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title: "香嚴禪師語錄 · 新元和尚牧牛圖序"
description: "香嚴禪師語錄是清代禪師釋說明的弟子耀等人編錄的禪宗語錄由葉燮作序並附有行實主要內容是香嚴禪師的開示語錄機鋒轉語和修行指導體現了臨濟宗的禪風該語錄記錄了禪師在修行與教學中的智慧結晶對研究清代禪宗思想與實踐具有重要價值是了解當時禪門風貌和修行方法的重要文獻在佛教典籍中佔有一席之地為禪學研究者和修行者提供了參考依據"
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### 新元和尚牧牛圖序

> 新元和尚牧牛図序

昔馬祖問石鞏：「汝在此作甚麼？」答曰：「牧牛。」祖曰：「作麼生牧？」答曰：「一回入草去，驀鼻拽將來。」祖曰：「子真善牧牛者。」以致南泉、溈山、懶安、郭功甫輩，皆牧成一頭露地白牛，踏翻香海、踢倒須彌，超然物外，得大自由。及五代時，有普明禪師，老婆心切，起模畫模，作牧牛圖并頌，自未牧初調，以致人牛兩忘，曲盡態度。其頌十首，流傳已久，倡和亦多，獨嚴𨍏轢居士和韻十有餘過。復又中興普明古剎，請我先師聞法，大振鞭策，欲使盡地奔狂，頓成獨照。新元和尚為先師猶子，首座普明則亦橐鞬從事於大牢君者，深獲牧牛之法，卜隱蓮溪，為嘉禾紳衿請住漏澤禪院，意欲耕轉鴛湖之地，以牓四維，可謂有志於大白牛車者矣。曾於丁亥示余牧牛圖一冊，皆近世名公尊宿所書，詩畫相兼，曲入奧妙。今戊午冬，余繼席開戒，和尚枉贊羯，說法之暇，出卷索題，展之，則又牧牛圖也。筆法古俏，形體殊絕，曲盡馴梗之狀，云是明州大老黃公之筆，其與趙文敏之用心亦勝矣。所和原韻，辭旨超逸，深得牧牛之法，則又一士大夫李次公之製，可與𨍏轢並轡。展玩再四，不忍釋手，深愧牛性未調，牛力未備，焉能提舉牧牛之旨？然已入此牛欄，或致牽繩挽鼻，於和尚分中亦大費力，只得道個吽吽，和尚亦撫掌呵呵，相忘於人牛之外。若曰題頌，其實未能。

> 昔、馬祖が石鞏に問うた。「汝、ここで何をしておるのか。」石鞏が答える。「牛を牧しております。」馬祖が問う。「いかなるふうに牧するのか。」答えて曰く、「一度、草むらに入り込めば、鼻をぐいと引いて連れ戻します。」馬祖が言う。「汝は本当に牛を牧するのが上手い者だ。」それから南泉、潙山、懶安、郭功甫らの人々もみな、一頭の露地の白牛を牧し上げて、香海を踏み越え、須弥山を蹴り倒し、世俗を超越して、大いなる自由を得たのである。 五代の頃になると、普明禅師という方がおられ、老婆心ながらも、手本を示し、形を描き、牧牛図と頌を作られた。まだ牧されていない牛から、調え始め、ついには人も牛も共に忘れ去るという境地に至るまで、その様子を余すところなく描き出している。その頌は十首あり、長く世に伝わり、唱和する者も多かったが、特に厳𨍏轢居士が韻を踏んで和したものは十数回に及んだ。また、普明の古刹を中興し、私の先師を招いて法を聞き、大いに鞭を振るって、狂奔する心をすべて尽くさせ、たちまち独り照らす境地に至らせようとされた。 新元和尚は先師の甥にあたり、首座の普明もまた、まさに袋や弓袋を背負って大牢君に仕える者のごとく、牧牛の法を深く会得し、蓮溪に隠棲することを選んだが、嘉禾の紳士や学者たちに請われて漏澤禅院に住し、鴛湖の地を耕し、四方を示そうと志した。まことに大白牛車に志す者と言えよう。 かつて丁亥の年、私に牧牛図一冊を示されたが、それは近世の名士や尊宿たちが書いたもので、詩と画を兼ね備え、その奥義を極めていた。今、戊午の冬、私が法席を引き継ぎ戒を開くにあたり、和尚がわざわざ訪れ、説法の合間に巻物を取り出して題詞を求められた。開いてみると、また牧牛図である。筆法は古雅で巧妙、形体は格別に優れ、荒い牛も素直な牛もその様を尽くして描かれている。これは明州の大老、黄氏の筆によるものと言い、趙文敏の用心にも勝るとも劣らない。和された原韻は、言葉の趣きが超然として秀逸で、牧牛の法を深く会得しており、これも士大夫の李次公の作で、𨍏轢を並んで駆けるに足るものである。 繰り返し眺めても、手放すに忍びず、ただ自分の牛性がまだ調っておらず、牛力も備わっていないことを深く恥じるばかりである。どうして牧牛の旨を説き示すことができようか。しかし、すでにこの牛舎に入った以上、あるいは綱を引き鼻を引くことになるかもしれない。和尚の分にとっても大いに骨の折れることであるが、ただ「吽吽」と唱えるよりほかなく、和尚も手を打って呵呵と笑われる。人と牛の外にて互いに忘れ合うのである。もし題頌を求められても、実は私にはできないことなのである。