---
title: "密行忍禪師語錄 · 行實"
description: "密行忍禪師語錄是清代禪師寂忍的語錄集，由弟子明廣、明珍等人編纂，依駒本印行，附有嗣燈錄。該書成於清朝佛教禪宗發展時期，記錄了密行忍禪師的開示、機鋒對話及修行指導，集中體現其禪法思想，強調實修實證與心地工夫。作為清代禪宗重要文獻，它不僅傳承臨濟宗風，也為研究當時禪學脈絡提供了珍貴史料，在佛教典籍中具有承先啟後的學術與修行價值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgnk6k3006spjj04h2ar1itq"
---

### 行實

師坐次，旵拙禪人率眾作禮炷香，請說行由。師作色曰：「家醜何堪外揚？畫蛇寧用添足？山僧惡狀那可言傳？」旵等再拜啟曰：「伏望和尚不吝慈悲，令彼初機有所矜式，兼杜魔外千萬讒狺。」師喟然曰：「我此一眾初無前後，同見同聞且同食息，誰是初機取人矜式？況先聖云：『勿輕未悟。』汝直欲我毀裂成範。且佛祖前言往行，學者視之例如敝屣，而反欲我誇張駑駘、取笑大方，是何心行？然山僧行腳已有同學同行聞見于前，何患惡魔之囂囂耶？但是殘局難為結殺，今日面赤不如語直，以釋諸人胸中疑悶。余乃雲南宜良縣人，父姓谷、母時氏，家計貧寒，幼未讀書。一十四歲出家，禮竹子山竹林寺順語老師剃落。十七歲住滇南雲臺山，拜《楞嚴》經題。十九忽動無常生死之想，即欲訪問。偶有德海禪客自雞足來，予為安單喫茶次，語及生死大事，余心喜此言有相為處，遂三更時分把燭至單前作禮長跪，乞垂開導，蒙禪德示我：僧問趙州：『狗子還有佛性也無？』州曰：『無。』底公案，勉囑參究。予即不分晝夜參：狗子有佛性也無？無。如是五載，了無下。因思雲臺僻處滇南，素無參禪師訓，山中同住者例皆熟習赴應，獨我一人不入群隊，含恥忍詬陸沉下板，歲月飄忽一事無成，念所做處宛如嚼銕，一則恐非良法、一則恐錯用心，畫虎成狗取笑他人，不如別求善導著實修行，庶幾不枉出世做人一番，便將前來參究工夫打底放下，卻往澂江府羅藏山打木魚念佛。後因家師以計誘我下山，至貴州龍里雲臺又住四載。一日，遇濟凡禪師問曰：『密行師每日所行何事？』予曰：『無事可行。』濟曰：『莫道無事好，你胸中分明有一事未了，何妨舉來大家商量？』予被他一言打動心事，秖得從直供通，謂：『昔日有一禪德告我參「僧問趙州：狗子有佛性也無？趙曰：無」底話頭刻苦窮究，經于五載無個入處，便乃一時放下，至今未了。』濟曰：『好個一時放下至今未了，可惜你鏟地不知落處。』予作禮曰：『願垂示誨。』濟劈面掌曰：『鈍置殺人。』予仍不會，再求開示。時濟師見我遲鈍，乃顰蹙而言曰：『參禪參到無可奈何處是得力處，猶如戰士失卻寶刀，雖則赤手，以勇健故不顧利害，拍馬直前奪取敵人手中器械便殺人去。』予于言下忽然見得趙州老子下手處，更不禮謝，將濟師驀口一摑推出門外，濟師抖身大笑而去。予爾後日用事之難易，應念解釋。是時，闡化滇黔尊宿謂予力量過人，皆欲致我于座下，適燕居大師來山，予即隨至新漆受戒。圓戒日，予合掌跪地次，有居士來予前作禮，予與一掌拓開，居士向大師道：『今日一會，止有一個戒子。』予聞，傳語居士曰：『合取狗口。』一日入室，大師曰：『竿頭絲線從君弄，不犯清波意自殊。那裏是不犯處？』予拂袖出，索筆書偈呈大師曰：『漁父垂絲釣，江頭惡浪高。本來空寂寂，那怕犯波濤？』大師改寂寂作寂寞，予拜而出。解制後，歸龍里雲臺，與抱拙夜坐，拙曰：『師年四九，猶不著忙。』予曰：『忙甚麼？』拙曰：『為佛弟子，當報佛恩。不見道：將此深心奉塵剎耶？』予曰：『莫屎沸。』拙曰：『師聽某言，某則侍左右行；不聽某言，某則歸川中去。』如是三反四覆，叨呾不已。予因攜之離雲臺山，一路參訪數位禪師，末後至夔州府梁山縣參雙桂老和尚，問：『不遠千里來相見，千里內即不問，千里外一句作麼生道？』師曰：『兩眼對兩眼。』予即作禮出。一日，砌墻腳有蜈蚣走出，予絕叫曰：『一條蜈蚣。』師回顧，予即以石打作兩段。本師見兩頭齊動，問曰：『你道他性命在阿那頭？』予以腳蹋卻，曰：『一舉兩得。』本師曰：『究竟不知在阿那頭？』予呈偈曰：『者個蜈蚣太煞奇，戰場不怕斷頭皮。攔腰一擊重開眼，正是當陽種毒時。』師點首。一日，師問書記止止曰：『古人道：「舉一不得舉二，放過一著落在第二。」且道一如何舉？』止云：『錯。』師曰：『是你錯？是我錯？』止無語，予應聲曰：『錯！錯！』本師便打，予作禮出。次年師誕，一僧整酒供養，有二蚊子落杯中，一僧將箸挑出，師曰：『此二條性命要汝償。』僧無對，予即曰：『是甚麼所在，由你索命？』一日，師顧曰：『聞你要歸滇，是否？』予曰：『是。』師曰：『幾時去？』予曰：『請了真贊即去。』師曰：『描得也未？』予曰：『已描得。』師顧侍僧曰：『將桌子抬向堂上。』書曰：『走半天下，住三家村，鼓粥飯氣，大昌惡聲。咦！佛祖位中留不住，秖得向酒的死、肉的生。破山老人題。』一眾稱賀。是時，本師威喜并著，即將攸之上座一手卷書正法眼藏四大字，復書偈曰：『蚊子喁喁上鐵牛，無容下嘴處難酬，紛紛一夏歸山去，遇虎逢龍攜出頭。』丙申七月初四日，寓雙桂堂，傳曹溪正脈第三十五世破山明手書付密行寂忍禪人。正與麼時，山僧秖得將錯就錯，禮了三拜，直至如今，左不得、右不得，到處被人捧在堂上，謂之堂頭，直是屈辱諸方、點汙佛祖至此。」驀拈拄杖召眾云：「大眾！且道山僧即今與未行腳、未出母胎時是同是別？」有僧下語，截住云：「何不道將謂有多少奇特？」旵禪人擬率眾焚香作禮，拈拄杖一時打散，歸方丈。

> 師が座っていると、旵拙禅人が大衆を率いて礼拝し、香を焚き、修行の経緯を話すよう請いました。師は厳しい表情で言いました。「家の恥をどうして外に広められよう？蛇に足を描く必要がどこにある？山僧の悪い様子など、どうして語り伝えられようか？」旵らは再び礼をして願いました。「どうか和尚様、慈悲をお惜しみなく、初心者たちが教えの手本とできるようにしてください。また、魔や外道の無数の誹謗を防いでください。」師は嘆息して言いました。「私のこの一団には元より前後はなく、共に見、共に聞き、共に飲食し休息している。誰が初心者で、人の手本を取るのか？まして先聖は『悟りなき者を軽んじるな』と言った。お前たちはまさに私に規範を破壊させようとしている。しかも仏祖の先人の言葉や行いは、学者たちは古びた草履のように見なしている。それなのに、お前たちは私に駄馬を誇らせ、大方の笑いを取らせようとする。これはどんな心のはたらきか？しかし山僧が行脚した時には、すでに同学や同行が先に知り見ている。どうして悪魔の騒ぎ立てを憂えることがあろう？ただ、終盤の局面を決着させるのは難しい。今日は顔を赤らめるより、言葉を正直にするほうがよい。諸君の胸中の疑いや悩みを晴らそう。私は雲南省宜良県の出身である。父は谷氏、母は時氏。家計は貧しく、幼い頃に学問はしなかった。十四歳で出家し、竹子山竹林寺の順語老師のもとで剃髪した。十七歳で雲南の雲臺山に住み、『楞嚴経』の題を礼拝した。十九歳で突然、無常や生死の思いが動き、すぐに尋ね訪ねたいと思った。偶々、徳海禅客が鶏足山から来たので、私は彼に宿を提供し茶を飲みながら、生死の大事について話した。私はこの言葉に手助けがあると喜び、三更時に灯りを持って彼の寝所に行き、礼拝して長跪し、導きを請うた。禅徳は私に示した。『僧が趙州に問うた。「狗子に佛性はあるのか、ないのか？」趙州は「無」と答えた。』という公案を、熟考するよう励まし指示した。私は昼夜を分かたずに参究した。狗子に佛性はあるのか、ないのか？無。このように五年間、全く落ち着くところがなかった。雲臺山は滇南の僻地にあり、元より参禅の師匠の教えがなく、山中の共同居住者たちは皆、法要に応じることに慣れていた。ただ私一人だけが仲間に入らず、恥を忍び、沈黙し、年月は過ぎ去り、一事も成せなかった。自分の修行は鉄を噛むようで、一つには良い方法ではないのではと恐れ、一つには心を間違えて使っているのではと恐れ、虎を描こうとして犬になり他人の笑いを取るより、別の良い導きを求めて、真剣に修行し、せめてこの世に生まれ出た甲斐があるようにしようと思った。そこで、これまでの参究の工夫を全て放下し、澄江府の羅蔵山に行き、木魚を叩き念仏した。後に、家師に策をもって山下に誘い出され、貴州の龍里雲臺山にまた四年住んだ。ある日、済凡禅師に出会い、問われた。「密行師は毎日、何を修行されているのですか？」私は言った。「修行すべきことは何もありません。」済は言った。「何事もないと言うな。あなたの胸中には明らかに一つ、未了のことがある。それを挙げて、皆で相談してはどうか？」私はこの一言で心の内を突かれ、正直に告白しなければならなくなった。「昔、ある禅徳が私に、『僧が趙州に問うた。狗子に佛性はあるのか、ないのか？趙は「無」と答えた。』という公案を刻苦して究めるよう教え、五年間も入るところがなく、そのまま一時に放下し、今に至るまで未了なのです。」済は言った。「良い『一時放下』で、今に至るまで未了だ。惜しいことに、あなたはその落ち着くところを全く知らない。」私は礼をして言った。「どうか教示をお願いします。」済は私の顔を平手で打ち、「鈍さに殺されるな。」私はそれでも分からず、再び開示を求めた。その時、済師は私の愚鈍さを見て、眉をひそめて言った。「参禅は行き詰まったところが力の出るところだ。例えるなら、戦士が宝刀を失っても、勇敢であるゆえに利害を顧みず、馬を駆って真っ直ぐ前に進み、敵の手中の武器を奪い取って、人を殺しに行くようなものだ。」私はこの言葉で、突然に趙州老子の手を下すところを見た。礼もせず、済師の口をいきなり平手で打ち、戸外に追い出した。済師は身を震わせ大笑いして去っていった。私はその後、日常の事柄の難易を、思いのままに解釈した。この時、滇黔の長老僧たちは私の力量が人に勝ると評し、皆、私を自分の座下に置こうとした。折良く燕居大師が山に来られ、私はすぐに従って新漆に行き戒を受けた。戒を受け終えた日、私は合掌して跪いていた。そこに居士が来て私に礼をした。私は彼に一掌を打って開いた。居士は大師に言った。「今日のこの会には、ただ一人の戒子がいるだけです。」私はこれを聞き、居士に伝言させた。「犬口を閉じよ。」ある日、室に入ると、大師が言った。「竿頭の糸は君の思いのままに操るがよい。清波を犯さずして、その意味は自ずから異なる。その犯さざる所はどこか？」私は袖を払って出て、筆を借りて偈を書き、大師に差し出した。「漁父が釣り糸を垂れる、江頭の悪浪は高い。本来、空寂寂たり、どうして波濤を犯すを怖れん？」大師は「寂寂」を「寂寞」と改め、私は礼をして出た。結制の後、竜里の雲臺山に帰り、抱拙と夜坐した。拙が言った。「師は四十九歳、まだ忙しくされません。」私は言った。「何を忙しくするのか？」拙は言った。「仏の弟子として、仏恩に報いるべきです。『この深心を塵刹に捧げん』と言われているのをご存じないのですか？」私は言った。「糞を沸かすな。」拙は言った。「師が私の言葉を聞いて下されば、私は師の左右に侍って行きます。聞いて下さらなければ、私は川中に帰ります。」こうして三度四度、しつこく言い続けた。私は已むを得ず彼を連れて雲臺山を離れ、道中、数人の禅師を訪ね、最後に夔州府梁山県の双桂老和尚を参じて問うた。「遠路千里を厭わず、お目にかかりに参りました。千里以内は問いません。千里の外の一句、如何にして道いますか？」師は言った。「両眼、両眼に対して。」私はすぐに礼をして出た。ある日、壁の根元を積んでいると、百足虫が出てきた。私は絶叫した。「一匹の百足虫だ。」師が振り返ると、私はすぐに石で二つに打ち割った。本師は両方の端が動くのを見て、問うた。「お前は、彼の生命はどちらの端にあると言うのか？」私は足で踏みつけて言った。「一挙両得。」本師は言った。「結局、どちらの端にあるか分からない。」私は偈を差し出して言った。「この百足虫、あまりに奇怪なり。戦場で断頭の皮を怖れず。腰を一撃され、再び開眼す。正に当陽、毒を種うる時。」師はうなずいた。ある日、師は書記の止止に問うた。「古人は言った。『一つを挙げるに二つを挙げるな。一つを譲れば、二つ目に落ちる。』さて、一を如何にして挙げるのか？」止は言った。「誤り。」師は言った。「お前の誤りか？私の誤りか？」止は無言だった。私は声を発して言った。「誤り！誤り！」本師はすぐに打ち、私は礼をして出た。翌年、師の誕生日に、ある僧が酒を用意して供養した。二匹の蚊が杯の中に落ちた。一人の僧が箸でこれを拾い出した。師は言った。「この二つの命は、お前が償え。」僧は答えられなかった。私はすぐに言った。「これは何の場所だ、お前が命を請求できるのか？」ある日、師は私を見て言った。「お前が滇に帰ると聞いたが、本当か？」私は言った。「はい。」師は言った。「いつ行くのか？」私は言った。「真賛（肖像賛）を賜れば、すぐに行きます。」師は言った。「描き写したのか？」私は言った。「既に描き写しました。」師は侍僧に言った。「机を堂上に運べ。」そして書いた。「天下を半ば歩き、三家村に住み、粥飯の気を起こし、大いに悪声を轟かす。ああ！仏祖の位に留まらず、酒の死、肉の生に向かうのみ。破山老人、題す。」一団が皆、祝福した。この時、本師の威徳と喜びは共に顕れ、すぐに攸之上座の一手巻きの書に「正法眼蔵」の四大字を書き、さらに偈を書いた。「蚊が喁喁と鉄牛に上る、下す口無く酬いるに難し。紛紛と一夏、山に帰る。虎に遇い龍に逢いて、頭を携え出づ。」丙申年七月四日、双桂堂に寓し、曹渓正脈第三十五世破山明、手書きして密行寂忍禅人に付す。正にこの時、山僧は已むを得ず過ちを過ちのままに受け入れ、三拝した。今に至るまで、左もならず右もならず、あちこちで人に堂上に奉られ、堂頭と呼ばれ、これはまさに諸方を辱め、仏祖を汚すことこの上ない。」不意に錫杖を取り、大衆を呼んで言った。「大衆よ！さて、山僧は今、行脚していない時、母胎を出ていない時と、同じか、別か？」ある僧が下の句を言い、遮って言った。「どうして『いったい何の奇特があるのか』と言わないのか？」旵禅人は大衆を率いて焚香礼拝しようとしたが、錫杖で一斉に打ち散らし、方丈に帰った。