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title: "山暉禪師語錄 · 福慧序"
description: "山暉禪師語錄是清代臨濟宗僧山暉行浣的禪法記錄，由弟子如崇等人編錄。該書成於清初，反映了明末清初禪宗在社會動盪中的傳承與發展。內容涵蓋山暉禪師的上堂開示、機鋒問答、法語書信等，展現其直指人心、見性成佛的禪學思想，並融匯淨土信仰，體現了禪淨雙修的時代特點。作為臨濟宗的重要文獻，該語錄不僅是研究清初禪宗思想與實踐的珍貴史料，也對後世禪修者具有指導意義，在漢傳佛教語錄體系中佔有一席之地。"
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### 又

> また

慧常讀五鐙及百氏書，天下名藍莫不有命世宗師應運開法其閒，而生緣出載亦詳且悉矣。獨是黔南一掌地，不惟地不生其人，而人亦不屑居於此，盍地愚而俗陋故也。殆考郡志，自有唐南將軍伐黑羊始建黔州，歷有明神廟初始置省會，王新建謫龍場驛，民始知學，亦猶文翁之始在蜀也。其後也，名緇宿衲閒有接錫而來者，然終以寒來暑往、秋至春去，未有留期年而興化於其閒也。我長松老師手接報恩衣缽，遠擅臨濟宗旨，既顯揚於平越黃甕之閒，一時願學於師者惟恐後，則亦猶達磨之來嵩少也。師臨眾玅密，不憚精神，必期學者盡趨佛祖之域而後已，乃亦不避言之多也，於是端居、岳樵諸兄咸載而紀之。慧懼年深易於散失，遣人徵而裒集，得上堂四卷、小參晚參二卷、機緣法語又二卷、雜偈尺牘又四卷，使龍光上長老走吳越覓善梓者，登諸木以公仝好。其普說、其拈頌、其贊、其佛事、其雜箸，慧又望我仝門諸兄為老師拈出。

> 私は常に五燈と諸子百家の書を読み、天下の名だたる寺院には、いずれも時の流れに応じて法を開く世の指導者がいることを知っていた。その生い立ちや事績も詳しく記録されている。ただ、黔南というこの一帯だけは、土地が優れた人材を生まず、また人々もこの地に住むことを好まなかった。それは土地が未開で風俗が質素だったからである。郡志を調べてみると、唐の南将軍が黒羊を討伐して黔州を初めて設置し、明の神廟の時代に至って初めて省都が置かれた。王陽明先生が龍場の駅に流されてから、人々はようやく学問というものを知るようになった。これは蜀の文翁の教化のはじまりに似ている。その後、名高い僧侶や修行者が時折この地を訪れることもあったが、結局は寒来暑往、秋去春来するように、一年も留まって教化を行う者はなかった。我が長松老師は報恩寺の法衣と袈裟を継承し、遠く臨済宗の宗旨を受け継ぎ、すでに平越・黄甕の間でその名を世に示していた。ひととき老師のもとでの修行を願う者は後れを取ることを恐れた。これは達磨大師が嵩山の少林寺に来たのに喩えられよう。老師は大衆に対しては巧みに沈黙し、精神を惜しむことなく、必ず修行者を仏祖の境地に導いて初めて止めるという方針だったが、それゆえに言葉を多くすることも避けなかった。そこで端居・岳樵の諸兄がともに言葉を書き留めて記録した。私は長い年月のうちに散逸することを恐れ、人を遣わしてそれらを求め集めた。上堂四巻、小参・晩参二巻、機縁法語二巻、雑偈・尺牘四巻を得た。龍光寺の上座である長老に呉越へ赴かせ、すぐれた彫版師を求めて、版木に彫らせて同じ志を持つ人々に公開した。その普説、拈頌、賛、仏事、雑著については、私はまた我らが同門の諸兄が老師のために取り出してくださることを望むものである。

渝州門人福慧熏沐書於嵩山之醉祖堂

> 渝州の門人・福慧が、心を清め香をたいて、嵩山の酔祖堂にて謹んで書き記す。