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title: "雲峰體宗寧禪師語錄 · 住瀘州方山雲峰禪寺"
description: "雲峰體宗寧禪師語錄是清代禪宗高僧體宗寧的語錄彙編由弟子續清等人編纂德玉與徹生作序並附有行實依駒本印刊行該書收錄了體宗寧禪師的開示法語機鋒對答及詩偈等內容集中體現了其禪學思想與修行指導反映了清初禪宗的風貌與發展在中國佛教史上具有重要地位是研究明清禪宗特別是臨濟宗思想與傳承的寶貴文獻對了解當時禪門的實踐與理論有不可替代的價值"
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順治九年三月十三日，川南道吳公諱登啟暨闔郡士庶等，請師住瀘州方山雲峰禪寺。

> 順治九年三月十三日、川南道の吳登啟氏とその地域の役人や民衆が、師を瀘州方山雲峰禅寺の住職としてお迎えしました。

三門。「十方無壁落，四面亦無門。且向甚麼處入？」卓拄杖，喝一喝，便進。

> 三門。「十方に壁も落ちもなく、四方に門もない。いったい、どこから入るのだ？」と。杖を卓り、一声喝して、そのまま入った。

祖師。「九年冷坐，禍出私門，至今不了，殃及兒孫。一瓣黃檀，觸碎鼻根。」

> 祖師よ。九年の間、冷たく坐り続けたことで、災いが自らの家に起こり、今に至るまで解決せず、子孫にまでその災いが及んでいる。一片の黄檀の香を焚けば、鼻の感覚さえも打ち砕かれてしまう。

佛殿。喝一喝，云：「佛之一字，吾不喜聞。如今事不獲已，覿面相逢，不免將錯就錯。」大展三拜。

> 仏殿にて、一喝して言った。「『仏』という一字、私は聞きたくない。今、やむを得ず、目の前で向かい合ってしまった以上、誤りをそのままにしておくわけにもいかない。」そして、大きく三拝した。

方丈。「法空為座，毘耶為室，一任沒量，人來到此，易形改志。」

> 方丈。法の空を座とし、毘耶（維摩の住む世界）を室とする。ここに来る人々は、その量り知れない人々も、身を変え心を改めることを許される。

當晚小參。「道真常而不渝，事因時而自變，當馬祖、百丈法幢重建，大振宗風，如官商角徵，無不俱作，及近代以來，叢林寂寞，縱是黃鍾大呂，音響杳絕，佛日下衰，幸遇蘭臺吳公，德布川南，弘護聖教，請山僧住持此山，激揚斯道，起已墜之風，作將來眼新。雲峰有一韻，不落宮商曲調，試問諸人，還有善和者麼？」一僧出作禮，師作聽勢，云：「依稀似曲纔堪聽，又被風吹別調中。」喝一喝，下座。

> その夜の小参（しょうさん）にて、師は言われた。「道は真実（まこと）にして常に変わらず、事は時に因って自ずから変わる。馬祖（ばそ）・百丈（ひゃくじょう）の法幢（ほうとう）が再び建てられ、宗風を大いに振るった頃は、宮（きゅう）・商（しょう）・角（かく）・徴（ち）・羽（う）の五音が、すべて同時に鳴り響くかのようであった。近世に及んで、叢林（そうりん）は寂寞（せきばく）とし、たとえ黄鐘（おうしょう）・大呂（たいりょ）の名器といえども、その音は絶え果てた。仏の日もまた傾きかけたが、幸いにも蘭臺の呉公（ごこう）に出会い、その徳は川南に広まり、聖教を広く護り、我をしてこの山の住持たらしめ、この道を励まし起こし、既に堕ちたる風を興し、将来の眼目を新たにせんとされた。雲峰には一つの韻（いん）あり。宮・商の曲調には落ちず、試みに諸人に問う——善く和（わ）し得る者ありや？」その時、一人の僧が出でて礼拝した。師は聞き取るような様子をして言われた。「かすかに曲に似て、かろうじて聞くに堪えたり。されどまた風に吹かれて、別の調べの中に移る。」一喝（いっかつ）して、座を下りられた。

結制，上堂。師詣座，云：「燈王寶座，不立纖塵，大眾見麼？其或踟躕，未免撒沙撒土去也。」遂陞。炷香云：「此一瓣香，臥雲眠月，冒雨經風，本自天然，不從人得。爇向爐中，供養三世諸佛，歷代祖師，惟冀新新恒，泛渡人舟，念念常懷未了願。」次拈云：「此一瓣香，三賢莫曉，十聖那知，昔日埋沒壒𡒁堆頭，今朝拈來人天座上，祝延今上皇帝萬安，滿朝文武、闔國公卿、遠近檀那、現前大眾，惟願堯風再扇，舜日重明。」再拈云：「此一瓣香，萬峰十載歷盡艱辛，火爐頭邊親蒙付囑，爇向爐中，供養見住夔州府梁山縣萬峰山太平禪寺，傳曹溪正脈三十五世破山本師明和尚，用酬法乳之恩。」斂衣趺坐。上首白槌，云：「法筵龍象眾，當觀第一義。」師云：「不沐煙波不挂旛，日長無事睡齁鼾，翻然來作孤舟客，惟喜金鱗上釣竿。有麼？」問答罷，乃云：「昔年古寺成幽靘，今日翻為選佛場，朽柱敗椽齊側耳，泥團瓦礫盡生光。如是則知，盡世界山河大地、草木叢林，纖毫縷結，塵塵剎剎，一時成佛去也，眾中還有心空及第者麼？」一僧出作禮，師云：「將謂拋磚引玉，原來只引得箇土墼子。」上首結槌云：「諦觀法王法，法王法如是。」下座。

> 結制のため、上堂する。師は座に進み、言う：「燈王の宝座は、微細な塵すら立てず。大衆、見えているか？ もしためらうならば、砂を撒き土を投げることになるだろう。」そして座に登る。香を拈って言う：「この一片の香は、臥雲眠月、冒雨経風、元来自然にして、人より得たものではない。炉中に焚き、三世諸仏、歴代祖師に供養する。ただ願わくは、新新として恒に人を渡す船を泛べ、念念に常に未了の願いを懐かんことを。」次に拈って言う：「この一片の香は、三賢も曉らず、十聖も知らない。昔日は埃の山に埋もれていたが、今朝拈って人天の座に置く。今上皇帝の万安を祝い、満朝の文武、全国の公卿、遠近の檀那、現前の大衆に、ただ願わくは堯の風再び扇ぎ、舜の日重ねて明らかならんことを。」再び拈って言う：「この一片の香は、万峰の十年、艱辛を歴尽し、火炉の頭辺にて親しく付嘱を蒙った。炉中に焚き、現在夔州府梁山県万峰山太平禅寺に住し、曹溪正脈三十五世を伝える破山本師明和尚に供养し、もって法乳の恩に酬いる。」衣を整え趺坐する。上首が槌を白して言う：「法筵の竜象の衆、当に第一義を観ずべし。」師は言う：「煙波に沐さず旛も挂けず、日長くして事無く鼾を睡る。翻然として来たり孤舟の客と作る、惟だ喜ぶ金鱗の釣竿に上るを。有麼？」問答が終わり、乃ち言う：「昔年の古寺は幽靘を成し、今日翻って選仏場と為る。朽柱敗椽も斉しく耳を傾け、泥団瓦礫も尽く光を生ず。是くの如くならば則ち知る、尽世界山河大地、草木叢林、纖毫縷結、塵塵剎剎、一時に成仏して去ることを。衆中に還た心空及び第する者有りや？」一僧出でて礼する。師は言う：「将に抛磚引玉と言うべきか、元来只だ土墼子を引き得たるのみ。」上首が槌を結んで言う：「諦に法王の法を観ずれば、法王の法は是くの如し。」下座す。

上堂。問：「如何是第一義？」師便打，僧大笑，師復打。問：「知何是雲峰頂？」師云：「雪霽山頭雲漫漫。」進云：「如何是深深處？」師云：「溪聲流處水潺潺。」乃云：「此事若向鐘鼓未鳴以前薦得，略較些子。只待登曲彔木，佻佻達達，轉沒交涉。何故？是法不可示，言辭相寂滅。」

> 上堂（説法のため席に上る）。僧が問う：「如何なるか是第一義（最高の真理）？」師は即座に打つ。僧は大笑する。師は再び打つ。 また問う：「如何なるか是れ雲峰の頂？」師曰く：「雪が晴れて、山の頭には雲が漫々と広がる。」 さらに進みて問う：「如何なるか是れ深深の処？」師曰く：「渓の声の流れる処に、水は潺潺と音を立てる。」 そこで師は述べる：「この事（真理）を、もし鐘や太鼓が鳴る以前に悟ることができれば、少しは（理解に）近づく。ただ曲録の木（説法の座）に登って、軽々しく立ち振る舞うだけでは、かえって（真理から）遠ざかるばかりだ。なぜか？この法は示すことができず、言辞の相は寂滅しているからである。」

上堂。「事存函蓋合，理應箭鋒拄，去此二重關，佛眼覷不著，惟有拄杖子，全身能擔荷。」卓一卓，云：「今日錯下註腳。」

> 上堂で言われた。「物事は箱に蓋がぴったり合うように備わり、理法は矢じりが突き合うように応じる。この二重の関門を離れれば、仏眼をもってしても見極めることはできない。ただこの杖だけが、その全体を一身に担うことができるのだ。」そして杖を一度突いて、こう仰せられた。「今日は註釈を誤って付けてしまった。」

上堂。問：「不落昏沉，不隨掉舉，目前歷歷明明，未審是學人入處否？」師云：「腳跟下好與三十棒。」進云：「古人道：『吹毛用了急須磨』，且道吹毛作麼生用？」師便打，乃云：「若論第一義諦，了無可觀，既無可觀，亦無可說，無觀無說，盡大地無一絲毫頭障礙，無一絲毫頭分別，雲峰只得向第二義門聊通一線。」以拄杖畫○，云：「大眾還知麼？」一僧云：「還有者箇在。」師云：「不因樵子徑，爭到葛洪家？」

> 上堂（法話のため登壇）。問い：「昏沈に落ちず、掉挙にも随わず、目の前にはっきりと明らかに見えている。これは修行者の入るところでしょうか？」師は言われた：「足元に三十棒を食らわせたいところだ。」さらに問う：「古人は『吹毛（鋭利な刀）は使ったらすぐに研ぐべし』と言いました。では、吹毛をどのように使うのでしょうか？」師はそこで打ち、そして言われた：「もし第一義諦について論じるならば、見るべきものは全くない。見るものがないのだから、説くこともできない。見ることも説くこともなく、全大地に髪の毛一本分の障害もなく、髪の毛一本分の分別もない。雲峰はただ第二義門において、かろうじて一線を通すのみである。」柱杖で○を描き、言われた：「みなさん、分かりますか？」一人の僧が言った：「まだこれがあります。」師は言われた：「樵夫の踏み分けた道がなければ、どうして葛洪の家に至ることができようか？」

新戒，請上堂。「戒慧定三無漏學，空假中一性圓明，然雖如是，金屑雖貴，落眼成翳。若向者裏見得徹去，花街柳巷皆為淨戒；如涉纖疑，十重四十八輕一齊俱犯。」

> 新たに戒を受けた方々よ、法堂に上がりなさい。 戒・定・慧の三つの無漏の学び、そして空・仮・中の三観は、もとより一つの本性に円満に明らかである。しかし、たとえその通りであっても、金の屑は貴いけれども、目に入れば曇りとなる。 もしここで徹底的に見通すことができれば、花街や柳巷もすべて清らかな戒となる。しかし、わずかでも疑いが絡めば、十重戒も四十八軽戒も、すべて同時に犯すことになるのである。

解制，上堂。問：「語默涉離微，如何通不犯？」師搖手，云：「犯也。」問：「昔日世尊拈花，迦葉微笑，今日和尚不拈花，學人不微笑，以甚麼作將來正眼？」師豎拄杖，云：「會麼？」進云：「紅日東升方覺曉，兩重公案一拈花。」師云：「莫妄想。」乃卓拄杖，云：「莫謂者裏沒生涯，驀地相逢盡是他，堪憐逐臭尋香者，誰能謝卻眼中花。若是眼裏無花，且道燈籠與露柱鬥額、三門騎佛殿升堂，雪霽山拱手，三堆子點頭，又作麼生？不見一法即如來，方得名為觀自在。」

> 解制の日、上堂の説法があった。 ある僧が問うた。「言葉と沈黙の両方が、深遠な真理の細やかな働きに関わるものですが、どのようにすればその真理を犯さずに通じることができましょうか。」 老師は手を振って、「犯しているぞ。」と言った。 また別の僧が問うた。「昔、世尊が花を拈って示された時、迦葉が微笑みました。今日、和尚様は花をお拈みにならず、学人も微笑みません。それでは、何をもって将来の正しい眼目と致しましょうか。」 老師は柱杖を立てて、「分かるか？」と言った。 僧がさらに進み出て言った。「紅い日が東に昇ってようやく夜が明けたと知る、二つの公案は一つの拈花でございます。」 老師は「妄想するな。」と言った。 そして柱杖を突き立てて、言った。 「ここに生涯（いのちの働き）がないと思うな。ふと出会えば、全てがそれ（真理）である。臭いを追い、香りを尋ねる者たちは哀れだ。誰が眼の中の花を払い去ることができようか。 もし眼の中に花がなければ、言ってみよ。提灯と露柱が額を突き合わせ、三門が仏殿に乗って堂に上り、雪が晴れて山々が拱手し、三堆子（庭の石）が頷くとは、一体どういうことか？ 一法も見なければ、すなわち如来。この時、初めて観自在と名付けられるのだ。」

結制上堂。問：「穿衣喫飯的是誰？」師云：「難道汝自己也不識？」僧禮拜，乃云：「十月十五，聖制方來，衲子齊立，雲峰本無一法，看來物物瞥地，且道盞子落地，碟子成七片，汝等諸人作麼生會？」一僧喝，一僧走出法堂，師復云：「可憐不是當家子，孤負蒼蒼兩道眉。」

上堂。問：「應物現形，如水中月，作麼生說箇現的道理？」師便打。問：「十方同聚會，箇箇學無為，今日上堂，是有為？是無為？」師豎拄杖，云：「試定當看。」乃云：「是法無形，通貫十方，目前現用，人信不及，便乃認名認句，向文字中求、意地下卜度，天地懸殊。」卓拄杖，云：「雪上加霜。」

上堂。問：「雲峰門庭即不問，如何是堂奧中事？」師云：「你即今在甚麼處？」僧喝，師云：「堂奧也不識。」問：「禪床上喝散白雲，心地中掀翻大藏，請問證據在甚麼處？」師便打，乃云：「朔風颯颯沒遮攔，吹得人人毛骨寒，就裏一點藏不得，只為當人作境觀。所謂熱則普天匣地熱，寒則普天匣地寒。」舉：「僧問古德：『學人被寒暑相侵，向甚麼處迴避？』德云：『寒時寒殺闍黎，熱時熱殺闍黎。』雲峰今日不然，寒也寒不殺，熱也熱不殺，卻被伊瞞殺。」

上堂。問：「和尚未出方丈，學人早已領棒了也，未審如何是陞堂意旨？」師云：「再與三十。」問：「杲日當空時如何？」師云：「腳跟下橫三豎四。」進云：「不識路頭窮，如何歸故鄉？」師打，云：「過。」乃云：「道契則鄰，不在身近。居見聞之地，見聞莫能及；處思議之際，思議莫能測。雲峰今日不忍杜口，只得無言說中顯言說、無方便處設方便，所謂言發非聲，語不干舌，治世語言、資生業等，皆與實相不相違背。不立有無一句作麼生道？撒手似君無一物，徒勞謾說數千般。」

解制，上堂。問：「出將入相的人如何管待？」師打，乃云：「拈槌豎拂，土上加堆，結制安禪，無繩自縛。自從今日始，不以佛聖為師，隨處作主，遇緣即宗，腳跟下不被草鞋瞞，切忌三千里外逢人，不得錯舉。」

結制，上堂。問：「杖頭有眼明如日，如何是杖頭眼？」師云：「瞎。」進云：「不會。」師卓拄杖，云：「且向者裏著。」乃云：「今朝十月十五，無端打動法鼓，露柱燈籠出班，畫壁粉牆作舞，看來多不著便，不如且退，長連床上各自嘴盧都。」復舉：「教中云：『若見諸相非相，即見如來。』古德云：『若見諸相非相，不見如來。』」師云：「一人掘地覓天，一人將曲作直。雲峰道：『山河大地，塵塵剎剎，歷歷分明，那箇是如來？』」

上堂。問：「屏卻咽喉脣吻，如何道得親切句？」師便打。進云：「恁麼則瞎卻天下人眼去也。」師復打，云：「瞎卻汝一箇。」乃云：「冬月初一日，隆寒滿大地，覿面不相饒，豈能避得及，避不及，就裏幾人能瞥地？」

上堂。問：「猛虎以肉為食，因甚不食其子？」師云：「自肉食不盡。」問：「古人睹桃花得悟，今人睹和尚拄杖，因甚不悟？」師云：「捧上不成龍。」乃云：「殺佛殺祖，本分為人，行棒行喝，節外生枝，所謂肥邊易得，瘦處難求，欲知恁麼事，須是恁麼人，既是恁麼人，提持恁麼事，便能隨處村歌社舞，那管舜德堯仁？」以拄杖劃一劃，云：「還委悉麼？龍袖拂開全體現，象王行處絕狐蹤。」

上堂。乃云：「大地輒寒霜，灼灼露睛光，只因資薦悼，陞座為舉揚。茲乃本空上座薦弟天寵徐公，且道徐公即今何在？」驀呈拄杖，云：「會麼？在山僧拄杖頭上現大人相，示無住三昧。若此見得，過去不滅，未來不生，現在無住，三際平等，一性圓明，遊戲天上人間，信步三途六道，去來無礙，縱橫任性，不離此箇三昧。若涉纖疑，即落陰界。還知麼？隨順世緣無罣礙，涅槃生死等空花。」

解制，上堂。問：「下元結制，上元解制，結即不無，解後現前。」大眾問：「甚麼處去？」師云：「頭頂是天，腳踏實地。」進云：「恁麼則空空蕩蕩去也。」師云：「只恐不是玉，是玉也大奇。」乃云：「陽氣新添春日長，紫燕聲聲遶畫梁，分明底物不相借，有何佛法可商量？」

結制，上堂。問：「連對兩單人，幾箇是知音？」師云：「是你不知音。」僧便喝，師便打，乃云：「干戈時節強安禪，柴米油鹽事未便，雖見苦空真寂寞，千古靈機尚宛然。」驀呈拄杖，云：「者箇是拄杖，那箇是靈機，向者裏明得，始見自己立地處，即見三世諸佛、歷代祖師立地處；盡世界山河大地，明暗色空，四生六道，九種十類，塵塵剎剎立地處。可以攝大千沙界於一微塵，於一毛端現寶王剎，一道平沉，方圓無際。若信不及，業識忙忙，終無了日。」擊禪床，下座。

解制，上堂。問：「一喝分賓主，學人已喝了，且道那裏是賓，那裏是主？」師云：「賓主歷然。」僧喝，師便打。問：「九旬期畢，如何是末後句？」師云：「福建人喫荔枝。」乃云：「三年聚首，事無不知，冷眼看來，一場敗闕。於中檢點得出，亦任七縱八橫；檢點不出，常住裏有飯有粥。」

拙溪邢太守薦嚴，請上堂。問：「數年尋人，當面錯過，而今尋著，乃拉不脫時如何？」師云：「腦後欠一槌。」問：「啜茶打溼嘴，喫飯沾牙齒，還有參學分也無？」師云：「有。」進云：「也是缽盂安柄。」師打。問：「人生有形有相，死後無瑕無影，即今亡者在甚麼處？」師云：「雪霽山頭雲現嶂。」進云：「和尚莫瞞人。」師云：「是汝自瞞。」乃云：「來兮不觸張王姓，去也何隨秋與冬，分明一具黃金骨，無奈時人逢不逢。」驀拈拄杖，云：「還見聞源熊老大人於山僧拄杖頭上放光現瑞，橫來豎去，出沒自由，證無相三昧也無？若信得及，不惟報達現前父母，且天恩、地恩、君恩、師恩，過去父母九玄七祖，一時報畢。」復卓拄杖，云：「還知麼？無邊剎海隨遊戲，妙高峰頂任往還。」