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title: "太虛大師全書．第三編　三乘共學 · 丙一　證出世果"
description: "太虛大師是近代佛教改革領袖，其著作《太虛大師全書》為民國時期集成。第三編三乘共學收錄大師對聲聞、緣覺、菩薩三乘共通教義的闡釋，內容涵蓋戒律、禪定、智慧等修行基礎，強調回歸佛陀本懷與人間佛教精神。此編成書於二十世紀初，正值中國佛教面臨轉型，大師藉此梳理根本佛法，破除門戶之見，為現代漢傳佛教教育與實踐提供重要依據。該書在佛教界具有權威地位，被視為研究太虛思想與民國佛教復興運動的核心文獻。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmpjj9itr000et1uri8eac90a"
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### 丙一　證出世果

> 丙一 出世の果を証する

佛言：辭親出家，識心達本，解無為法，名曰沙門。常行二百五十戒、進止清淨，為四真道行成阿羅漢。阿羅漢者，能飛行變化，曠劫壽命，住動天地。次為阿那含，阿那含者，壽終靈神上十九天證阿羅漢。次為斯陀含，斯陀含者，一上一還即得阿羅漢。次為須陀洹，須陀洹者，七死七生便證阿羅漢。愛欲斷者，如四肢斷，不復用之。（第一章）

> 仏陀は言われた。「家庭を捨てて出家し、心を識り、本源に達し、無為の法を悟る者を、沙門と呼ぶ。常に二百五十の戒を守り、進退が清らかであることにより、四つの真実の道を実践して阿羅漢となる。阿羅漢は、空を飛び変化することができ、長い劫の寿命を持ち、その住まいと行動は天地をも動かす。次に阿那含がある。阿那含は、命終の後、その精神は十九の天に上り、そこで阿羅漢を証する。次に斯陀含がある。斯陀含は、一度天に上り、一度この世に還り、その後に阿羅漢を得る。次に須陀洹がある。須陀洹は、七度死に七度生まれ変わり、そこで阿羅漢を証する。愛欲を断ち切ることは、手足を断つようなものであり、もはや再び用いることはできない。」（第一章）

先明三乘共教行果：聲聞、緣覺、菩薩，為三乘。共者，通教義。菩薩乘中包前二乘，而前二乘不能包菩薩乘義。共教中有所修之行，所證之果，故曰三乘共教行果。向來依天台宗講法，此三乘共教，是藏通別圓中之通教義。三乘同證生空無為，鈍根依證偏真涅槃，利根亦可進悟中道。

沙門是梵語，此土謂出家修行者。印度並不專指佛教徒，凡出家修行者皆曰沙門；此中沙門則專指依佛法出家修行者。此有二義：一、積極勤修戒定慧，二、消極息滅貪瞋癡，故沙門亦譯曰勤息。息滅貪瞋癡即斷煩惱，煩惱既斷則了生死，然此非勤修戒定慧不為功，故先必辭親出家。辭親有二義：一、奉父母之命，或得其許可；二、辭離親族以斷纏累。又家者，該家族財產而言；出家者，辭別家族捨離財產也。然深言之，出家須出三界之家，遠離六道，永脫生死；眾生無始流轉諸趣，認三界以為家，常受有漏業報，故法華喻三界為火宅、為牢獄。深義出家，須出三界始為究竟。是故欲得沙門果須習出家行，故須識心達本解無為法。雖辭親出家而不能識心達本，不得為沙門。所謂識心者，識自心源；達本者，達佛深理。識心達本亦即明心見性之謂。蓋心為萬法之王，生死輪迴惟由心造，故心能變化一切，造作一切，領受一切；如心不覺，則心不能作主隨業流轉，故必識心達本乃能轉一切業而自作主。世出世間一切諸法皆因緣生，而因皆由心之活動造作而成；蓋心能藏萬法，而萬法互為增上即是緣。所謂明心者，即明三界唯心，萬法唯識；故修佛法者須識自心。達本者，謂了達本來面目，即一切法本來如此之真實相，所謂諸法實相。諸法皆因緣生而無實體，如一團體，其活動並無一自體，故其體性是空；諸法性空，空性即諸法本來如此之真實相，能通達此，是曰達本。能識心者，即達因緣生俗諦義；達本者，即達無性空真諦義。不但菩薩須悟此義，即二乘亦須知此義。無為法有二義：一、即一切因緣生法以無自性故其性本空；此空性不生不滅，不垢不淨，不增不減，一切法性無所生滅、無所作為，此本性涅槃之無為法義。二、識性空故，一切煩惱生死皆可解脫。須依識心達本所生之慧，息滅煩惱，以煩惱滅故業滅，業滅故即了生死得常住涅槃，即無為法。此果上所證無為法之義，能達此者是曰沙門；由修行而得勝果者，曰沙門果。故阿羅漢等四果，亦曰四沙門果。

> 沙門とはサンスクリット語で、この国では出家して修行をする人のことを指します。インドでは必ずしも仏教徒だけを指すわけではなく、出家して修行する人すべてを沙門と呼びます。しかしここでの沙門は、特に仏法に従って出家し修行する人を意味します。これには二つの意味があります。第一に、積極的に戒・定・慧を勤め修めること。第二に、消極的に貪・瞋・癡を消し去ることです。そのため沙門は「勤息」と訳されることもあります。貪・瞋・癡を消し去るとは煩悩を断つことです。煩悩を断てば生死を終わらせることができますが、これは戒・定・慧を勤め修めなければ成し遂げられません。ですから先に必ず、親に別れを告げて家を離れ出家する必要があります。親に別れを告げるには二つの意味があります。一つは、父母の命令に従うか、その許可を得ること。もう一つは、親族と離別して煩わしい絡みを断ち切ることです。また「家」とは家族や財産を含みます。出家とは、家族に別れを告げ財産を捨て去ることです。しかし深く言えば、出家とは三界の家を出て、六道から遠く離れ、永遠に生死を脱することです。衆生は無始の昔から様々な境遇を流転し、三界を我が家と認め、常に有漏の業報を受けています。そのため法華経では三界を火宅や牢獄に例えています。深い意味での出家は、三界を出て初めて究極のものとなります。ですから沙門の果報を得ようとするなら、出家の行いを習わねばなりません。そのためには心を識り、本源に達し、無為の法を理解する必要があります。たとえ親に別れを告げて出家しても、心を識り本源に達することができなければ、沙門とは言えません。心を識るとは、自らの心の源を識ることです。本源に達するとは、仏の深遠な道理に達することです。心を識り本源に達することは、すなわち明心見性を意味します。なぜなら心は万物の王であり、生死輪廻はすべて心によって生み出されるからです。そのため心はすべてを変化させ、すべてを造り出し、すべてを受け止めます。もし心が覚醒しなければ、心は主となれず業に従って流転します。ゆえに必ず心を識り本源に達して初めて、すべての業を転じ自らの主となれるのです。世間・出世間のあらゆる諸法は因縁によって生じます。そして因はすべて心の活動によって造り出されます。心は万物を蔵することができ、万物は互いに増上し合う、それが縁です。心を明らかにするとは、三界は唯だ心であり、万法は唯だ識であると明らかにすることです。故に仏法を修める者は自らの心を識らねばなりません。本源に達するとは、本来の面目、すなわち一切の法が本来そうであるという真実の相（諸法実相）を了達することを言います。あらゆる法は因縁によって生じ、実体はありません。たとえば一つの集団は、その活動にそれ自体の実体はありません。そのためその体性は空です。諸法の性は空であり、空性こそが諸法の本来の真実の相です。これを悟り通達することを本源に達するといいます。心を識ることができるとは、因縁生の俗諦の意味に達することです。本源に達するとは、無性空の真諦の意味に達することです。菩薩だけでなく、二乗もこの意味を知らねばなりません。無為の法には二つの意味があります。第一に、一切の因縁生の法は無自性であるため、その性は本来空であるということ。この空性は生まれず滅せず、汚れず浄からず、増えも減りもしません。一切の法性は生滅せず、作為もありません。これが本性涅槃としての無為法の意味です。第二に、性が空であると識ることで、あらゆる煩悩や生死から解脱できるということです。心を識り本源に達することで生まれる智慧によって煩悩を消し去る必要があります。煩悩が滅すれば業も滅し、業が滅すれば生死を終え常住涅槃を得ます。これが無為法です。これは果報の上で証する無為法の意味で、これに達する者を沙門と言います。修行によって勝れた果報を得ることを沙門果と言います。そのため阿羅漢などの四つの果報も、四沙門果と呼ばれます。

二百五十戒，謂增上戒學，即比丘戒。比丘、梵語，此云乞士，乞世人資生故。此二百五十戒為出家人法律，在家人則持五戒、十戒等簡單之戒。進止清淨，即由戒生定，戒有止惡作善之兩方面，惡止善行，以無過故心則安樂，心安樂故則得靜定。四真道行，即四諦行。一、觀有漏皆苦，二、觀煩惱業集，三、觀擇滅諸苦，四、觀滅苦修道，能修此四諦觀即可生慧。又、四真道行亦即四念處：一、觀有漏皆苦，二、觀諸有為法皆無常，三、觀諸法無我，四、觀三界依正皆不淨，此皆慧行。由此三無漏學，現證無為法性，可斷分別所起煩惱；由此增進盡斷煩惱，則可得成阿羅漢果。

阿羅漢、梵語，此土曰應。依法華論釋，應有十九種義，簡為三種：一、應已永斷煩惱結故，二、應不復受後有生故，三、應受人天妙供養故。以羅漢已超出三界，及能教授三界人天使發出世修行之心，為人天師及人天福田故。阿羅漢有六神通：一、天眼通，二、天耳通，三、他心通，四、宿命通，五、神境通，六、漏盡通。此中飛行變化，即神境通。變者轉變，由此轉彼；化者化無為有。上五神通非羅漢亦可有，然不如羅漢神通之大，如鬼神亦有天眼、天耳等通，而漏盡通惟羅漢有之。漏即煩惱別名，喻物不完滿而破敗；煩惱如貪瞋癡及邪見等，是即眾生心中之破敗。蓋有漏心所造之業，其結果終不能完滿，諸業果皆由心生，心未無漏，行果豈能完滿？人天業果仍是有漏，小之造業受報，煩惱之火乘時竊發。語云：厝火積薪之下，火未及燃自謂之安；人天福報亦復如是。至阿羅漢始得漏盡，不受三界業報。又阿羅漢始能存歿自如，如願住世者即以定通持其色身，願滅度者即以三昧火自焚其軀體是也。佛世時羅漢多如此，如迦葉尊者自願入定以俟彌勒之出世，以故壽命曠劫，住動天地。羅漢果之前尚有下述三種果位，皆非究竟也。

阿那含，梵語，此云不還，即第三果。長生「十九天」上。依佛法言，三界天共二十八層；欲界六天，由此上至第十九無想天之上，是為五不還天，以生五不還天再不退還為人故。斯陀含，此云一來，死後生天上，復一生再來為人，然後成阿羅漢。須陀洹，此云預流，即預于聖人之流，此與儒家道家所云聖人不同，此言超出人天之聖人，可證阿羅漢故曰預流。七死七生者，七次于人間天上生死往還，其與凡夫不同者，以彼永在人天中修行，永不墮入三惡趣也。

以上謂之四沙門果，沙門能識心達本，即為證須洹陀果，自然七死七生證阿羅漢。然勇猛精進者，不必七死七生，亦得於一生中修行而證阿羅漢果也。愛欲者，謂于三界中依正果報起有愛著，愛著故生欲，有愛欲故，即當於所愛欲之道中受生死。故生三界六道中者，皆由自心也。餘喻可知。