、無一可舍，太虛之中，之乎者也。」審如是，山僧掉老婆舌頭，強分家舍，浪說途中，無乃之乎者也，遮蓋虛空而已。來劄云：「卻又在家舍上生出許多俗情事，奔馳不了。」是則家舍愈真，法身愈遠。前不言乎：「嘗因送客處，記得別家時。」正以送客為泛酬、憶家為本領，不可奔馳時便忘卻這裏亦斯須不可離之意。大居士不受人瞞、不坐暗地、不說未會便是會，此真具打翻徹底手段，大光明藏從此昭揭。或時命駕相過，極譚向上，單刀直入，更讓誰先？

> 修行者が「安身立命の処」を仮に「家舎」と名づけるのは、まさに身心の内側を離れ、外界の世界を捨て、少しのわだかまりもなく、清風を舎とし明月を家とすることを指す。寝起きや飲食、煩雑な応対のすべてが常にその中にあり、一度でも動静に触れれば道中の風光に落ちてしまう。そこで歩々に振り返り、刻々と故郷に帰ることができれば、これこそ「道中を経ても家舎を離れず」と言うのである。 楊次公が言う。「一つも執着すべきものなく、一つも捨てるべきものなし。大虚の中に、『之乎者也』（むだな言葉）があるのみ」と。まさにその通りならば、山僧が老婆の舌を振るって、無理に家舎を分け、道中を語るのは、これまた「之乎者也」で虚空を覆い隠すだけではないか。 来翰には「しかし家舎の上に多くの俗情の事が生じて、奔走してやまない」とある。これならば家舎を真実とするほど、法身は遠ざかる。先に言ったではないか。「かつて送客の処において、別家の時を思い出す」と。まさに送客はただの応対であり、故郷を思うことが本来の務めである。奔走の最中にもこの場所を忘れてはならない、一瞬たりとも離れてはならないという意味である。 大居士は人に欺かれず、暗い所に座せず、「未だ会わず」と言わずして「会う」とされる。これはまさに徹底的に打ち破る手腕を具有し、大光明蔵はここから明らかに開かれる。ある時、車を仕立てて訪れ、向上の理を深く語り合い、単刀直入に切り込めば、誰が先んじようか。

又

大居士有趙清獻之風、富鄭公之品，顧下劣雖無蔣山、華嚴手眼，然一腔仰望之心不敢自嘿，每承高軒過我，必以此懇到擊發。昔人謂：「但辦肯心，決不相賺。」所患難入門者，在貴鄉道交多一面說禪、一邊主淨，依違相效返誤工夫。佛不云乎「制之一處無事不辦」，萬望大居士超然格外不泥兼程，二六時中但一力如箭射的，無有不中之理，即有多方便語句，譬舟子善把篙，不嫌港曲也。果再打併一念唱還鄉調，定在祖佛頂𩕳上行，誰敢隻眼覷公哉？

> 大居士に趙清献（ちょうせいけん）の風格があり、富鄭公（ふていこう）の品性があります。私のような劣った者には、蔣山（しょうざん）や華嚴（けごん）のような優れた手腕はありませんが、それでも一心に仰ぎ見る思いを、どうしても黙っておくことができません。お越しのたびに、心を込めてこの切実な思いを打ち明けさせていただいております。 昔の人は言いました。「誠の心を起こせば、必ず欺かれることはない」と。ただ入門が難しいのは、あなたのお国では、禅を語りつつ浄土を唱えるという中途半端なあり方が交じり合い、どちらにつくか迷って、かえって修行の妨げになっていることです。仏は仰せになりました。「心を一つの場所に定めれば、成し遂げられぬことはない」と。どうか大居士には、ふつうのやり方にこだわらず、二つの道に分け入ることなく、昼夜を通じて、ただひたすら的に向かう矢のように修行なさってください。的中しない道理はありません。たとえ様々な方便の言葉があっても、それは船頭が舵取りの竿をうまく操るようなもので、入り江が曲がっていても構わないのと同じです。 もし再び一念を打ち込んで、故郷へ帰る歌を唱えるならば、必ず仏祖の頂上を行くことになりましょう。誰が片目で貴方を眺めることができるでしょうか。