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title: "太虛大師全書．第一編　佛法總學 · 第一節　經律論之翻譯"
description: "太虛大師全書第一編佛法總學由近代佛教改革領袖釋太虛著於民國時期，成書於二十世紀上半葉。該編為大師佛學思想總綱，系統闡述佛法根本原理，涵蓋教理、修行與世出世法圓融之義。內容包括對佛教經典的統攝解說、人生佛教之理論基礎，以及對傳統佛學的現代詮釋。本書在近現代佛教史上具有里程碑地位，為人間佛教思想奠定理論基石，是研究中國佛教現代轉型與太虛大師思想的重要典籍。"
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### 第一節　經律論之翻譯

> 第一節　経・律・論の翻訳

自漢明帝夜夢金人，派蔡愔等十八人迎摩騰竺法蘭，白馬馱經像來華後，中華佛法即增高繼長，迄今流行不絕。但摩騰等僅於經中摘譯若干條法義，以示於人而已，若今所傳四十二章經、八大人覺經之類。於後漢西晉間，支謙、竺法護、支婁迦讖等，始稍稍翻譯般若、法華等經，而未能盛宏也。大乘論則猶無傳譯之者。逮鳩摩羅什始廣譯大小乘經論，且宏講之。嗣後佛陀跋陀羅、曇無讖、菩提流支輩，翻傳涅槃，華嚴、地持、十地等經論，流通頗盛。至真諦漸譯講唯識諸經論，入唐初玄奘譯傳最富，義淨所譯亦間及唯識。善無畏、金剛智、不空，專從事譯密教。實叉難陀重譯華嚴。趙宋初，施護、法天等所譯大乘密部居多，此皆其表表可知者。今綜合觀之，童壽為法性經論之大譯師，玄奘為法相經論大譯師，不空為密部經論大譯師，而覺愛、真諦、善無畏，亦其次焉。

> 漢の明帝が夜に金人の夢を見たことから、蔡愔ら十八人を派遣して摩騰と竺法蘭を招き、白馬が経典と仏像を運んで中国に来て以来、中国の仏法は高まり、今日まで絶えることなく伝わっています。しかし、摩騰らは経典の中からいくつかの法義を抜粋して翻訳し、人々に示したにすぎません。現在伝わる『四十二章経』や『八大人覚経』のようなものです。後漢から西晋の時代にかけて、支謙、竺法護、支婁迦讖らがようやく『般若経』や『法華経』などを少しずつ翻訳し始めましたが、広く盛んに行われるまでには至りませんでした。大乗論については、まだ翻訳や伝承をする者は誰もいませんでした。鳩摩羅什に至って、初めて大小乗の経論を広く翻訳し、しかも講義を盛んに行いました。その後、仏陀跋陀羅、曇無讖、菩提流支らが『涅槃経』や『華厳経』、『地持経』、『十地経』などの経論を翻訳し、広く流布しました。真諦に至って、徐々に唯識の諸経論の翻訳と講義が行われ、唐の初期には玄奘が最も多くの経論を翻訳して伝え、義浄の翻訳にも唯識が含まれていました。善無畏、金剛智、不空は専ら密教の翻訳に従事しました。実叉難陀は『華厳経』を再翻訳しました。北宋の初期には、施護、法天らが大乗や密教の経典を多く翻訳しました。これらが特に顕著に知られるものです。総合的に見ると、鳩摩羅什は法性の経論の大翻訳師であり、玄奘は法相の経論の大翻訳師、不空は密教経論の大翻訳師であり、仏陀跋陀羅、真諦、善無畏もまたそれに次ぐ翻訳師と言えるでしょう。

又曹魏時法時尊者雖創受戒，律論未度。晉釋道安等，以僧伽闕律儀，頗憂及之。至羅什始與弗若多羅三藏共譯薩婆多部之十誦律，事半未就，得曇摩流支及卑摩羅叉續成之，共六十一卷，是中國有廣律之始也。復由佛陀耶舍譯出曇無德部之四分律，共六十卷。佛陀跋陀羅共法顯譯之僧祇律，得四十卷。而佛陀什譯彌沙塞部之五分律，亦成三十卷。當時四並傳行，唯後代則獨宏曇無德部耳。至迦葉遺律，唯傳戒本，其廣律未傳。（按戒本梵名波羅提木叉，廣律梵名毗尼即毗奈耶。）至唐時義淨三藏譯根本說一切有部律甚多，此外若毗奈耶律，至趙宋時猶有翻譯，然束之大藏，未有宏傳者也。嘗觀各部之廣律，所述律文及緣起之跡大致從同，出入甚少，足見其是從一本轉鈔，各宗派分誦耳。至其造論解說，則各彰宗義，異同者多。各宗釋律之論，中土傳者凡五。一、毗尼母論，二、摩德勒迦論，此二是宗薩婆多律立論者。三、善見論，此解四分律者。四、薩婆多論，此亦釋薩婆多之十誦律者。五、明了論，此依正量部律立論。四律五論，為中土從古所傳稱之小乘律也。

> また、曹魏の時代に法時尊者が戒律を制定したものの、律と論はまだ伝わっていませんでした。晋の釈道安らは、僧伽に律儀が欠けていることを深く憂慮しました。鳩摩羅什が初めて弗若多羅三蔵と共に薩婆多部の『十誦律』を翻訳しましたが、途中で完了せず、曇摩流支と卑摩羅叉が引き継いで完成させ、全六十一巻となりました。これが中国に広律が伝わった始まりです。その後、仏陀耶舎が曇無徳部の『四分律』（全六十巻）を、仏陀跋陀羅と法顕が『僧祇律』（全四十巻）を、仏陀什が弥沙塞部の『五分律』（全三十巻）をそれぞれ翻訳しました。当時はこれら四律が並行して伝えられましたが、後の時代には曇無徳部のみが広く行われるようになりました。迦葉遺律は戒本のみが伝わり、広律は伝わりませんでした。（戒本の梵名は波羅提木叉、広律の梵名は毘尼、すなわち毘奈耶です。）唐の時代には義浄三蔵が根本説一切有部の律を多く翻訳し、また毘奈耶律は宋代に至るまで翻訳されましたが、大蔵経に収められたものの広く弘通されることはありませんでした。各部の広律を観察すると、律文とその因縁の記述はおおむね同じであり、差異は非常に少ない。これは同一の原本から転写され、各宗派がそれぞれの部分を誦持したことを示しています。論を造って解釈する段階になると、各宗が自らの宗旨を明らかにし、異同が多くなりました。中国に伝わった各宗の律釈論は五つあります。一、毘尼母論、二、摩徳勒迦論（この二つは薩婆多律に基づく）、三、善見論（四分律を解釈）、四、薩婆多論（薩婆多の十誦律を釈する）、五、明了論（正量部律に基づく）。これら四律五論が、中国で古来より伝えられてきた小乗律です。