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title: "靈峰蕅益大師宗論 · 吁嗟篇六章"
description: "靈峰蕅益大師宗論是明末高僧智旭的著作。明末佛教面臨內部僵化與外部挑戰，智旭大師立足天台宗，主張禪教律淨融合，回應時代弊病。該書匯集其書信、註疏與開示，系統闡述性相融通、淨土為歸的佛學思想，強調解行並進與實踐修行。作為中國佛教史上承先啟後的巨著，它深刻影響了後世漢傳佛教的發展，尤其對淨土宗的推廣貢獻卓著，被尊為淨土宗第九祖的智旭，其思想透過此論成為明清佛教的重要指南。"
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### 吁嗟篇六章有序

> ああ、わが身の嘆きの詩 六章<note place="inline">序文あり</note>

佛祖之道，戒定慧而已矣。戒即法身，直法身非法身也。定即解脫，直解脫非解脫也。慧即般若，直般若非般若也。弘戒學曰：律師，果以般若解脫，嚴顯法身乎？弘定學曰：禪師，果以法身般若，成就不思議解脫乎？弘慧學曰：法師，果以解脫法身，趣歸般若乎？我思古人，實獲我心。我悲今人，不求其實，而圖其名，正法埽地，相牽以淪。乃賦吁嗟，寫此哀情。

吁嗟律兮，豈曰虛文。一止一作，持犯斯分。為斷有漏，以破魔軍。三千八萬，賾矣匪紛。護彼無作，協此緇群。煩惑乃怖，賢聖乃欣。自性清淨，萬法之君。律哉律哉，衣云缽云。

> ああ、この律こそ、決してただの虚しい決まり事ではない。 一つの足を止め、一つの行動を起こす。 それによって、戒を守るか、破るか、その分かれ目となる。 迷いや煩悩を断ち切り、悪魔の軍勢を打ち破るためにある。 三千の威儀、八万の細行、その細かさは尽きないが、決して無秩序ではない。 作すことなくして、自然と守られるその戒律は、この黒衣の僧団を調和させる。 煩わしい迷いは恐れ、賢者や聖者は喜ぶ。 自らの本性は清らかであり、それが全ての法の根本である。 ああ、律よ、律よ。 それは衣であり、鉢なのである。

吁嗟禪兮，豈曰鬥機。厥廣唯海，川瀆攸歸。操此一是，融彼百非。匪疾而速，匪翼而飛。理必無舛，行必無違。法法通備，門門入闈。逢源左右，何顯何微。哀此末季，唯拂與衣。

> ああ、禅というものは、決して機知を競うものではない。その広大さは海のごとく、あらゆる川や流れはそこへと帰っていく。この一つの真理を掴むことで、あらゆる誤りを融和する。速く走らずとも速く、翼がなくとも飛ぶ。理は決して誤りなく、行いは決して背かない。あらゆる法が完全に備わり、あらゆる門が入る道を開く。左右どちらからも源に至り、顕も微もない。 ああ、衰えの時代にあって、ただ袈裟と衣鉢のみが残る。

吁嗟教兮，豈曰言詮。明月之指，良驥之鞭。昏塗之炬，暴流之船。以簡邪正，以辨偏圓。法印所印，四依所傳。周道坦坦，乃實乃權。目足無缺，直往弗愆。哀此叔世，葉附枝牽。

> ああ、この教えよ。決して、言葉や文字だけのものではない。 澄んだ月を指し示す指であり、良き馬を駆る鞭である。 暗闇の道を照らす燈明であり、激流を渡る船である。 これによって邪と正を簡別し、偏りと円満とを弁別する。 これこそが、法の印が刻むところであり、四依が伝えるところである。 大道は平らかに広がり、真実であり、同時に方便でもある。 目と足をそろえて備え、まっすぐに進めば過ちはない。 嘆かわしい末の世にあって、枝葉が蔓のように絡みついている。

吁嗟淨土，豈曰小補。圓頓之宗，萬靈之祖。厥旨唯心，厥門唯普。非自非他，亦橫亦豎。躍冶莫逃，弱喪亦撫。格外洪慈，異鄉親怙。龍樹摩肩，文殊接武。哀彼生盲，目為旁戶。

吁嗟大法，何正何像？何是何非，何偏何黨？悲此愚頑，各任厥想。逆之則非，順之則仰。率彼妄情，誰納忠讜？始惰弗芸，繼唯助長。逐影迷形，鏤空捕響。哀矣群盲，爭趨見網。

> ああ、この偉大な教えよ。 正しい時代など、どこにあるというのか。 何が正しく、何が誤りなのか。 何が偏っており、何が一派に傾いているのか。 悲しいかな、愚かで頑なな人々は、 それぞれ自分の思い込みに任せている。 それに逆らう者は誤りとされ、従う者だけが敬われる。 彼らは誤った情念に流され、誰が忠告を聞き入れるだろう。 最初は怠けて草も抜かず、やがては無理やり成長を助けた。 影を追い、形に惑い、虚空に模様を彫り、音を捕まえようとする。 哀れな盲人の群れよ、見解の網に争ってかかっていく。

維茲末季，亦豈無人。緇曰紫柏，素如陽明。暨楚之袁，西方指津。山陰之鮑，天樂以陳。可師可步，不鶩其名。哀彼耳食，罔識斯真。爭馳虛譽，慕彼宵燐。何時憬覺，以卜我鄰。