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title: "鴈山志 · 能仁寺"
description: "雁山志是明代学者朱谏编纂并由胡汝宁重编的一部佛教山志经典。该书成于明代中后期，正值中国佛教与传统文化深度融合、地方志编修兴盛之时。全书系统记载了雁荡山的自然景观、人文古迹与佛教发展，重点收录寺院沿革、高僧传记及佛教诗文，融合地理志与佛教史的特色。作为雁荡山首部系统山志，它不仅是中国佛教地理志的重要文献，为研究东南佛教传播与名山佛教文化提供了珍贵史料，更体现了佛教与中国山水文化的交融，在佛教名山志中具有承前启后的学术地位。"
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### 能仁寺

> 能仁寺

在西內谷丹芳嶺下即四十九盤嶺，相傳諾詎那為開山祖。

> 西内谷の丹芳嶺<note place="inline">すなわち四十九盤嶺</note>の下にあり、伝説によれば諾詎那（ニルグナ）が開山の祖とされています。

按西域書，第五位尊者諾詎那大阿羅漢續居震旦南大海際鴈蕩山。又云：龍湫雁蕩，乃吾佛弟子諾詎那尊者之化都也。詎那至山中觀瀑，遂坐化焉。宋太平興國元年丙子，僧全了入山結菴而居，名芙蓉菴詳開山下。至咸平二年，始建殿宇。四年，寺僧進百宝塔，賜名承天寺。政和七年，以禁中有承天寺，改能仁寺。紹興十二年，郡守閭丘昕奏改能仁禪院，遂為鴈山大道場。後皇舅太寧郡王請寺為奉先地，詔賜額曰時思薦福寺。至乾道七年，以太上皇后命復為能仁寺。元至正丙午，遭兵燹。

> \- \*\*西域の書によれば、第五位の尊者、諾詎那（ナクナ）大阿羅漢が、震旦（中国）の南の大海のほとり、雁蕩山に住み続けたと伝えられる。\*\* - \*\*また、龍湫（りゅうしゅう）や雁蕩は、我が仏弟子である諾詎那尊者が姿を変えた聖地であるとも言う。\*\* - \*\*詎那は山に入り滝を眺め、そのまま座ったまま入滅（亡くなった）とされる。\*\* - \*\*宋の太平興国元年（976年）、僧・全了（ぜんりょう）が山に入り、庵を結んで住んだ。その庵を芙蓉庵と名付けた（※詳細は「開山下」の項を参照）。\*\* - \*\*威平2年（999年）に至って、初めて本格的な殿堂が建てられた。\*\* - \*\*威平4年（1001年）、寺の僧が百宝の塔を献上したため、寺は「承天寺」という名を賜った。\*\* - \*\*政和7年（1117年）、宮中に承天寺があったため、寺名を「能仁寺」と改めた。\*\* - \*\*紹興12年（1142年）、その地の長官であった閭丘昕（りょきゅうきん）が奏上し、「能仁禅院」と改められ、雁蕩山の大寺院となった。\*\* - \*\*その後、国舅（皇帝の義理の兄弟）である太寧郡王が、この寺を祖先祭祀の地としたいと願い出たため、皇帝は「時思薦福寺」という額を下賜した。\*\* - \*\*乾道7年（1171年）には、太上皇后（退位した皇后）の命により、再び能仁寺となった。\*\* - \*\*元の至正26年（1366年）、戦火に見舞われた。\*\*

國朝洪武二十四年立成叢林，至三十一年，僧曇竺修建殿宇，後圮。萬曆六年，督撫常熟徐公栻重建。

> 明朝の洪武24年（1391年）に一大僧院が建立されましたが、洪武31年（1398年）に曇竺という僧が本堂を修復しました。その後、建物は荒廃しました。万暦6年（1578年）、江蘇省常熟出身の徐栻提督によって再建されました。