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title: "磬山牧亭樸夫拙禪師語錄 · 序"
description: "磬山牧亭樸夫拙禪師語錄是清代臨濟宗高僧樸夫拙禪師的語錄彙編，由弟子光模等人編集。該書成於清初，承襲臨濟宗風，記錄了禪師於磬山等地的上堂、小參、機鋒、問答及詩偈，充分體現其直指人心、峻烈樸實的禪法特色。作為臨濟宗的重要文獻，此語錄不僅展現了清初禪林的實踐風貌，也為研究明清禪宗思想與語錄體裁提供了珍貴史料，在佛教史上具有承先啟後的學術地位。"
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### 語錄序

> 語録の序

禪學尚矣，而最上一乘，永超三界，唱提手眼，點勘人天，時節因緣，較然不爽。牧亭大師開堂慶雲，參徒甚盛，嗣以結集語錄相示，披讀之餘，慨然永嘆。蓋以佛法之日壞也，人心不古，而善緣益輕，譬之今人，心樂長安，而迷不識路，則其至也，必無日矣。抑問塗必於已經，而遇彼導師，寔未親到，則其至也，益無日矣。然則佛法之壞，學人之過，而亦不盡學人之過也。大師砥柱頹波，仔肩此道，扣洪鐘於龍象哀鳴之日，振迦音於魚龍混處之時，極力為人，老婆心切。要知此事，本自圓成，非從人得，生死不相干之地，鬼神覷不破之機，鑿開鴻濛，打破漆桶，三五周天，斗杓司令，先天一著，一箭驚人，九重鐵鼓，自然冰渙，當陽獨露，耀古騰今，粉碎虛空，全身獨現矣。予本鈍根，兼攖塵網，但幼慕宗乘，夙遇奇緣。猶憶歲在辛巳，忽於海福禪寺，重遇廬夢老人。茶廣商量，頗蒙印可。繼承過訪，師亦與焉。指示精通，直截了當。廬夢老人者，黃梅正派，即師得法本師也。老人圓寂，廿載於茲。幸又得師，開示非少。譬之飲水，冷暖在心。灌頂醍醐，寧忘所自。但痛眾生，罔明大事。循環業根，紏纏因緣。難以圓滿三身，安望種成四智。豈知珠本在衣，燈即是火。茲讀語錄，渺然長懷。竊謂裨益參徒，所益猶少。而居今之日，其有功於此道良多也。用贅簡端，如臨法會。佞佛之謂，所不敢辭。亦望諸山，全提共唱。師其將謂彼自無瘡，而慎勿傷之也哉。

> 禅の学問は古来より高く評価されてきましたが、その中でも最上の一乗は、永遠に三界を超越するものです。その教えを説き、手や眼を用いて人々や天の世界に示す時節や因縁は、明確で少しも違わないのです。 牧亭大師が慶雲寺で法座を開かれた時、参禅する弟子たちは非常に多く、後に彼らの語録をまとめて私に見せてくださいました。その書物を読んで、私は深く感慨し、長いため息をつきました。それは、仏法が日々衰退し、人心が古くなくなり、善い縁がますます軽くなっているからです。例えて言うなら、現代の人が心から長安（理想の地）に行きたいと思いながら、道に迷って道を知らず、ついにそこに辿り着く日がないようなものです。さらに、道を尋ねるには、すでに通った人に聞くべきですが、その道案内に出会っても、その人自身が実際に辿り着いていないなら、そこに至ることはますます難しくなります。このように、仏法の衰退は学び手の過ちであり、しかしそれだけが学び手の過ちとは言えません。 大師はこの衰退する流れの中にあって、強く立ちはだかり、この道を担ってくださいました。龍や象が哀れに鳴く時に大きな鐘を打ち、魚や龍が混ざり合う時に仏の音を響かせ、全力で人々を導き、老婆のような親切心で切に願われました。大切なのは、この事が元々完全に成就しており、他から得るものではないと知ることです。生死には関係しない境地、鬼神でさえ見破れない機微、混沌を切り開き、暗闇を打ち破る悟り、三、五の周天を経て、北斗七星が季節を司るように、生まれながらの一着、一箭で人を驚かせ、九重の鉄の鼓も自然に氷のように溶け、陽の光が独り露わになり、古より今に輝き、虚空を粉々に打ち砕き、全体が現れるのです。 私は本来、鈍い根性の持ち主であり、加えて世俗の網に絡まれていますが、幼い頃から仏教の教えを慕い、昔から不思議な縁に恵まれてきました。思い起こせば、辛巳の年、突然海福禅寺で廬夢老人に再会しました。茶を飲みながら話し合い、私はかなり認めていただきました。その後、師が訪問に来られた時、老人も一緒にいました。その時に指示は明快で、直接的でした。廬夢老人は黄梅の正しい流派であり、師が法を得た本師です。老人が亡くなってから、もう二十年が経ちました。幸いにも師に出会い、多くの教えをいただきました。例えて言うなら、水を飲むように、その冷暖は心で感じるものです。頭に注がれる甘露の味を、どうしてその出所を忘れられましょうか。ただ痛むのは、衆生が大事を悟らないことです。業の根が循環し、因縁が絡み合って、三身を完成させることが難しく、四智を成就する望みも持てません。しかし、宝の珠が元々衣服の中にあるように、灯りがすなわち火であることを知るべきです。今、師の語録を読んで、深く思いを馳せています。思うに、これは修行者にとっての利益はまだ少ないかもしれません。しかし、今の時代にあって、この道への貢献は非常に大きいものがあります。そこで、この言葉を序文として記し、法会に臨む思いを表します。仏にへつらうという非難は、恐れずに受けましょう。また、諸山の寺院の皆さまにも、共にこの教えを説き広めていただきたいと願います。師は、相手に元々傷がないのに、わざわざ傷つけてはならないとおっしゃるでしょう。

雍正十一年歲在癸丑陽月李焞敬題

> 雍正十一年、歳は癸丑、陽月の吉日。李焞、敬んで題す。