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title: "天翼翔禪師語錄 · 陶之典序"
description: "天翼翔禅师语录是清代禅宗巨匠巨翔禅师的说法开示集由弟子寂乾记录际锋等人编撰。本书源于清初禅宗丛林是临济宗法脉的重要文献内容涵盖参禅法要、心性指示、公案评唱及日常修行箴规。其思想承继唐宋禅风强调直指人心见性成佛在清代禅宗史上具有承前启后的地位。现存版本原附于其他文献之后后经整理独立成书为研究清初禅宗思想与修行体系提供了珍贵的一手资料对理解禅宗在清代的传播与发展具有重要学术价值。"
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### 序

> 序文

昔古梅和尚脫縫掖披緇，以其家重大事盡付之諸季，掉臂直入千峰萬峰，蓋目籠三界、體合萬殊，其不以法胤之替隆為情量可知也。雖然，吾於天翼禪師有以觀古公之不替焉。公初與大梅與公首，佐溈開濟，赫著宗猷，海內叢林望密印父子兄弟間，巋然古大溈也。其後英髦輩起，披衣者驟至，七葉環雁行，駢輝競燿，而公之門落落焉。或曰：公繼主溈席，遷芙蓉，所鎔鍊人才宜不少俊傑，而寂寞乃爾，疑蓉流斷續將如何矣？夫孰知公之揀辨實嚴，待發於翼禪師者，奇特爛熳，不可以目睫睹歟？翼師三歲出塵，純乎天葆，受業後即遍參知識，穎脫驚人，諸方異之，不啻羅龍罻鳳，師翱翔無所顧。一旦高叩芙蓉，片言納贄，如送自天風，此豈恒情所可測耶？及隨古公出山，至白下，重新鍵戶七百餘日，乃大笑破關，推古公倒地，公起喜曰：「吾事自今差畢，真一夔足矣。」其潛密如此，則又豈恒情所可測耶？師嗣主芙蓉甫一年，而大溈虛席，緇素敦迎入繼，遂兼荷兩山。韶才粹德，浩應無方，遠邇英俊之士聞椎拂所作，飆赴雲臻。纔更冬夏，兩制眾中嶄然見頭角者，遽淂四人先後記莂，彪炳一堂。當此之時，古公門庭可不謂光大歟？於是兩山法錄映被諸方，皪然昭作述之盛。今按其聲節，宛見古公典型，而激之以曼拔，導之以近專，妙顯綱宗，有響無跡，所謂後出者愈奇，非耶？嗚呼！此古公所以晚淂賢嗣，擇乳真而傳器慎之效也，亦何疑繼起之爪牙龍象不接武崢嶸也哉？嗣法中今主芙蓉藏菴大師，既丐其在家諸父　紫蘿侍御公為撰弁言評唱之，擬於雷霆星漢無以加矣。而又屬予更贅蕪詞者，謂予與古公世出世間並有深誼，其佐溈堂構本末，予身與之，使說家裏話，頗可傳信。是以不辭鄙陋，一申言之，亦欲為紛紛七葉中名實相應與否者示。法門鄭重，事理終不容謬，有如此云。

> 昔、古梅和尚は世俗の衣を脱ぎ、墨染めの衣を身にまといました。家の重大な事柄はすべて弟たちに委ね、一切の執着を振り払って、直接、千もの峰々、万もの山々へと入っていきました。その心は三界を包み、身体は万物と一体となっており、法の継承者（法胤）の盛衰を気にかけるような者ではなかったことは明らかです。 しかし、私は天翼禅師という存在を通して、古梅和尚の法脈が絶えなかったことを知りました。和尚は初め、大梅和尚や與和尚と共に、溈山を開き、その宗旨を広めることを助け、その功績は赫々たるものでした。当時、天下の僧侶は皆、密印寺を父子兄弟のように仰ぎ、それはまさに聳え立つ古の大溈山のようでした。その後、優れた人材が輩出し、衣を継ぐ者たちが次々と現れ、七葉の教えが列をなして並び、その光は競い合い輝きました。しかし、古梅和尚の門下だけは、どこか寂しいものでした。 ある人は言いました。「和尚は次々に溈山の法席を継ぎ、芙蓉山へと移られました。その陶冶により育まれた人材には、優れた人物が少なくなかったはずなのに、このような寂寥とした有様では、芙蓉山の法脈が途絶えてしまうのではないかと疑わざるを得ません。」ところが、誰が知っていたでしょうか。和尚の人材選別が実に厳しかったこと、そして、その選別が天翼禅師という人物に開花し、その奇跡はあまりにも素晴らしく、目先の事柄だけでは決して見極められないものであったことを。 天翼禅師は三歳で出家し、その純真さはまるで自然のままの宝玉のようでした。得度した後は、すぐに諸方の知識を遍く参じ、その聡明さは人を驚かせ、出色のものでした。諸方の師家たちは彼を、龍を捕らえ鳳を獲るかのように熱心に迎えようとしましたが、師は高く舞い上がり、どこにもとどまろうとはしませんでした。ある時、忽然として芙蓉山を訪れ、ひと言で宗旨を体得しました。あたかも天風の導きのままに来たかのようであり、これが凡人の心で推し測れることでしょうか。 その後、古梅和尚と共に山を下り、白下に至ると、七百余日もの間、密室にこもって修行を続けました。そして、大笑して関門を破り、古梅和尚を押し倒すと、和尚は起き上がり、喜んで言いました。「我が事は、これで終わった。まさに、一人いれば十分だ（一夔足る）というものだ。」 このように、師の修行は深く密やかであり、これもまた凡人の心で推し測れることではありません。 師が芙蓉山の法席を継いでわずか一年、大溈山の法席が空席となり、僧侶や在家の信者たちが熱心に師を迎えて継承を願いました。こうして、師は両山の法席を兼ね継ぐこととなりました。その豊かな才能と純粋な徳により、自在にすべてに応じ、遠近の優れた若者たちは、師の法を説く音を聞けば、風が吹くように集まり、雲が湧くように集まりました。わずかに冬夏を経るうちに、両山の修行者たちの中から頭角を現す者が現れ、ついに四人が相次いで師の印可を受け、一堂にその光を輝かせました。この時こそ、古梅和尚の門下は盛大でないなどと言えるでしょうか。 その時、両山の法語の記録は諸方に広がり、その著述の盛んさは燦然と輝きました。今、その韻律をたどれば、古梅和尚の典型をみごとに伝えながらも、それをさらに刺激的に押し出し、近くに専念するよう導き、宗旨の綱要を巧みに顕し、響きはあっても跡はない。いわゆる「後に出る者はますます奇なり」という言葉は、まさにこのことではないでしょうか。 ああ、これこそが、古梅和尚が晩年にして優れた嗣法を得、乳を選ぶように真実を選び、器を伝えることを慎重に行った成果です。どうして、その後継者たちが豪傑の如く次々と現れないことを疑うことがありましょうか。 嗣法である、現在芙蓉山の住持である蔵菴大師は、その在家の師である紫蘿侍御公に、すでに序文と評唱を依頼していました。それは雷や星にもたとえられるほどの素晴らしいものでした。それにもかかわらず、大師はさらに私にも拙い言葉を添えるよう依頼されました。それは、私と古梅和尚が世の裡でも世の外でも深い縁があり、その溈山の法堂を築いた本末に、私自身関わっていたからです。いわば内輪の話をすることで、後世に信頼できる伝承を残せるだろうということでありました。 そのため、私は浅はかであることを顧みず、ここに改めて述べる次第です。また、先に述べた七葉の教えが相次いで栄えた中で、その名実が相応しいかどうかを示す意味も込めています。仏法の門は厳粛であり、事と理はついに誤りを許さないものである、ということを。

康熙甲申仲冬朔日石谿老學人陶之典撰

> 清の康熙帝の治世、甲申年の冬、十一月一日。石谿の老学徒、陶之典が記す。

## 天翼翔禪師語錄卷上

> 天翼翔禅師語録 巻上

侍者寂乾記錄

> 侍者 寂乾 が記録した

嗣法門人際鋒　洪　然　泓仝編

> 嗣法門人際<note place="inline">鋒　洪　然　泓</note>仝撰