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title: "太虛大師全書．第七編　法界圓覺學(第1卷) · 壬二　請香積佛飯"
description: "太虛大師全書第七編法界圓覺學第一卷由近代佛教改革領袖釋太虛撰寫，成書於民國時期，正值中國佛教面臨現代化轉型之際。該卷闡述法界圓覺思想，以華嚴與唯識學為基礎，深入解析眾生本具的圓滿覺性與宇宙實相，強調修行者透過止觀與發菩提心證入法界。太虛大師融通教理與實修，提出人生佛教理念，對當代漢傳佛教復興影響深遠。本書為研究近代佛教思想與法界圓覺學的重要經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmpjjdkyj0350t12eb8kt3nar"
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### 壬二　請香積佛飯

> 第二項　香積佛の飯を請う

時維摩詰問眾菩薩：『諸仁者！誰能致彼佛飯』？以文殊師利威神力故，咸皆默然。維摩詰言：『仁！此大眾無乃可恥』！文殊師利曰：『如佛所言，勿輕未學』。於是維摩詰不起於座，居眾會前，化作菩薩相好光明，威德殊勝蔽於眾會。而告之曰：『汝往上方界分，度四十二恆河沙佛土，有國名眾香，佛號香積，與諸菩薩方共坐食。汝往到彼，如我詞曰：維摩詰稽首世尊足下，致敬無量，問訊起居，少病、少惱，氣力安不？願得世尊所食之餘，當於娑婆世界施作佛事，令此樂小法者得弘大道，亦使如來名聲普聞』。時化菩薩即於會前升於上方，舉眾皆見其去。到眾香界，禮彼佛足。又聞其言：『維摩詰稽首世尊足下，致敬無量，問訊起居，少病、少惱，氣力安不？願得世尊所食之餘，欲於娑婆世界施作佛事，使此樂小法者得弘大道，亦使如來名聲普聞』。

> そこで維摩詰は菩薩たちに問いかけた。「皆さん、どなたがかの仏の食事をいただきに行けましょうか？」しかし、文殊師利の神通力によって、皆はただ黙っていた。維摩詰は言った。「皆さん、この大会衆が恥ずかしくはありませんか？」文殊師利が言った。「仏がおっしゃったように、学びの浅い者を軽んじてはいけません。」そこで維摩詰は座を立たずに、会衆の前に立ち、化身の菩薩を現した。その姿は美しく光明に輝き、威徳は殊勝で会衆を圧倒した。そしてその化身に告げた。「あなたは上方の世界へ行きなさい。四十二の恒河沙の仏国土を越えると、衆香という国があり、そこに香積という仏がおられる。今、諸菩薩とともに坐して食事をしておられる。あなたはそこへ行き、私の言葉を伝えなさい。『維摩詰は世尊の御足に礼拝し、限りない敬意を表し、お体の具合をうかがい、病気や悩みが少なく、気力は安らかでいらっしゃいますか。どうか世尊がお召し上がりになった食事の残りをいただき、この娑婆世界で仏の教えを広めるための事業を行いたいと願っております。この小さき法を喜ぶ者たちに大いなる道を広め、如来の名声をあまねく聞かしめたいのです。』」その時、化身の菩薩は会衆の前で上方へと昇り、皆はその姿が見えなくなるまで見送った。化身は衆香界に到着し、かの仏の御足に礼拝した。そして、維摩詰の言葉をそのまま伝えた。「維摩詰は世尊の御足に礼拝し、限りない敬意を表し、お体の具合をうかがい、病気や悩みが少なく、気力は安らかでいらっしゃいますか。どうか世尊がお召し上がりになった食事の残りをいただき、この娑婆世界で仏の教えを広めるための事業を行いたいと願っております。この小さき法を喜ぶ者たちに大いなる道を広め、如来の名声をあまねく聞かしめたいのです。」

釋以文殊師利威神力故咸皆默然者，此會諸菩薩眾之同入不二法門者，未嘗不能請飯於香積，徒欲抑之、揚之以為後學激勸，故共令當陽獨出耳。然文殊師利又承神威神力者，故還述佛言勿輕未學以裁之。嘗謂此經乃緣起乎釋尊徹底之大悲心，維摩詰、文殊師利、舍利弗、迦葉等皆承佛大悲而共同宣揚者，意見乎是。

> 釈尊が文殊師利の神通力によって皆が黙り込んだと説かれるのは、この会の諸菩薩たちが不二法門に入っている者として、香積仏の国から飯を請うことができなかったわけではない。ただ、あえて彼らを抑え、また引き立てることで、後の学び手への励みとしようとしたのであり、それゆえに当座の主役として文殊師利だけを際立たせたのである。しかし文殊師利もまた神通力を承けている身であるから、仏の言葉を引き継いで「未学を軽んじることなかれ」と述べて、その場を収めたのである。思うに、この経典は釈尊の徹底した大悲心に起因して起こったものであり、維摩詰、文殊師利、舎利弗、迦葉らは皆、仏の大悲を承けて共に教えを宣揚したのである。その趣旨がまさにここに見えている。

維摩詰之化作菩薩，乃從三昧力在空中變現一相好光明與眾香國菩薩同等之菩薩，乃可往彼請飯，故曰威德殊勝蔽於眾會。空中化現之理，有二種義：一者、一切諸法體皆空寂，空寂之體即是靈知，空寂靈知離名絕相，以願力故或念力故，起一作意欲現何形，即有一如何之形現。雖吾人以無明妄動而起身根、器界，亦未嘗非如幻如化，徒以生於不覺，未能自主。且由先業累積，成之以漸，故昧然罔知耳。二者、如大智度論明：四大極微種子，充滿空界，無意力以為結集之中心，故無成形顯現。諸佛菩薩心等空界，隨興一念皆能作集起形體之中心，故應念能從空中現身也。樂小法者，如求現身福報，或求來生人天福報，或求速得解脫生死，此皆不宏、不毅，不能任重致遠，但求小效，硜硜自喜，將欲化而大之，使共遊於莽蕩無涯之不可思議解脫中，故令勝劣、淨穢相形以會得其通也。

> 維摩詰が化身として現した菩薩は、禅定の力によって空中に変化を起こし、衆香国（しゅこうこく）の菩薩たちと同等の相好光明（そうこうこうみょう）を備えた菩薩を現したのです。その姿は見事で、その威力と徳は、集まった人々の上にひときわ輝いていました。 この「空中に変化を現す」道理には、二つの意味があります。 第一に、すべての物事（諸法）の本質は、もともと空しく静かなものです。その空しさ静けさの本質こそが、霊妙な知恵です。この空しく静かな霊妙な知恵は、言葉や形を超えています。しかし願いの力や念の力によって、「このような形を現そう」と心を起こせば、その通りの姿が現れます。私たち凡夫もまた、無明によって心が動き、身体や世界を現していますが、これもまた幻のようなものです。ただ、気づかないままに生きてきたため、自分で制御できないだけなのです。さらに前世からの業が積み重なって、少しずつ形作られてきたので、はっきりと知ることができないのです。 第二に、『大智度論（だいちどろん）』が明らかにしているように、四大（しだい）の極微（ごくみ）の種子は、虚空に満ちています。しかし意志の力が結集の中心とならなければ、形を現して目に見えるものになることはありません。諸仏や菩薩は、その心が虚空のように広く、思いを起こせば、それだけで形体を結び集める中心となることができます。ですから、念ずるだけで空中に姿を現すことができるのです。 小さな教えを喜ぶ者たちは、現世の福報を求めたり、来世の天界や人間界での福報を求めたり、あるいは生死からの解脱を急いだりします。これらは皆、心が大きくなく、意志も強くありません。重い責任を担い遠くへ進むことができず、ただ小さな効果だけを求めて、小さくまとまって自ら満足しているのです。このような人々を教え導いて大きくし、果てしなく広い、思いもよらない解脱の境地を共に遊ぶようにさせるため、勝れた者と劣った者、清らかな土と穢れた土を対比させて示し、その違いを通じて一体の真理を悟らせようとされたのです。