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title: "太虛大師全書．第七編　法界圓覺學(第1卷) · 序經題"
description: "太虛大師全書第七編法界圓覺學第一卷由近代佛教改革領袖釋太虛撰寫，成書於民國時期，正值中國佛教面臨現代化轉型之際。該卷闡述法界圓覺思想，以華嚴與唯識學為基礎，深入解析眾生本具的圓滿覺性與宇宙實相，強調修行者透過止觀與發菩提心證入法界。太虛大師融通教理與實修，提出人生佛教理念，對當代漢傳佛教復興影響深遠。本書為研究近代佛教思想與法界圓覺學的重要經典。"
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### 序經題

> 経題

本經為諸經之王，以顯示唯一佛乘故，以顯示唯一佛乘、即具足無量方便乘故。今欲開闡是經妙義，宜備有古德之註釋以為參究之資。唐窺基大師所撰妙法蓮華經玄贊，群流宗仰。茲於演講妙法蓮華經之時，即假玄贊以為敷陳經義之佐。

> この経典はすべての経典の中の王であり、唯一の仏乗を示すからです。唯一の仏乗を示すということは、無量の方便乗を具足していることを示すからです。今、この経典の妙なる義を開き明かそうとするならば、古の徳ある方々の註釈を備えて、参究の助けとすべきです。唐の窺基大師が撰した『妙法蓮華経玄賛』は、多くの人々が宗と仰ぐところです。ここに『妙法蓮華経』を講演するにあたり、玄賛を借りて経典の義を述べる助けとします。

「玄贊」蓋聞至覺權真，乘物機而誕跡，靈樞擅妙，應群品以揚筌。振融山而秀大千，騰委海而津八萬。　佛覺無上，故曰至覺。權衡真界，故曰權真。以極靈之樞機，擅無方之妙用；蓋隨眾生之機而表示應身之跡，應群品之求而標舉求道之方耳。筌者、求魚之筌，喻求道之具。融山、融金之山，喻法身也。委海、猶言無量智慧功德海之海，喻諸法之所歸聚也。津、梁也，濟也。八萬、施八萬四千法門，隨處興起而度人以八萬四千法門也。以上標如來一乘實相之總體用。

> 「玄贊」によれば、至覚の仏は真実を権化として現し、衆生の機に乗じてその迹を垂れる。霊妙な枢機はその妙を極め、あらゆる人々に応じて悟りへの手がかりを示す。融山から光が輝き大千世界を飾り、委海より広がって八万の法門を潤す。 仏の覚りは無上であるがゆえに「至覚」という。真実の世界を自在に計り知るゆえに「権真」という。極めて霊妙な枢要をもって、限りのない妙用を自在に発揮し、衆生の機根に合わせて応身の迹を現し、あらゆる人々の求めに応じて悟りの道しるべを掲げるのである。「筌」とは魚を獲るための道具であり、悟りを求める手段をたとえる。「融山」とは、融かし尽くした金の山のようなもので、法身をたとえる。「委海」とは、無量の智慧と功徳の海をいい、あらゆる法が帰し集まる場所をたとえる。「津」とは橋渡しであり、渡すことをいう。「八万」とは八万四千の法門を施し、あらゆる場所で起こって八万四千の法門によって人々を悟りへ導くことをいう。以上が、如来の一乗・実相という全体の徳用を示したものである。

「玄贊」靉慈雲而廣庇，驟法雨以遐清，滋兩木之分華，潤三草之殊茂。然以幼商倦于綿險，始循誘於化城，稚子翫於羬軒，竟照普於犪駕。　靉靆、雲出貌。驟、普遍廣大之義。慈雲廣庇，喻佛恩之加被。法雨遐清，喻佛法之遍及。兩木、即本經藥草喻品中所說之大樹、小樹：小樹、喻界內之菩薩，大樹、喻界外之大菩薩也。三草、即上中小三藥草：上喻菩薩，中喻聲聞、緣覺，小喻人、天也。幼商、喻初發心不定種性人，以恆畏大乘法之綿遠艱險也。化城、即本經化城品所說之化城，指小乘涅槃，為佛所化現之方便城，慰小乘人使暫休息而實非究竟寂場也。羬軒、即羊車，喻小乘。犪駕、即牛車，喻大乘也。言佛法既興，菩薩——大乘人既已發心，而人、天、聲聞、緣覺諸小乘並蒙沾潤。惟佛以初發心人易於倦怠，故先以涅槃之化城誘之。小乘人局於果地，故須以大乘之牛車進之，以上明一乘實相之境，并冀一切眾生了然於權實，而能舍權趨實以躋於無上涅槃也。

> 「玄贊」は慈雲のように広く覆い、法雨を降らせて遠くまで清め、二木の花を潤し、三草をそれぞれ茂らせる。しかし、幼き商は長く険しい道に倦み、まず化城の誘いに従い、稚子は羊車に遊ぶが、ついに牛車に照らされるのである。靉靆とは、雲の湧き出るさま。驟とは、広く行き渡る意。慈雲が広く覆うとは、仏の恩徳が加護することを喩える。法雨が遠く清めるとは、仏法が遍く行き渡ることを喩える。二木とは、この経典の薬草喩品に説かれる大樹と小樹で、小樹は界内の菩薩を喩え、大樹は界外の大菩薩を喩える。三草とは上・中・下の三つの薬草で、上は菩薩、中は声聞・縁覚、下は人・天を喩える。幼商とは、初めて発心した種性の定まらない人を喩え、大乗法の長遠で険しいことを常に恐れるからである。化城とは、この経典の化城喩品に説かれる化城で、小乗の涅槃を指し、仏が化現した方便の城であり、小乗の人々を慰めて暫し休息させるが、真実の究極の悟りの場ではない。羬軒とは羊車で、小乗を喩える。犪駕とは牛車で、大乗を喩える。仏法がすでに興り、菩薩つまり大乗の人がすでに発心し、人・天・声聞・縁覚の諸小乗も皆、潤いを受ける。仏は初発心の人が倦み怠りやすいので、まず涅槃の化城をもって誘うのである。小乗の人は果地に局限されるので、大乗の牛車をもって進め導く必要がある。以上は一乗の実相の境地を明らかにし、あわせてすべての衆生が権と実を了然として理解し、権を捨てて実に赴き、無上の涅槃に登ることを願うのである。

「玄贊」由是摧十軍之聖后，解髻上之明珠；建八諦之醫王，授掌中之妙藥。軍、指魔軍。即眾生心中之欲魔、愁魔、飢渴魔、渴愛魔、睡眠魔、怖畏魔、疑魔、食毒魔、利養魔、名聞自高魔之十種煩惱魔也。聖后、猶言聖王。謂佛為摧破上十種魔軍之聖王也。解髻上明珠為賞，喻以此妙法蓮華經開示眾生也。八諦、即四真諦、四俗諦，謂以此經利益眾生，如壽量品所說醫王授藥喻也。此明一乘實相之行、果。以上總敘分敘一經之綱宗。

> 「玄贊」ここに、十軍を摧く聖后あり、髻の上の明珠を解き、八諦を建つる醫王、掌中の妙薬を授く。軍とは魔軍を指す。すなわち衆生の心の中にある欲魔・愁魔・飢渇魔・渇愛魔・睡眠魔・怖畏魔・疑魔・食毒魔・利養魔・名聞自高魔という十種の煩悩魔である。聖后とは聖王という意味である。仏が上述の十種の魔軍を摧き破る聖王であることをいう。髻の上の明珠を解いて賞とするのは、この妙法蓮華経をもって衆生に開示することを喩えたものである。八諦とは、すなわち四真諦・四俗諦であり、この経をもって衆生を利益することをいい、寿量品に説かれる醫王が薬を授ける喩えの如くである。これは一乗実相の行と果を明らかにするものである。以上は総じて一経の綱宗を叙述したものである。

「玄贊」藻掞眾筌之表，邃軼百宗之外。籠七地而孤榮九分，冠五乘而獨穎千古。文藻超眾筌之上，頌教妙也。深邃出百宗之外，頌理妙也。地、謂菩薩地位，七地者、自種性地、解行地以上有七。至八地以上，念念不退，即為行不退地。迨於佛果即究竟地也。九分、與十二分教同，以文字關係故略稱九分。言此經義籠七地，獨標九分，頌行、果妙也。五乘雖殊，實皆以此一乘為究竟，故此經為五乘之冠冕，而特超去來今三際也。以上讚揚經旨玄妙。

「玄贊」大矣哉！揚一實而包總太虛，振兩權而遺羅萬象，豈可以溟渤類其深旨，妙高方其峻躅者乎！大之名對小而立，故此教義大不足以喻之，茲第強讚為大耳。一實、即一法，即一真實不虛之法。包括無外，總持無遺，明法體之大也。權、謂權門。振落兩種權門，而萬相空空無不息寂而見為遺棄。振發兩種權門，而萬相森森無不顯現而見為包羅——喻法用之大也。以是之故，溟海不足喻其深，須彌不足擬其峻矣。妙高、即須彌山也。以上敘經宗竟。

「玄贊」首稱妙法蓮華經者，藻宏綱之極唱，旌一部之都名。序品第一者，鏡義類之鴻標，顯異筌之別目。　對他經而言，則此妙法蓮華經為極唱。就本經而言，則此妙法蓮華四字為都名。而序品第一，則又兼總題、別題之義也。以上總敘經題及序品竟。

「玄贊」法含持軌，綰群祥以稱妙。華兼秀發，總眾美而彰蓮。體業俱陳，法喻雙舉，半滿之途已曉，取捨之路方著。法界之法性法相，無論有佛無佛，自性常住。佛以方便善巧開示安立，為使眾生了解。若知一切諸法無不為佛境界所攝，即知佛智無不融滿遍照，總攝群相。以是之故，稱為妙法。秀、秀出也。發、開敷也。蓮之為法，在污不染，具足眾美，故以蓮為讚。蓋妙法者舉其法，蓮華者彰其喻也。以上釋別題妙法蓮華四字竟。

「玄贊」經者，為常、為法、是攝、是貫。常則道軌百王，法乃德模千葉，攝則集斯妙理，貫又御彼庸生：庶令畢離苦津，終登覺岸。經具四義。軌、率由也。千葉、千世也。攝貫二義，明此經集妙理之大成，陶庸愚而無外也。以上分敘經題竟。

「玄贊」序者、由也，始也。陳教起之因由，作法興之漸始。品者、類也，別也。區玄旨而異類，派幽筌而彙別。第者、次也，居也。一者、極也，首也。經有二十八品。條貫真宗，此品次居極首，故名第一。義如本文。以上序經題竟。