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title: "太虛大師全書．第七編　法界圓覺學(第1卷) · 丙一　放光照境"
description: "太虛大師全書第七編法界圓覺學第一卷由近代佛教改革領袖釋太虛撰寫，成書於民國時期，正值中國佛教面臨現代化轉型之際。該卷闡述法界圓覺思想，以華嚴與唯識學為基礎，深入解析眾生本具的圓滿覺性與宇宙實相，強調修行者透過止觀與發菩提心證入法界。太虛大師融通教理與實修，提出人生佛教理念，對當代漢傳佛教復興影響深遠。本書為研究近代佛教思想與法界圓覺學的重要經典。"
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### 丙一　放光照境

> 丙一　光を放ち境を照らす

爾時、佛放眉間白毫相光，照東方萬八千世界靡不周遍，下至阿鼻地獄，上至阿迦尼吒天。

> その時、仏は眉間の白い毫から光を放ち、東方の一万八千の世界を余すところなく照らし、下は阿鼻地獄から、上は阿迦尼吒天にまで届いた。

凡佛說經，均有放光之瑞。其義略述如下：一、使一切眾生見佛光明之德，知佛為世出世間之最殊勝。二、無光末由顯示一切境界。三、佛光本無放不放之相，特隨順眾生以為顯現。又、佛所放之身光各各不同，此所放光為兩眉中間之白毫相光。毫長一丈五尺，其形右捲，為佛三十二相之一。眉間放光，在本經之義，即以兩眉喻二乘，為開二乘之權；於其間放光者，即顯一乘之實也。又、眾生修習，或從有門入，或從空門入，而眉間則非空非有正以顯示中道。

> 仏が経典を説かれる際には、必ず光を放つという瑞相がある。その意味を簡単に述べれば、次の通りである。一、すべての眾生に仏の光明の徳を見せ、仏が世間・出世間において最も優れた存在であることを知らせるため。二、光がなければ、あらゆる境界を示すことができないため。三、仏の光は本来、放す・放さないという相はないが、眾生に随順して現われるものである。また、仏が放つ身光はそれぞれ異なるが、この経典で放たれる光は、二眉の間にある白毫の相の光である。毫の長さは一丈五尺で、その形は右に巻いており、仏の三十二相の一つである。眉間から光を放つことは、この経典の意味では、両眉を二乗にたとえ、二乗の仮の教えを開くことを示し、その間から光を放つことで、一乗の真実の教えを顕わすのである。また、眾生の修行には、有の門から入る者もいれば、空の門から入る者もいるが、眉間は空でも有でもなく、まさに中道を示しているのである。

所照之境，依本經三種譯本，均為東方，則東方眾生之與佛有緣可見。又、東方為日所從出之方，世間之光以日為本，故東為諸方之始，即東方為諸佛因行之始。此之世界，指每一個大千世界而言。萬八千世界，即一萬八千個大千世界也。言一萬八千者，以萬顯萬德圓滿之果德，以八顯八正道之因行也。周遍者、普照之義，此指橫界而言。下至阿鼻地獄，上至阿迦尼吒天，此兼豎界而言矣。地獄、非有定處，非無定處，非別有處，亦非別無有處，原義即指各器世間之苦趣而言。阿鼻、云無間，即無休息之義。阿鼻地獄居地之最下，苦無休息之所也。阿迦尼吒、有頂之義，即色界天中之色究竟天。最高之天，以無色界之非非想處天為最，然為定中之空境，無依報，無方所，故佛光不能照及。惟色究竟天有果報色，故佛光亦照至此天為止。

> 照らされる境（対象の世界）について、この経典の三つの訳本を基にすれば、いずれも東方とされている。すなわち、東方の衆生は仏と縁があって仏を見ることができるのである。また、東方とは太陽が昇る方角であり、世の中の光は太陽を根本とする。それゆえ、東方を諸方の始まりとし、すなわち東方を諸仏が修行を始める最初の場とするのである。ここにいう世界とは、それぞれの大千世界を指す。一万八千世界とは、すなわち一万八千の大千世界のことである。一万八千と説くのは、「万」をもって万徳円満の果報の徳を示し、「八」をもって八正道の修行を示すのである。「周遍」とは、普く照らすという意味であり、これは横の広がり（空間的範囲）を指す。「下は阿鼻地獄に至り、上は阿迦尼吒天に至る」とは、縦の広がり（高低の範囲）をも兼ねて示したものである。地獄とは、定まった場所があるわけでもなく、定まった場所がないわけでもなく、特に別の場所があるわけでもなく、また別に場所がないわけでもない。その本来の意味は、それぞれの器世間における苦しみの世界を指すのである。阿鼻とは「無間」と訳し、すなわち休むことのないという意味である。阿鼻地獄は地の最も下にあり、苦しみが絶え間なく続く場所である。阿迦尼吒とは「有頂」という意味であり、すなわち色界天の中の色究竟天のことである。最も高い天といえば、無色界の非非想処天が最上であるが、それは定の中の空の境地であり、依報（依存する環境）もなく、方所もないため、仏の光はそこまで照らすことができない。ただ色究竟天のみが果報としての色（物質的な姿）を有するので、仏の光もこの天に至るまでを照らすのである。