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title: "鴈山志 · 重修敘"
description: "雁山志是明代学者朱谏编纂并由胡汝宁重编的一部佛教山志经典。该书成于明代中后期，正值中国佛教与传统文化深度融合、地方志编修兴盛之时。全书系统记载了雁荡山的自然景观、人文古迹与佛教发展，重点收录寺院沿革、高僧传记及佛教诗文，融合地理志与佛教史的特色。作为雁荡山首部系统山志，它不仅是中国佛教地理志的重要文献，为研究东南佛教传播与名山佛教文化提供了珍贵史料，更体现了佛教与中国山水文化的交融，在佛教名山志中具有承前启后的学术地位。"
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### 重修鴈山志敘

> 『雁山志』改訂版の序

樂邑在浙東南之濱，其山脉自天台走海上，至此則石骨嶙峋，巃嵸嵂崒，竒形怪態，刻削天巧，海內好樂之士爭慕之，即不獲逰，亦必索圖志，以髣髴覩其山川之勝。然每以刻久字刓，不便觀覽為恨。余治樂之二年，適兵道唐公出示察院馬公鴈山紀勝詩三十韻，命刊入志前，且令考舊志，仍加鋟明。余遂求先續二志及近日詩文若干卷，統皆翻刻，以不負唐公之命，而得縱目扵騷人詞客之所為，大都誇詠其瑰崴絕特之状，登眺臨觀之美，亦云偁矣。而新安樸溪潘公一序，獨切切焉。慮民疲於供命之艱，先是置之末簡。余竊謂古人之用心，果好異乎？昔齊景公欲為轉附朝儛之觀，而晏子進以興發補不足；范文正公記岳陽樓，以直寫其江湖廊廟之憂；盖士君子致君澤民之猷負之素定，誠不以玩物遷也。公之意其在斯歟？其在斯歟？公，前樂清令也，余去公逺，不及盡得其當時治樂之所設施，然傳者謂公誠心愛民，靡事炫餙，觀此益信。不然，昔今之令樂者凡幾，而公，民有專祀，嵗時奔走不懈，豈人力也哉！因移其文，弁於山志之首。是役也，博稽精校，蔣生國輔、林生有鳳，與有勞焉，得併書之。

> 楽清は浙江東南の海岸に位置し、その山脈は天台山から海上へとのび、この地に至って険しい岩肌が露出し、そびえ立ち、奇怪な形は天の技巧が極められています。そのため、天下の風流を愛する人々はこぞって憧れ、たとえ訪れることができなくとも、絵図や地誌を求めてその山川の素晴らしさを想像しようとします。しかし、版木が長く経って文字が摩耗し、見にくいのが惜しまれてきました。 私が楽清を治めて二年目のとき、ちょうど兵道の唐公が按察使の馬公の「雁山紀勝詩」三十韻を披露され、志の前に刻んで掲載するよう命じられました。さらに旧志を校訂し、新たに彫り直すよう指示されました。そこで私は先に編まれた二つの志や、近頃の詩文数巻を求め、すべて翻刻することで、唐公のご命令に応えようとしました。こうして詩人や文士たちの作品を存分に味わうことができましたが、そのほとんどは山の荘厳で特異な様子や、眺望の美しさを賛美したものであり、実にふさわしいといえましょう。 しかし、新安の樸溪・潘公の序文だけは、ひたすら民衆が賦役に疲れ果てていることを憂慮し、あえて巻末に置かれていました。私は思うに、古の人の心遣いは、本当に異を好んだのでしょうか。昔、斉の景公が転附・朝儛の景色を見たいと望んだとき、晏子は民の苦しみを救うよう進言しました。また范仲庵が岳陽楼の記を書いたのは、江湖や朝廷への憂いを直接述べるためでした。そもそも君子が国を治め民を潤す抱負は、日頃から備わっているものであり、遊び心で移り変わるものではありません。潘公の意図もまた、ここにあるのでしょう。ここにあるのでしょう。 潘公はかつて楽清の県令でした。私はその時代から遠く離れており、彼が楽清で施した政策の全てを知ることはできません。しかし、伝え聞くところによれば、潘公は誠心をもって民を愛し、飾り立てることを好まなかったといいます。この序文を見て、ますますその言葉が信じられるようになりました。もしそうでなければ、これまで楽清の県令となった者は大勢いますが、潘公だけが民の専らの祭祀を受け、年中欠かさず参拝が絶えないということが、人の力だけで成し得るでしょうか。 そこで私はこの文を移動し、山志の巻頭に掲げることにしました。この事業には、蒋生国輔、林生有鳳が広く調査し精密に校訂する労をとってくれましたので、併せて記すこととします。

峕萬曆辛巳秋八月之吉南昌胡汝寧識

> 万暦辛巳秋八月吉日、南昌胡汝寧識