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title: "香嚴禪師語錄 · 敘異記"
description: "香嚴禪師語錄是清代禪師釋說明的弟子耀等人編錄的禪宗語錄由葉燮作序並附有行實主要內容是香嚴禪師的開示語錄機鋒轉語和修行指導體現了臨濟宗的禪風該語錄記錄了禪師在修行與教學中的智慧結晶對研究清代禪宗思想與實踐具有重要價值是了解當時禪門風貌和修行方法的重要文獻在佛教典籍中佔有一席之地為禪學研究者和修行者提供了參考依據"
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### 敘異記

> 異聞記

昔先師翁屬我先師云：「直指西來意，楊岐正脈通。」先師後為臨安邑侯楊琳請住縣之白洋山高峰妙祖結茆之所曰蟠龍院者，棲遲既久，為禾中紳衿延住普明禪剎，中興開法，接納高真。時值歲歉，極意彌縫，遂成嘉郡名席，十年艱苦，未滿所懷而逝。桂以愚拙，得侍四載，不異針芥之投。桂請語錄付梓，先師叱曰：「從上經論以致諸家法語汗牛充棟，而倍蓰之人未嘗閱，余言何及古人而欲傳世耶？雖上堂參請，一時方便語言皆不存錄，汝當志學古人，毋為我意。」及先師圓寂後，檢廢紙得錄一卷，乃侍僧所竊記者，文多倒置，語或差訛，桂即藏之，以俟梨棗。自康熙乙卯年守龕多障，未遂所懷，殆嗣席之三年，奮志編集，其所潤色，桂實裁以付劂，裝既成卷，捧錄告成像前。時庚申五月朔旦。桂禮拜纔畢，忽覺齒邊有物累累，以手捫之，得粒如蚌珠，視之有光，因思清晨漱洗已竟，何從有此？若藏宿齒隙，何以安然？不覺待供錄時流出，細視如晶狀，非砂石齒屑可比。竊思先師生平真實，潛修密行，所出言語皆真實中來。夫能真實，則遍通法界，應感精誠，而現奇特之相。聞之有三，皆道德所感，如高峰髮中生舍利、中峰像中出舍利、路公求舍利得瓶中、道士求舍利得口中、慶隆風沙所及俱舍利、摩伽道場精潔兩舍利，古今上士或潛或顯，數不能舉。由此觀之，或有感於不肖齒邊而證真實之說乎？桂不敢妄認是非，藏固匣中，以驗其後。今壬戌，清和偶出視之，光明炯炯，敬仰維新。桂因憶清隱山房遠祖冬谿和尚名布海內，桂童時，先祖指遺像謂曰：「此冬谿和尚也。」因述始末，桂遂立振起之志。及鼎革際，所藏諸像俱屬飄零，唯冬谿止存一面兩履，鮮明如昨，爰命畫手補身設供。又照孫疾篤，藥難投治，桂禱佛哀求，忽一泥丸墮前，外褁苔蘚，碎即發光，因與吞之，其疾頓愈。嗟乎！桂自睹冬谿而志於學，上無師誘，下絕良朋，多病弱植，荏苒其時，雖忝法門，智行全缺。今五十歲餘，病魔更熾，上失先德遺範，下乏英靈繼起，荒庵固守，與木石俱。先師之錄雖成，未能流通於世，然桂此心未嘗敢負佛祖之恩，此桂之本志也。因以三異為記。

> 昔、先師の翁が我が先師にこう言われました。「西来の意を直指すれば、楊岐の正脈は通ずる」と。先師はその後、臨安の県令である楊琳氏の請いにより、県内の白洋山にある高峰妙祖が茅を結んだ場所、蟠龍院と呼ばれるところに住まわれました。長くそこに留まった後、禾中の紳士や知識人たちに請われて普明禅刹に移られ、中興開法して多くの高僧たちを受け入れられました。ちょうどその頃、飢饉に見舞われ、全力を尽くしてその窮状を救われ、やがて嘉郡の名高い道場となりましたが、十年にわたる辛苦の末、思いを遂げずして遷化されました。 私は愚鈍でありながら、四年間お傍らに侍ることができ、まさに針と芥子のように気が合いました。私が語録の刊行を請うと、先師はお叱りになって言われました。「古来の経典や論書、諸家の法語は汗牛充棟の多さであり、その何倍もの人が読んだこともない。私の言葉がどうして古人に及ぼうか、ましてや伝世しようなどと思うのか。上堂の参請の際の一時の方便の言葉はすべて記録に残さずともよい。お前は古人に学ぶことを志しなさい。私の意に従ってはならない」と。 先師が遷化された後、廃紙を調べると一巻の記録を見つけました。それは侍僧が密かに記録していたもので、文章は多くが順序を誤り、言葉もところどころ間違っていました。私はそれをしまい込み、刊行の機会を待ちました。康熙乙卯年（1675年）以来、龕を守ることに多くの障害があり、思いを遂げられませんでしたが、後を継いで三年目に、力を奮って編集にあたりました。その加筆修正は私が裁量して校訂し、巻として装丁ができたので、録を捧げ持って像前に報告しました。時は庚申年（1680年）五月一日のことでした。 私が礼拝を終えたちょうどその時、ふと歯の辺りに何かがいくつかあるのを感じ、手で触れてみると、真珠のような粒を得ました。見ると光り輝いていました。朝の漱ぎを終えたばかりで、どこからこんなものが来たのだろうか。もし前日の食べ物が歯の隙間に残っていたなら、どうしてこんなに清らかでいられようか。供養の心づもりで録を捧げる時に自然と現れたのだと気づき、よく見ると水晶のような形で、砂や石、歯の屑とは比べものになりませんでした。 私はひそかに思いました。先師は生涯、真実に生き、密かに修行を積まれ、その言葉はすべて真実の中から出てきたものでした。真実であれば、法界に通じ、誠心に感じて、このような奇特な相を現すのです。これまでに三つの例を聞いています。すべて道徳による感応です。高峰禅師の髪から生じた舎利、中峰禅師の像から出た舎利、路公が舎利を求めて瓶の中に得たこと、道士が舎利を求めて口の中に得たこと、慶隆の風砂が触れるところすべてが舎利となったこと、摩伽の道場が清らかで二つの舎利が現れたこと。古今の優れた方々の中で、現れたり隠れたりすることが数え切れないほどありました。これを見るに、あるいはこの不肖の私の歯の辺りに感応して、真実の教えを証したのかもしれません。私は軽々しく是認することをせず、しっかりと箱にしまって、後の証しを待つことにしました。 今は壬戌年（1682年）、清和の頃、ふと取り出して見ると、光り輝いて明らかで、敬い仰ぐ心が新たになります。私は清隠山房の遠祖である冬谿和尚のことが思い出されました。その名は天下に知られていました。幼い頃、先祖が遺像を指さして言われたのです。「これが冬谿和尚だ」と。そして事の始まりを語られたので、私はそこで立ち上がろうという志を立てました。その後、時代の変わり目にあって、蔵していた多くの像は散逸してしまいましたが、冬谿和尚のものだけが面と履き物が一幅として残り、昨日のように鮮やかでした。そこで画工に命じて体を描き足させ、供養しました。 また照孫が病気で重篤になり、薬が効かない時がありました。私が仏に祈って切に願うと、忽然として一粒の土の丸が前に落ちてきました。外側は苔に覆われていましたが、砕くと光を放ちました。それを飲ませると、病気はたちまち治りました。 ああ、私は冬谿和尚を見て学問を志したものの、上には師の導きもなく、下には良い友人もなく、病が多く弱々しく、時は過ぎていきました。法門に連なりながら、智も行いも全く欠けています。今は五十歳を過ぎ、病魔はますます激しく、上では先徳の模範を失い、下ではすぐれた後継者がいません。荒れた庵に固守し、木石と共に過ごしています。先師の語録は完成したけれど、まだ世に広められていません。しかし、この私の心は、決して仏祖の恩に背こうとしたことはありません。これが私の本意です。よって三つの異事を記録として残すことにしました。