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title: "太虛大師全書．第五編　法性空慧學 · 庚四　相可相亦一亦異"
description: "太虛大師全書第五編法性空慧學收錄近代佛教改革領袖釋太虛對中觀般若學的系統闡釋。本書成於民國時期，正值中國佛教面臨轉型，太虛大師融貫漢傳與藏傳中觀思想，以法性空慧為核心，深入解說龍樹中論的緣起性空義理，辨析空有關係，破斥頑空與實執。全編強調智慧解脫與人間佛教的實踐，為民國復興般若學的重要文獻，在佛教學術與修行體系中具有承先啟後的權威地位。"
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### 庚四　相可相亦一亦異

> 第四に、相と可相は一つでもあり異なってもいること

如正見是道相，於道是少分；又生、住、滅是有為相，於有為法是少分，如是於可相中少分名相。

> 正見は道のあり方の一つにすぎず、道全体を表すものではありません。また、生・住・滅は有為のあり方の一つにすぎず、有為全体を表すものではありません。このように、表されるものの一部をとらえて「相」と呼ぶのです。

正見是道相，於道是少分者，謂正見是能相，道是所相，但正見是八聖道支之一支，故曰少分。此中謂正見是道中之一分故，與道非異故；正見僅是道中之一分非全故，與道非一故：曰相、可相一、異可得。又生、住、滅能為七十二有為法之能相，而是二十四不相應行之一部分，故生、住、滅之於有為法，亦是非一、非異者，故相、可相一、異可得。按比中之意，可作一圖以明之，圖如下：

> 正見は道の相であり、道の一部であるとは、正見が特徴を示すもので、道が示されるものであることを意味します。しかし正見は八聖道の一支分にすぎないため、「一部」と言います。ここでは、正見は道の中の一分であり、道と異ならないからです。また、正見はただ道の中の一分にすぎず全体ではないため、道と同一ではないからです。これを「相と可相は、一とも異とも捉えられる」と言います。また、生・住・滅は七十二の有為法の特徴を示すものであり、二十四の不相応行の一部であるため、生・住・滅と有為法もまた、一でもなく異でもなく、相と可相は一とも異とも捉えられます。この比中の意味に基づき、次のような図で明らかにすることができます。図は以下のとおりです。

　　　　　可相（所相）………道…………有為法
　　　　◎
　　　　　　相（能相）………正見………生住滅

此小圈屬於大圈，小圈即大圈，如云湖北人即中國人。但小圈之內包小，大圈之內包大，大圈之所包者未必盡是小圈之所包者，如不能稱中國人盡是湖北人。故曰：非一。今合非一非異之關係點，故曰亦一亦異也。

> この小さな円は大きな円に含まれています。小さな円はすなわち大きな円です。たとえば、湖北人は中国人である、と言うようなものです。しかし、小さな円の中にはさらに小さなものが含まれ、大きな円の中にはさらに大きなものが含まれています。大きな円が包むものが、必ずしもすべて小さな円が包むものとは限りません。たとえば、中国人がすべて湖北人であるとは言えないのと同じです。したがって「一ではない」と言います。ここで「一でもなく異でもない」という関係を合わせて、「また一でありまた異である」と言うのです。