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title: "荊南內護國寺啟真誠禪師語錄 · 李文淵序"
description: "荆南内护国寺启真诚禅师语录由清代僧人振闻根据诚说编撰，依驹本印行。该语录记录了启真诚禅师的禅法开示、机锋对答及修行指导，集中体现了临济宗的禅风特色，强调直指人心、见性成佛。作为清代禅宗重要文献，它不仅是研究诚禅师思想及清代佛教禅学发展的原始资料，也对了解当时禅宗传播与修行实践具有重要价值，在汉传佛教语录体系中占据一席之地。"
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### 護國和尚語錄序

大雄正續，五葉芬芳，滹沱一派，遍滿天下矣。海內名師宗匠，凡開導一方一國，便有語錄傳世，不勝汗牛，幾乎充棟也。我迦文世尊四十九載說法，三百餘會譚經，尚言未嘗說著一字，向未開口時，早已落二落三，以致達磨九年不語，顏子終日如愚，老氏之多言數窮，不如守中，正同一鼻孔出氣，千載合乎一轍也。而世人第以文字語言支離，問禪問道，又何啻鄭州曹門遠之遠矣。所以三教聖人，豁然一貫，無二無三，其揆一也。今茲護國啟真禪師者，乃荊南遍老人後裔，實磬山別老人的派，傳臨濟正宗，為護國濬源，而棒喝機鋒，電閃星掣，衲子聞風，心驚毛豎，如大火聚，觸之則燎卻面門。某奉命歸省，及門問道，一日與師譚及宗門中事，因言：「即今孔孟在甚麼處？」師云：「吾常于此切。俾余得首旨神怡，果能于此摩索一番，自有七通八達時節。」莫言大唐國裡無禪，只恐無師，誠哉是言也。師出語錄數冊，示余作序，余首尾閱歷，拈香祝聖，上堂小參，皆發前人之所未發，模範規箴，皆合古人之所節符，宛若香風花雨，諸天贊嘆，千古綱宗，衲子規鑒，宇內緇素，孰不以師師之，又何奚用余言？是以沐手敬題于護國寺中。

> 大雄正統が継承され、五葉の花が香り高く咲き誇り、滹沱の一派は天下に広まりました。国内の名ある師や宗匠は、一地方や一国を導くたびに語録を残し、それは牛の毛ほども多く、家を満たすほどです。 我らが迦文世尊は四十九年にわたり説法し、三百余回もの会合で経を説かれましたが、それでも「ただの一字も説いたことはない」と言い、口を開く前からすでに第二、第三の境地に落ちていたのです。そのため達磨大師は九年間沈黙し、顔回は終日愚者のようであり、老子が「言葉が多いほど窮する」と述べ、内なる中道を守るよう説いたのも、まさに同じ鼻息から出たもので、千年を経ても一つの軌道にかなうものです。 ところが世の人々は、ただ文字や言葉にこだわり、禅や道を問うても、それは鄭州から曹門へ行くのよりもはるかに遠い話です。だからこそ三教の聖人は、はっきりと一つに貫かれ、二も三もなく、その道は一つなのです。 今、護國啓真禅師は、荊南の遍老人の後裔であり、実は磬山の別老人の直系で、臨済正宗を伝え、護國寺の源を深める方です。その棒喝や機鋒は電光石火の如く、僧侶たちは風を聞いて心驚き、毛を逆立てます。それは大火の集まりのようで、触れればたちまち顔の前面を焼き尽くすでしょう。 私は命を受けて帰省し、師のもとを訪れて道を問いました。ある日、師と宗門の事柄について語り合い、「今、孔孟はどこにおられるのか」と尋ねると、師は「私は常にここで切に思っている」と答えました。そのおかげで私は宗旨の意を得て心が晴れやかになりました。もしここでしっかりと探求すれば、自然とあらゆる道が通じる時が来るでしょう。「大唐の国に禅がないと言うなかれ。ただ師がいないことを恐れよ」という言葉は誠にその通りです。 師が数冊の語録を示し、私に序文を依頼されました。私は最初から最後まで拝読し、香を焚いて聖を祝う儀式や、上堂・小参の内容は、いずれも前人未発の境地を開き、模範や戒めは古人の規範にかなっています。まるで香風花雨のごとく、天の諸神も讃嘆し、千古の綱宗として僧侶の鑑となり、国内の僧俗すべてが師をもって師と仰ぐ他はありません。どうして私の言葉を加える必要がありましょうか。ここに手を清めて、護國寺にて敬って序文を記します。

康熙二十五年歲次丙寅孟夏，乾清門御試一等二名，欽召覆試，賜宴體仁閣，特用內閣撰文中書舍人開元李文淵。。

### 啟真禪師語錄序

> 啓真禅師語録 序

彙於萬者，不可彌度也；籥於一者，不可思擬也。非有以脫應感通塞之扃，撇賾化緣淨之橐，正觀側觀，皆可指揮如意，而無漏無礙，則翳翳其逾伏者，不能軋軋其若抽，來有所遏，去有所止，擇焉而不精，語焉而不詳矣。語而為錄，詳之至矣。程朱諸大儒之有語錄，蓋溯洙泗以規姚姒，渾渾噩噩，浩浩淵淵，昭昭然揭日月而行者，先聖後聖，此心此理之同也。西方聖人之教，以冥悟為奧窔，以言銓為郛廓，顧有頓有漸，無級無陘，所籍法華自轉，弘闡宗風者，自漢以下，代有傳人。今聖天子一六合而光宅，仁風翔洽上下，草木鳥獸含生之倫，罔不咸若，而方外法侶，亦得以白日靜傳，青蓮微喻者，為晨鐘暮鼓，無所不備之大千世界。余老於經生者也，馬鳴、龍樹之談，茫乎未之有聞。乙丑，奉徵修郡志，授簡於護國寺中，因得與啟真師話碧雲。今年春夏間，師與諸開士閱藏畢，乃出其所著語錄，屬序於余。夫轢輻之不相侔，而欲為之揚鑣脂轄，甘苦之故，有所難言。然以吾道本末一致，卑邇必自之理，類通於師之發皇義蘊，直見其拈弄指點，活活潑地，寓言名言，大言小言，雖離方而遯圓，濬發於巧心，機鋒觸處皆生，機鋒觸處皆忘，吾誠未識夫開塞之所由也。噫！聰明難矣，而墮除聰明，原不是漫無手眼智慧之相。護國開山遍知和尚，篤實沉著，彷彿面壁氣象。師屬磬山箬老人三代嫡嗣，為遍公傳燈正派，精通敏悟，不從文字入。而從文字入者，偨傂參差，瞠乎其後，落第二義不落第二義，師之印可者微矣，誠非余之所得而言也。

時大清康熙二十有五年丙寅仲秋月穀旦，賜進士出身、原任江西管理通省驛傳、鹽法道按察使司參議、郡人胡在恪念蒿甫題於護國精舍。