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title: "古音王傳 · 擬華亭船子曲序"
description: "古音王傳是清代佛教重要典籍由廣真著述古心等人評注。該書誕生於明清佛教復興背景下融匯禪淨思想。內容以音聲法門為核心闡述通過古音修行悟道的法要包含船子曲等詩偈及諸家評點。全書彰顯音聲與佛性的深刻關聯提倡以音入禪的實修路徑。在漢傳佛教中該著作對音聲法門的系統闡釋具有獨特地位為研究明清佛教思想與修行實踐提供了珍貴文獻是禪淨雙修潮流中的重要著述。"
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### 擬華亭船子曲序

澤玩擬船子一曲，似鄰於戲，第果戲耶？非戲耶？嗚呼！菩薩出胎，羅漢隔世，不無迷昧，矧茲薩埵，迺可廢提醒耶？然則，今日此曲，正覺世中權巧一法，所亟需而不容緩者，如遽以本地象王、空林獅子相與質證，是欲其視而反蔽之，孰肯傾心？且孰肯啄味？辟夫《陽春白雪》，諧耳者百不一二；《下里歌謠》，聽者始舞掌矣。凡賜觀者，母言果戲，倘以戲視之，往昔《南徐行歌》化俗，非出自見道者乎？近時《曇華一記》又非出自縉紳者乎？正亦覺世權巧之一法，唯大觀者能闊視，而井底者乏全目耳。故敢為之說，用次於後。

> 澤玩が船子の一曲を模したのは、戯れに近いように見えるが、果たして戯れなのか、戯れではないのか。ああ、菩薩が胎を出でても、羅漢が世を隔てても、迷いや曇りがないわけではない。ましてやこの薩埵（菩薩）において、注意を喚起することを廃してよいだろうか。それゆえ、今日この曲は、まさに世を覚ますための方便の一つの法であり、急を要して緩めることのできないものだ。もし急いで本地の象王や空林の獅子と質疑応答しようとすれば、それを見てかえって目を蔽うことになり、誰が心を傾け、誰が味わおうとするだろうか。たとえば『陽春白雪』は、耳に調和する者は百人に一人もいないが、『下里歌謠』は、聞く者がすぐに手を打って踊り始める。すべて観る者に賜るものは、果たして戯れであると言うな。もし戯れとして見るならば、かつて『南徐行歌』が俗を化かしたのは、道を見た者から出たものではないか。近ごろの『曇華一記』もまた、縉紳（高官）から出たものではないか。これもまた世を覚ます方便の一つの法であり、ただ広く見る大観者だけが広い視野を持ち、井戸の底の者は全体を見る目に乏しいだけだ。だからあえてこれを説き、後に次ぐために用いる。

門人蓬蓬子慧澤撰

> 門人蓬蓬子慧澤が記す。