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title: "平山堂圖志 · 第五泉"
description: "平山堂圖志由清代趙之璧編撰，是一部記錄江蘇揚州平山堂及周邊佛教景觀的專志。該書成於乾隆時期，詳載平山堂的歷史沿革、建築布局、文物古蹟及相關詩文軼事。內容融合佛教寺院與文人雅集傳統，展現清代江南佛教與文化的交融。作為地方佛教史志的重要文獻，它為研究清代佛教建築、地域文化及士人佛教信仰提供了珍貴史料，在佛教地理志中具有獨特地位。"
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### 第五泉

> 第五の泉

〔張又新煎茶水記〕刑部侍郎劉公伯芻稱較水之與茶宜者，以揚州大明寺水為第五。

> 〔張又新『煎茶水記』〕刑部侍郎の劉伯芻公は、水と茶の相性を比較して、揚州の大明寺の水を第五位と評した。

〔張邦基墨莊漫錄〕元祐六年七夕東坡時，知揚州與發運使晁端彦吳倅晁无咎大明寺汲塔院西廊井，與下院蜀井水較其高下，以塔院水為勝。

> 元祐六年の七夕、東坡は揚州の知事として在任中、発運使の晁端彦と呉倅の晁无咎とともに大明寺を訪れました。塔院の西廊にある井戸と、下院の蜀井の水を汲み、その良し悪しを比べたところ、塔院の水の方が優れていると評されました。

〔小志〕第五泉在平山堂西明景泰間，有僧智滄溟行脚至揚，郡守王宗貫、衛使李鎧等為之結茅，於平山堂側，掘地得井，内有殘碑，刊大明禪寺數字嘉靖中廵鹽御史餘姚徐九臯書第五泉三字，光祿寺丞郡人。火坤建亭泉上國朝康熙間，太守金鎮重建。

> 〈小志〉第五の泉は平山堂の西にあり、明の景泰年間（1450-1456年）、智滄溟という僧が修行の旅で揚州に至りました。郡守の王宗貫や衛使の李鎧らが彼のために平山堂の傍らに庵を結び、地面を掘ると井戸が現れ、中に「大明禅寺」と刻まれた残碑がありました。嘉靖年間（1522-1566年）には、巡塩御史の餘姚徐九臯が「第五泉」の三字を書き、光祿寺丞の郡人・火坤が泉の上に亭を建てました。清朝の康熙年間（1662-1722年）には、太守の金鎮がこれを再建しました。

〔攬勝志〕乾隆二年應庚鑿山，池得古井，圍十五尺，深二十丈。較智僧所濬者，廣狹既異，而泉復清美。過之中，有唐景福錢數十文有古磚刻殿司二字，詳其地正。墨莊漫錄所謂塔院西廊也。

> 〔攬勝志〕乾隆二年、庚戌の年に山を開き、池を掘って古井戸を発見した。周囲は十五尺、深さは二十丈。智僧がかつて掘った井戸と比べると、広さも深さも異なり、水はまた清らかで美しい。その中を通り過ぎると、唐の景福年間の銭が数十枚と、古い煉瓦に「殿司」の二字が刻まれているのを見つけた。詳しくその場所を調べると、まさに『墨莊漫錄』に記されている塔院の西廊に当たる。

〔小志又云〕古井在山巔，當是西廊井。新井卑下去，山堂甚遠。當是下院。井古井，清甘而冽，新井雖清，較遜古井，知味者必能辨之。

> 〔小志にまた云う〕古井は山の頂上にあり、これは西廊の井戸であろう。新井は低い所にあり、山堂からはかなり遠い。これは下院であろう。古井は清らかで甘く冷たく、新井も清らかではあるが、古井には及ばない。味をわきまえる者は必ず見分けられるであろう。

〔今按〕兩泉並王平山堂園内汪應庚志，則謂濬池所得井為古之第五泉。程夢星志，則謂明僧所得井為古之第五泉，而以新得井為下院。蜀井據墨莊漫錄，但兩井並稱，亦不言孰為第五泉？可知在宋時已無定說，況今兩井俱得自近，代古之第五泉，果復出人間與否，不可得而知也。姑存其說以備考。

> 〔今、考えるに〕二つの泉はともに王平山堂の庭園内にある。汪応庚の記録によれば、池を掘った時に見つかった井戸が古の第五泉であるとしている。一方、程夢星の記録では、明代の僧が見つけた井戸が古の第五泉であり、新しく見つかった井戸は下院のものだとしている。蜀井については『墨荘漫録』に記されているが、二つの井戸を並べて言及しているだけで、どちらが第五泉かは述べていない。これにより、宋代の時点ですでに定説がなかったことがわかる。ましてや現代では、両方の井戸が近世になってから見つかったものであり、古の第五泉が本当に再び世に出たかどうかは、知る由もない。ここでは、一つの説として記録にとどめ、参考に供するにとどめておく。

宋時泉上有美泉亭，歐陽修建。

> 宋の時代、泉のほとりに美泉亭という建物がありました。これは欧陽修によって建てられたものです。

〔修集自注〕大明井美泉亭，今無可考。

> 〔修集自注〕大明井美泉亭は、今となっては確かめる術がない。