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title: "天王水鑑海和尚六會錄 · 題黃龍寺石龍"
description: "天王水鑑海和尚六會錄是清代臨濟宗高僧慧海所說，由弟子原澂等人編纂的語錄彙編。該書成書於清初，記錄了慧海和尚在六次法會中的開示、機鋒問答及禪修指導，集中體現了其直指人心、見性成佛的禪學思想。作為臨濟宗的重要文獻，此書不僅展現了明清之際禪宗的風貌與傳承，更對後世禪修者理解禪門心要具有重要指導意義，是研究清代禪宗思想與實踐的權威典籍之一。"
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### 題黃龍寺石龍

> 黄龍寺の石龍

曩閱楚會檮杌，載靈山寺右有石龍，鱗甲飛動，乘虛欲來。余初未信，至戊申夏，重闢黃龍寺，都人謂余言曰：「此後山有石龍焉。」領余親視，余曰：「此好事者所雕琢耳。」後因掘土數尺，仍復得之，鱗甲完美，精潤有色，擊之鏗然有聲，始信好事者不能如此為之，乃山之靈也，造物之靈也。夫造物之工，能使物之為青為黃、為赤為白，或使升降飛騰，或使興雲布雨，攪天池，涌地闕，傾山覆海，變變化化，無有窮盡，況復能使頑石為乎？人在塵埃之中，汩汩芒芒，竟不知萬物之所以自心之舉動，且亦何能號稱萬物之靈哉？悲夫！黃龍與靈山相去僅一牛吼地，而有石龍，即此龍矣。龍左有石壁，正當所建法堂之後，余命門人明震擘窠書黃龍道場四大字鐫之，更勒黃龍寺重建始末，與石龍并稱勝概，所謂德不孤必有鄰也。

> かつて私は『楚会檮杌』を読んだ際、霊山寺の右側に石の龍があり、鱗や甲がひらひらと動き、虚空を飛んで来ようとするようだと記されていた。初めは信じなかったが、戊申の夏に黄龍寺を再建することとなり、地元の人々が私に「この裏山に石の龍がいます」と言い、自ら案内して見せてくれた。私は「これは好事家が彫刻したものだ」と述べた。その後、数尺の土を掘ると再びそれを見つけた。鱗や甲は完璧で、艶やかに潤い、色があり、叩くと金属のように澄んだ音がした。そこで初めて、好事家がこれほど巧みに作れるものではないと確信し、これは山の霊気であり、造物主の霊妙さによるものだと悟った。 そもそも造物主の技巧は、物を青や黄、赤や白にしたり、上昇・下降・飛翔させたり、雲を起こし雨を降らせたり、天の池をかき乱し、地の宮殿を湧き出させ、山を傾け海を覆すなど、変化に変化を重ねて尽きることがない。ましてや、無機な石でさえも自在に操ることができるのである。人はこの塵芥のような俗世にあって、ただ茫漠と過ごし、万物が自らの心の働きによって生じることを全く知らず、どうして「万物の霊長」などと自称できようか。なんと悲しいことだ。 黄龍寺と霊山寺の距離は、わずかに一牛の咆哮が届くほどしか離れていない。そこに石龍がある。これこそがその龍である。龍の左側には石壁があり、ちょうど新たに建てた法堂の背後にあたる。私は門人の明震に、大学（大きな文字）で「黄龍道場」の四字を書かせて刻ませ、さらに黄龍寺再建の由来を記し、石龍とともに名所とした。いわゆる「徳は孤独ではなく、必ず隣人有り」ということである。