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title: "雲峰體宗寧禪師語錄 · 行實"
description: "雲峰體宗寧禪師語錄是清代禪宗高僧體宗寧的語錄彙編由弟子續清等人編纂德玉與徹生作序並附有行實依駒本印刊行該書收錄了體宗寧禪師的開示法語機鋒對答及詩偈等內容集中體現了其禪學思想與修行指導反映了清初禪宗的風貌與發展在中國佛教史上具有重要地位是研究明清禪宗特別是臨濟宗思想與傳承的寶貴文獻對了解當時禪門的實踐與理論有不可替代的價值"
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### 行實

一日，眾入方丈，請示行實，師曰：「生來資質闇鈍，錯用工夫，恐誤後學。」眾曰：「從上諸聖皆有來由，和尚慈悲，以示來學。」師曰：「我係瀘州，父姓李，母趙，於戊戌年六月初十日午時生，先夜見日光照室，母對父云：『房中自來暗，何故日光來照？』又亦不知。一歲父喪，七歲時見窗前人影，驚疑人生有此影，人死影歸何處？在山土崩，在水水流，又在何處？自己怕生死，呆呆十餘日，母罵曰：『此兒養憨了。』混於群兒隊中頑滑，忘了此境。凡自己行，見風搖木作聲，此境現前。十五歲，白母出家，二十五歲遊歷講肆，三十五參雙桂老人，乃問：『學人痛念生死，乞師開示。』老人曰：『汝作法師，經中種種方便，還要我方便？』予云：『佛之方便雖多，不知那句得力？』老人云：『唯佛與佛乃能知之，知箇甚麼？』予云：『不會。』苦參七箇月，忽然病目，數夜未睡。象崖云：『眼以睡為食，何不睡覺？』粥後睡至午時，梆聲驚醒，方纔伸腳，如登脫一塊大石，不見山河大地、殿宇房舍，惟見一段紫光，少頃不見，通身慶快，兩眼如舊，對相知說。象崖云：『此是識神變現，不可取著。』從此妄想不生，工夫做不上，清清冷冷，四十餘日，從前經論、公案，零零碎碎，不知悟了多少。一日止靜，維那分咐香燈：『不可放宜興壺在佛前，你只說他是泥塑木雕。』予不覺踏翻漆桶，大汗如洗，至開靜，進方丈，白老人云：『學人昔時聞說無一物，信不及，果然今日無一物。』老人云：『你無一物，者一問從何處來？』予云：『和尚從何處荅？』老人微笑，予作禮，老人劈頭一踏云：『石人腰帶。』老人住中慶，予職維那，一日陪客喫茶，二僧從內江過，有一僧化緣，說：『是堂中人。』傍僧說：『和上那的也有人。』予云：『你不知遍大地是箇和尚。』老人云：『你不曉得那箇是真和尚？』予云：『還有箇真假在？』老人云：『汝還辯別不出？』予不覺慚愧失色。靈筏云：『若知真和尚，大眾請喫茶。』少頃，老人引話道：『饒州燒磁器，釉子在黃山出，有兩樣，惟家識得者箇石，將來塗坯才釉，若不識此石，怎得釉？』予當時疑悶一夜，至天明，偶然透得者公案，早粥畢，老人落堂云：『往年有供養沒好僧，今年有好僧沒供養。』予鼓兩袖而出，老人云：『謝供養。』依老人十載，不離左右，日聽玄音。一日解制，老人將源流拂子、萬峰院事付囑，予辭曰：『學人屢生福薄，現居學地，敢當大任？』辭脫院事出萬峰，今日因眾數數逼我，不覺露出，者一絡索，不知臉皮厚多少？」一眾禮謝而退。

> ある日、大衆が方丈に集まり、行実（修行の履歴）の開示を請うた。師は言われた。「私は生まれつき資質が鈍く、工夫を誤ってきたので、後学の者を誤らせてしまうことを恐れている。」大衆が言った。「古来より諸聖には皆、由来があります。和尚様、どうか慈悲をもって、後学の者にお示しください。」師は言われた。「私は瀘州の出身で、父は李姓、母は趙姓である。戊戌年の六月初十日午時に生まれた。生まれる前夜、日光が部屋を照らすのを見た。母が父に言った。『部屋の中は元々暗いのに、どうして日光が照らしてくるのでしょう？』と。また、私も知らない。一歳で父を亡くし、七歳の時、窓の前の人影を見て、驚き疑った。人は生きている間にこの影があるのなら、死んだら影はどこへ行くのか？山では土が崩れ、水では水が流れる、またどこにあるのか？自分自身が生死を恐れ、ぼんやりと十余日過ごした。母が叱って言った。『この子は育ててほんとうに愚かになった。』と。子供たちの群れに混じって遊び回り、この境地を忘れてしまった。自分が歩く時、風に揺れる木の音を見聞きすると、この境地が現れ出る。十五歳で母に白して出家し、二十五歳で講肆（教えを学ぶ場）を遊歴し、三十五歳で双桂老人に参じた。そこで問うた。『学人は生死を痛切に念じております。どうか和尚様、ご開示ください。』老人は言った。『汝は法師である。経の中に種々の方便があるではないか。それでも我に方便を求めるのか？』私は言った。『仏の方便は多いですが、どの一句が力があるのか分かりません。』老人は言った。『ただ仏と仏とのみがこれを知るのである。何を知るというのか？』私は言った。『分かりません。』と。七ヶ月間苦しく参究したが、突然目を病み、数晩眠れなかった。象崖が言った。『眼は眠りを食とする。どうして眠らないのか？』粥の後、午時まで眠り、梆の音に驚かされて目覚め、ようやく脚を伸ばすと、まるで大きな石を落としたかのようで、山河大地も、殿宇房舎も見えず、ただ一段の紫光だけが見え、しばらくして消えた。全身が喜びに満ち、両眼は以前の通りであった。知己にこのことを話すと、象崖が言った。『これは識神の変現である。取著してはならない。』と。このことから妄想は生じず、工夫は上のらない。清々しく冷ややかに、四十余日が過ぎた。以前からの経論や公案が、ぼろぼろと、いくつ悟ったか分からない。ある日、止静の時、維那が香燈に言った。『宜興の壺を仏の前に置いてはならない。あなたはただ、あれは泥で作り木で彫ったものだと言いなさい。』私は思わず漆桶を踏み倒し、汗が雨のように流れた。開静になり、方丈に入り、老人に言った。『学人は昔、何もない一物と言うのを聞いても、信じきれませんでしたが、今日、本当に一物もないことを悟りました。』老人は言った。『汝に一物もないのなら、この問いはどこから来たのか？』私は言った。『和尚様はどこから答えられますか？』老人は微笑し、私は礼をした。老人は頭から踏みつけて言った。『石人の腰帯。』と。老人が中慶に住された時、私は維那の任にあった。ある日、客に茶を接待していると、二人の僧が内江から来た。一人の僧が教化のために言った。『堂中の者である。』と。傍らの僧が言った。『和尚の所にもそんな人がいるのか。』私は言った。『あなたは知らない。大地全体が一人の和尚であることを。』老人は言った。『汝はあの者が真の和尚であるか分からないのか？』私は言った。『まだ真偽があるのですか？』老人は言った。『汝はまだ弁別できないのか？』私は思わず恥じ入って顔色を失った。霊筏が言った。『もし真の和尚を知るなら、大衆に茶を請う。』しばらくして、老人は話を引き取って言った。『饒州で磁器を焼く時、釉子は黄山で出る。二種類あるが、ただ家のみがこの石を識る。これを取って坯に塗って初めて釉となる。もしこの石を識らなければ、どうして釉が得られようか？』私はその時、疑い悶えて一夜を過ごした。夜明けになって、ふとこの公案を悟った。粥が終わると、老人が堂に下りて言った。『昔は供養はあったが良い僧はいなかった。今年は良い僧はいるが供養がない。』私は両袖を振って出て行った。老人が言った。『供養を謝す。』と。老人に十年仕え、左右を離れず、日々、玄妙な音を聞いた。ある日、解制の時、老人が源流の拂子と萬峰院の事を付嘱された。私は辞して言った。『学人は幾世も福が薄く、今は学地に居ります。よく大任を担えましょうか？』と。院事を辞して萬峰を出た。今日、大衆が何度も迫るので、思わずこの一絡索を露わしてしまった。顔の皮がどれほど厚くなったか分からない。」大衆は皆、礼をして謝し、退いた。