---
title: "靈峰蕅益大師宗論 · 九華芙蓉閣建華嚴期疏"
description: "靈峰蕅益大師宗論是明末高僧智旭的著作。明末佛教面臨內部僵化與外部挑戰，智旭大師立足天台宗，主張禪教律淨融合，回應時代弊病。該書匯集其書信、註疏與開示，系統闡述性相融通、淨土為歸的佛學思想，強調解行並進與實踐修行。作為中國佛教史上承先啟後的巨著，它深刻影響了後世漢傳佛教的發展，尤其對淨土宗的推廣貢獻卓著，被尊為淨土宗第九祖的智旭，其思想透過此論成為明清佛教的重要指南。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgn46ma50oz4k104n3z224jz"
---

### 九華芙蓉閣建華嚴期疏

> 九華芙蓉閣 華嚴修法会の勧進状

予每謂《地藏本願》一經，當與八十一卷《華嚴》並參。《華嚴》明佛境界，稱性不可思議。《本願》明地獄境界，亦稱性不可思議。一則順性而修，享不思議法性之樂；一則逆性而修，受不思議法性之苦。順逆雖殊，全性起修、全修在性，一也。一念迷佛界不思議性，則常寂光土，應念化成刀山劍樹、爐炭鑊湯；一念悟地獄不思議性，則泥犁苦具，應念化成普光明殿、寂滅道場。迷悟雖殊，性德無增無減，又一也。然性德雖無增減，非逆順，不屬迷悟。而迷之為九界逆修，遂感分段、變易二死苦報；悟之為佛界順修，遂成菩提、涅槃二種轉依。迷為三惑，悟為三智。逆修為十惡五逆，順修為六度萬行。生死為三界四相，轉依為三身四德。苦即法身，惑即般若，業即解脫，諺謂：「推人扶人，只是一手。讚人毀人，只是一口。」《大佛頂》謂「如水成冰，冰還成水。」詎不信然。然則芙蓉九朵，信可與《華嚴》九會同其表法。豈謂《地藏本願經》，僅談地獄因果事相而已。況華藏世界，安住大蓮華中。如來成道，亦坐寶蓮華。而優缽羅波頭摩等地獄，亦復名青蓮華，赤蓮華。可見一名一喻，一事一法，皆悉具足十界，在當人迷悟順逆何如耳。不思議法性，體非群相，不礙諸相發揮，又奚閒於地獄及寂光哉？願諸開士，率諸檀越，即以此為順修因緣，開發正悟，則鐵圍兩山，即是金剛菩提道場，無令火燄幻作金蓮，斯大妙矣。

> 私は常々、『地蔵本願経』は八十一巻の『華厳経』と併せて学ぶべきだと考えています。『華厳経』は仏の境地を明らかにし、その性（本性）は思議を絶するものです。『本願経』は地獄の境涯を明らかにしますが、これもまた性が思議を絶しています。一方は性に順じて修行し、思議を絶した法性の楽を享受します。もう一方は性に逆らって修行し、思議を絶した法性の苦を受けます。順逆の違いはあっても、全ては性に基づいて修行を起こし、全ての修行は性の内にあるという点では同じです。 一念に仏界の思議を絶した性を迷えば、常寂光土はその念に応じて刀山・剣樹・炉炭・鑊湯と化します。一念に地獄の思議を絶した性を悟れば、泥犁の苦しみの道具は、その念に応じて普光明殿・寂滅道場と化します。迷悟の違いはあっても、性の徳には増減がありません。これもまた同じです。 しかし、性の徳に増減がないからといって、それは順逆にも迷悟にも属するものではありません。迷えば九界の逆の修行となり、分段生死と変易生死という二つの苦の報いを感得します。悟れば仏界の順の修行となり、菩提と涅槃という二つの転依を成就します。迷いは三惑となり、悟りは三智となります。逆の修行は十悪五逆、順の修行は六度万行です。生死は三界四相であり、転依は三身四徳です。 苦は即ち法身、惑は即ち般若、業は即ち解脱です。諺にも「人を押すのも助けるのも、同じ手。人を褒めるのも貶すのも、同じ口」とあります。『大仏頂首楞厳経』には「水が氷となり、氷がまた水に戻る」とあります。まさにその通りではありませんか。 そうであれば、芙蓉九輪の蓮華が、確かに『華厳経』の九つの会座と同じく法を表していると言えるでしょう。どうして『地蔵本願経』が、単に地獄の因果や事相を語るだけの経典だと言えましょうか。 ましてや華蔵世界は大蓮華の中に安住し、如来の成道も宝蓮華に坐します。そして、優鉢羅（青蓮華）や波頭摩（赤蓮華）といった地獄の名前もまた、青蓮華や赤蓮華と呼ばれています。これにより、一つの名も一つの喩えも、一つの事も一つの法も、全て十界を具足しており、ただ各人の迷悟と順逆いかんにかかっていることが分かります。 思議を絶した法性の体は、様々な相に偏するものではなく、しかも様々な相が働くことを妨げません。まして地獄と寂光の間にどうして隔たりがありましょうか。 どうか諸々の開士（菩薩）たちよ、諸々の檀越（施主）たちを率いて、まさにこれを順の修行の因縁として、正しい悟りを開き発展させてください。そうすれば、鉄囲両山は即ち金剛菩提道場となり、焔を金の蓮華に変えずとも、それこそが素晴らしいのです。