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title: "香嚴禪師語錄 · 示慧燈禪人"
description: "香嚴禪師語錄是清代禪師釋說明的弟子耀等人編錄的禪宗語錄由葉燮作序並附有行實主要內容是香嚴禪師的開示語錄機鋒轉語和修行指導體現了臨濟宗的禪風該語錄記錄了禪師在修行與教學中的智慧結晶對研究清代禪宗思想與實踐具有重要價值是了解當時禪門風貌和修行方法的重要文獻在佛教典籍中佔有一席之地為禪學研究者和修行者提供了參考依據"
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### 示慧燈禪人

> 慧燈禅人に示す

達磨大師從南天國來，秪要覓個不受惑底人，有能於一言之下，一信永信，不被人惑，雖未能擴充力量，日久揩磨，自能光騰千古。如大梅得即心即佛一句，便隱梅山二十年，乃有馬祖梅子熟之記。茲慧燈上座初未知有此事，因入普明隨喜七期，便發心坐香，山僧不甚逼拶，因見荅旁僧即心即佛之句，領會自己面目，作偈呈見，遂深信此事。次年復來打七求戒，驗以法身邊事，可稱不惑，但百尺竿頭未能進步，如啞子喫蜜相似。然古來自了漢、俱胝打地之流，雖不大興波作浪，而流芳千古者，皆真實中來。因以如意一柄與之，使其於本分中如意行持，不為物礙，管取臘月三十日得自由自在去也。偈曰：即心即佛事無差，會得從教到處誇，如意行持無不是，頭頭物物更何加？珍重。

> 達磨大師は南天国から来られて、ただ惑わされない人を探しておられた。一言の下で、一度信じたら永遠に信じ、人に惑わされない者がいるなら、まだ力量を広げていなくても、日々磨き続ければ、自然と千古に光り輝くことができる。例えば大梅和尚が「即心即仏」の一句を得て、梅山に二十年隠れたことで、馬祖が「梅子は熟した」と言った逸話がある。 今、慧燈上座は初めこのことを知らなかったが、普明での七日の打七に参加して随喜し、坐香をする心を発した。山僧はあまり厳しく問答で逼らなかったが、彼が傍らの僧が「即心即仏」と答えるのを見て、自分の本来の面目を悟り、偈を作って見せたので、深くこのことを信じるようになった。 翌年、また来て打七に参加し、戒を求めた。法身の辺りのことを試してみると、「不惑」と言えるが、百尺竿頭においてはまだ進歩できず、あたかも唖者が蜜を嘗めたようなものだ。しかし古来より、自ら悟った者、俱胝和尚や打地和尚のような人々は、大きな波風を立てなかったが、千古に名を残した。それは皆、真実から来ているからだ。 そこで如意一柄を与えて、その者が本分の中で如意に修行し、物に妨げられないようにした。必ずや臘月三十日（臨終の日）に、自由自在に去っていけるであろう。 偈に曰く、 即心即仏の事、差し違えなし、 会得すれば、教えのままに到る処で誇れよう、 如意に行持すれば、是ならざるはなし、 頭頭物物、更に何を加えようか。 珍重せよ。

此事不論僧俗男女皆可了悟，以人人本具之佛性靈明廓徹，但為妄想執著各成異見，乃有六道四生之別。故曰：迷即眾生，悟即諸佛。只在一念回機而已。慧燈上座於辛酉歲在普明堂中聞舉即心即佛公案，而得自受用三昧，雖未到大梅田地，其固守自寶藏，不為外物所轉，志可嘉也。但惜闡尼失於參，不能再進竿頭，如啞人作夢而不能道也。然能念念不忘、心心無間，焉知不到末山總持輩境界耶？茲值六旬之誕，道人不應世諦祝慶，因書片語以助竿頭。且如做生日，不識他是阿誰生底？本來父母今在何處？請下一語相稱，是真做生日也。速道！速道！

> この事は、僧侶であれ在家であれ、男であれ女であれ、皆が悟ることができるのです。なぜなら、すべての人が本来備えている仏性は、霊妙で明らかであり、広く透き徹っているからです。ただ、妄想や執着によって、それぞれ異なる見解を生じ、それゆえに六道や四生の違いがあるのです。だから言うのです、「迷えばすなわち衆生、悟ればすなわち諸仏」と。ただ一念が回転するだけなのです。 慧燈上人は、辛酉の年に普明堂で「即心即仏」の公案を聞いて、自受用三昧を得ました。まだ大梅和尚の境地には達していませんが、自らの宝蔵を堅く守り、外物に動かされないその志は称賛に値します。ただ惜しむらくは、参究が欠けており、竿頭をさらに進めることができず、あたかも哑者が夢を見ても語れないような状態であることです。しかし、念念に忘れず、心心に間断なければ、どうして末山尼の総持の境地に至らないことがありましょうか。 このたび、六十歳の誕生日を迎えるにあたり、道人は世俗の祝い事に応じることなく、一言を書いて竿頭の進展を助けたいと思います。さて、誕生日を祝うにあたって、「彼は誰が生んだのか」と知っていますか。本来の父母は今どこにいるのでしょうか。一言、答えをください。それこそが真の誕生日の祝いなのです。速く言え、速く言え！