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title: "香嚴禪師語錄 · 十二時歌"
description: "香嚴禪師語錄是清代禪師釋說明的弟子耀等人編錄的禪宗語錄由葉燮作序並附有行實主要內容是香嚴禪師的開示語錄機鋒轉語和修行指導體現了臨濟宗的禪風該語錄記錄了禪師在修行與教學中的智慧結晶對研究清代禪宗思想與實踐具有重要價值是了解當時禪門風貌和修行方法的重要文獻在佛教典籍中佔有一席之地為禪學研究者和修行者提供了參考依據"
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### 十二時歌

> 十二時の歌

夜半子，鼾睡猶未止，猛如雷，貓兒捉老鼠。腰間虱子苦叮人，就手摸來已半死。

> 夜中過ぎ、いびきはまだ止まず、雷のように激しい。猫が鼠を捕まえる。 腰のあたりでは蚤が人を苦しめ、手でつかみ取れば、もう半死半生である。

雞鳴丑，怪他啼臭口，被頭溫，撩衣懶出手。晨鐘聲裡纔開眼，床頭月落光如走。

> 「鶏が鳴く丑（うし）の刻。憎らしいあの鳴き声が、臭い口を開けて響く。まだ暖かい布団の温もりに、衣をはおるのも億劫で手が出ない。朝の鐘の音でようやく目を開ければ、枕元に落ちる月明かりが、まるで逃げるように移りゆく。」

平旦寅，添香換水人，啟柴扉，煙雲沒半身。優游自在難拘束，衣裡明珠獨自尊。

> 明け方の寅の刻、 香を焚き、水を替える人。 柴の戸を開ければ、 雲煙が半身を包む。 悠然と自在に、束縛されることなく、 衣の中の名宝のごとく、ただ尊い。

日出卯，高低盡明了，造峰巔，一覽眾山小。不嫌草露濕衣裳，日照高林興不少。

> 朝日が卯の刻に昇ると、高いも低いもすべてが明らかになる。峰の頂上に立てば、すべての山々が小さく見える。草の露で衣が濡れるのを厭わず、陽が高い林を照らすにつれて、心の高まりは尽きることがない。

食時辰，松花黃獨根，太和味，飽飫勝兒孫。花開花落成何事，贏得年來痴兀人。

> 食事の時間、松の花と黄独の根をいただく。その味わいは太和の味わい。これを満足げに食べれば、子や孫にまさる楽しみがある。 花が咲き、花が散る。それが何の出来事だというのだろうか。ただただ、この一年、無心に過ごす愚かな人でありたいのだ。

禺中巳，不堪拈，舉似在眉端，究竟無終始。常言常語萬千千，更道從來無一字。

> 午の時、手に取るにも値せず。眉の先にあるように見えるが、つまるところ始まりも終わりもない。たわいもない言葉を幾千万と語るが、言うならば初めから一字もなかったのだ。

日南午，不須打齋鼓，自炊爨，剩食餵蛇虎。無心無毒兩相和，一念起時早被鎖。

> 南に向かって午の刻、鐘を叩いて斎（とき）を告げるまでもない。 自らかまどを焚き、余った食事は蛇や虎に施すのだ。 無心と無毒、この二つが調和するとき、 一つの思いが起これば、たちまち縛られる。

日昳未，攜笻看山去，亂松間，麋鹿同遊戲。玉龍噴浪勢飛空，到來別是一天地。

> 日が傾く午後の刻、杖を手に山へと向かう。乱れ立つ松林の中、鹿たちと共に遊び戯れる。白い滝が水しぶきを上げて空に舞うように流れ落ちる。そこに至れば、また別の世界が広がるのだ。

晡時申，衲衣知幾觔，步雖輕，白汗已通身。解衣盤薄長松下，頓覺行來倍有神。

> 夕方の申の刻、衲衣の重さは何斤ほども感じられる。足取りは軽いが、全身はすでに汗びっしょりだ。衣を脱いで大きな松の木の下でくつろぐと、歩いてきた道のりに、ふと力が満ちるのを覚える。

日入酉，獨立三叉口，暮雲中，不辨烏飛走。古人漫道摘楊花，那比松花幾十斗。

> 日が暮れて酉の刻（午後五～七時頃）、一人で三叉路に立っている。 夕暮れの雲の中では、烏が飛んでいるのか止まっているのかも見分けがつかない。 昔の人は「楊の花を摘む」などと軽々しく言ったものだ。それが、松の花の何十倍もの価値があるというのか？

黃昏戌，無油無月色，有明珠，何妨常坐立。腳頭腳底逞風流，堪笑扶籬又摸壁。

> 黄昏の戌の刻、油もなく月の光もない。しかし、明珠（智慧の光）があるのだから、ただ座り、立ち続けることに何の障りがあろうか。足の先や底にさえ自由な風流が現れているというのに、笑うべきかな、人は手すりや壁に頼って探ろうとするとは。

人定亥，夜深欲自在，眼麻迷，萬事拋身外。絮被稜稜不用烘，和衣拶入連頭蓋。

> 亥の刻、人は静かに座す。夜も更けて、ようやく自由な気持ちになれる。目はかすみ、うとうととしてくる。あらゆることは、もう身体の外へと投げ出してしまおう。 綿の入った布団は、折り目がついていても、わざわざ火で炙らなくてもいい。着物を着たままで、頭からすっぽりと包まって寝てしまおう。