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title: "石雨禪師法檀 · 示范濟美居士"
description: "石雨禅师法檀是明代禅僧石雨明方禅师的说法记录，由弟子净柱编集而成。该书成于明末清初，反映了当时禅宗曹洞宗的思想风貌与修行实践。内容主要为石雨禅师的开示、法语、机缘对话及诗偈，深入阐释禅宗心性论、顿悟法门与日常修行。作为曹洞宗重要文献，它不仅是研究明末禅宗思想流变的关键文本，也对后世禅修者具有指导意义，在佛教典籍中占据一席之地。"
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### 示范濟美居士

人生天地間，不知來所自，茫茫幾十年，去復何止至？試于二六時，反覆靜以思，思不出其位，下學以達之。不達世間理，安知出世書？回觀頂至踵，一笑當何如？不爾第二義，令勿信爾意，致身清寂間，看心當動處。勿遏其不萌，勿慮其不寧，常念夢裡身，與醒唯一靈。夢時非無有，醒已不能守，應知醒所持，至夢亦徒手。夢醒同大夢，吉凶人所共，誰能一體觀，趨避乃自重？攝心于一經，此乃避之精；攝經于一義，此乃趨之明。譬之登絕頂，一覽小眾景，萬山拜其下，煙雲任馳騁；譬之臨濟水，濟澄月斯美，千江千月輪，得一無此彼。來知其所來，去復何徘徊？長空雲影靜，廓然心鏡開。

> 人生は天地の間に生まれ、どこから来たのかも知らず、 ぼんやりと幾十年、去る時はどこへ至るというのか。 ためしに一日の中、繰り返し静かに思いを巡らせよ。 思いはその場を超えず、下学して道理に達するのだ。 世間の理がわからねば、いかにして出世の書を知ることができよう。 振り返って頭から足の先までを見れば、一笑に付すほかないではないか。 そうでなければ第二義に落ち、自分の思いを信じてはならない。 身を清らかで静かなところに置き、心が動くその場を見よ。 まだ芽生えぬものを押さえつけず、それが収まらぬことを憂えず、 常に夢の中の身を思え。目覚めている時と同じ一つの霊が在るのだ。 夢の時もないわけではないが、覚めたときにはそれを保てない。 知るべきだ、覚めている時に支えているものも、夢に至れば手放しになることを。 夢も覚めも同じ大きな夢。吉凶は人の共通するところ。 誰が一体として観ることができようか。逃げるのも避けるのも、自らが重んじるからだ。 心を一つの経に収めること、これこそ逃れるための精髄。 経を一つの義に収めること、これこそ向かうための明察。 たとえば絶頂に登れば、ひと目で多くの景色を小さく見渡し、 万の山がその下にひざまずき、煙や雲は思いのままに駆け巡る。 たとえば済水に臨めば、済水が澄めば月も美しい。 千の川に千の月の輪があるが、一つを得れば此も彼もない。 来た時、その来る所を知り、去る時、いずこに迷おうか。 長い空に雲の影は静かに、広々として心の鏡は開かれる。