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title: "鶴林寺志（釋明賢本） · 鶴林寺畫祖師像記"
description: "鹤林寺志由明代高僧释明贤编撰，是一部记载江苏镇江鹤林寺历史沿革的佛教寺志。该书成于明代，详细收录了鹤林寺的建寺源流、历代兴废、高僧事迹、寺产规约及诗文碑刻等内容。作为江南名刹的重要文献，它不仅为研究明代佛教寺院制度、地方宗教史提供了第一手资料，更体现了佛教中国化进程中禅宗与士大夫文化的交融。该志在佛教史志中占有重要地位，是了解明代寺院经济、宗教实践与文化传承的权威典籍之一。"
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### 鶴林寺畫祖師像記

> 鶴林寺祖師像記

陶望齡

> 陶望齢

電至疾，雲至變也。而人能狀之，水之霔凸，火之光燄，善繪者至以擅名皆相也。天下之必不可畫者，唯天唯風。然草樹之梢偃，波濤之飛立，特寫其摧靡澎湃之態，而風狀得矣。星纒日道羅絡經緯，明之以雲霞，晦之以雰霧，而天象具矣。然則天與風，亦未嘗不可繪也。如來三十二相，即為非相，志公一靣而現觀音十二靣見者如狀風，擬者如圖天况，紙墨所能摹邈哉！然非相一相多而三十二又多，而八十種好，萬毛孔灮明，非靣正靣多而十有二，又多而千手千眼而八萬四千。爍迦羅首母陀羅臂，清淨寳目，如草樹之一葉一縷，如星之一纒一次。非天非風，而天風宛然，笵金刻木，土塑紙描，一一相好，一一莊嚴，皆非相皆正靣，皆真佛真祖也。嗚呼！像教陵夷，古宿道塲草深，一丈經遊者，欲瞻仰遺像而不可得。僧徒惰窳，恬不知怪久矣。京口鶴林寺僧名明賢者，乃能具此一大因緣，精繪善裝，歷世前後，歷土東西諸聖比肩，如語如笑，又懼其久而莫守也。謁余言以永之，豈非奇特最勝事乎？繪本出白下祖堂，裒而聚之者，為達觀禪師，今繪工之施貲者，陳如寳等，為軸七十有四。諸佛無相，諸祖無相，繪者無相，施者無相，作是因緣者，無相記者亦無相。

> 電は瞬時に届き、雲はたちまち姿を変える。しかし人はそれらを描き出すことができる。水が盛り上がる様子、火の燃え盛る光、優れた絵師が名声を得るほどに、これらはすべて「相」である。この世でどうしても描くことができないもの、それはただ天と風だけだ。しかし、草や木の梢がなびき、波が立ちのぼる様子を描き、そのなぎ倒され、荒れ狂うありさまを写し取れば、風の姿はおのずと現れる。星々がめぐり、太陽の道筋が織りなす模様を、雲や霞で明るくし、霧やもやでぼんやりと描けば、天の姿は整う。そうだとすれば、天も風も、決して描くことができないわけではない。 如来の三十二相は、すなわち「非相」である。志公和尚が一面でありながら観音の十二面を現したように、見る者は風の形をたどるようにし、描こうとする者は天を図らうようにする。ましてや紙や墨で写し取ることなど、とうてい及ばないではないか！しかし、「非相」は一相であり、多くは三十二相である。さらに八十種好、あらゆる毛孔から放たれる光明がある。一つの面ではなく、多くの面、十二の面もある。さらに多いものとして、千手千眼、八万四千ものものがある。 輝く（しゃくがら）の頭頂、多羅樹（たらじゅ）のごとき腕、清らかな宝の目。これらは草木の一葉一本のようであり、星の一巡りの運行のようである。天でも風でもないが、天と風はそこにありありと現れている。金属を鋳型に流し、木を彫り、土で形作り、紙に描く。その一つ一つの相の良さ、一つ一つの荘厳さ、すべてが「非相」であり、すべてが正面であり、すべてが真の仏であり真の祖師である。 ああ、像による教化（ぞうきょう）が衰退して久しく、古い僧侶の修行の場は草が深く一丈にもなる。経典を学ぶ者は、せめて古の姿を仰ぎ見ようとしても、それがかなわない。僧侶たちは怠け惰らくに流れ、そのことに安んじて、長い間おかしいとも思わなかった。 ところが、京口の鶴林寺の僧、明賢という者は、このような大きな因縁を成就することができた。見事に描き、立派に荘厳し、時代を前後、東西のあらゆる聖者たちを並べ、まるで語り合い、笑い合っているかのようである。さらに、長く守る者のないことを憂い、私に文章を請うて永く伝えようとした。これこそ、この上なく特別で最も勝れたことではないか？ この絵の原本は、白下の祖堂から出たものである。それを集めたのは達観禅師である。今、絵師たちに費用を施したのは、陳如宝たちであり、その数は軸七十四である。諸仏に相はなく、諸祖師に相はない。描く者に相はなく、施す者に相はない。この因縁を作る者も相はなく、記す者もまた相はないのである。