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title: "太虛大師全書．第七編　法界圓覺學(第1卷) · 辛二　問答"
description: "太虛大師全書第七編法界圓覺學第一卷由近代佛教改革領袖釋太虛撰寫，成書於民國時期，正值中國佛教面臨現代化轉型之際。該卷闡述法界圓覺思想，以華嚴與唯識學為基礎，深入解析眾生本具的圓滿覺性與宇宙實相，強調修行者透過止觀與發菩提心證入法界。太虛大師融通教理與實修，提出人生佛教理念，對當代漢傳佛教復興影響深遠。本書為研究近代佛教思想與法界圓覺學的重要經典。"
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### 辛二　問答

> 問答

大慧白佛言：『世尊！云何妄想自性從相生』？佛告大慧：『緣起自性事相相，行顯現事相相，計著有二種妄想自性，如來應供等正覺之所建立，謂名相計著相及事相計著相。名相計著相者，謂內外法計著。事相計著相者，謂即彼如是內外自共相計著。是名二種妄想自性相。若依若緣生，是名緣起。云何成自性？謂離名相事相妄想，聖智所得及自覺聖智趣所行境界，是名成自性如來藏心』。

> 大慧が仏に申し上げた。「世尊、妄想の自性はどのようにして相から生じるのですか」。 仏は大慧に告げられた。「縁起の自性という事相の相、行が顕現する事相の相に対して、執着することから二種類の妄想の自性が生じる。これは如来・応供・等正覚によって説かれたもので、名相への執着という相と、事相への執着という相である。名相への執着という相とは、内外の法への執着をいう。事相への執着という相とは、それらの内外の自相・共相への執着をいう。これを二種類の妄想の自性の相という。依もしくは縁によって生じるもの、これを縁起という。どのようにして成の自性となるのか。名相と事相の妄想を離れ、聖智によって得られるもの、および自覚聖智の趣くところの境界、これを成の自性である如来蔵心という」。

此乃大慧問妄想自性為何從相生？以下即佛答也。謂因緣所生之萬事萬法——十法界一切依正法——各有自相，又有在生滅遷流行上所顯差別之相——無量數類差別——於此起計著。又有二種妄計性生，乃如來之所宣示，非菩薩、二乘及凡夫、外道所能說，即名相計著相及事相計著相是也。名及事二字何解？名者、實之賓，蓋必有一所詮實物，然後有此能詮之名。所以此二種相，一在名上起執，一在實上起執。以下解釋二種相之四句，依義則文句有顛倒，應讀作：『事相計著相者，謂內外法計著；名相計著相者，謂即彼如是內外自共相計著』。蓋言計事相，即於內根身法、外器界法上而計著。計名相，即於如是內外法上自共相而計著——離言說為自相，有言說為共相，今非此之自共相。此中如言色、受、想、行、識為自相，則五陰一名為共相。除意根之五根及六塵為自相，則色法亦名為共相。——計著、即妄想自性相也。若依若緣生是名緣起者，言依種子親因從眾緣而起，即解釋緣起自性也。云何成自性下，釋成自性也。言依緣起法上離名相事相上計著妄想，即正智所得趨證於自覺聖智圓成聖果，名曰成自性如來藏心。聖智、通於三乘，自覺聖智所行、言所照了之境界。此中自覺，專指佛之自覺。如來藏心者，即正智、如如、理智一如之自覺聖智境界，不可思議者也。所以楞嚴會上文殊菩薩曰：『頂禮如來藏無漏不思議』也。

> これは大慧が「妄想の自性はなぜ相から生じるのか」と問うたに対する、仏の答えである。すなわち、因縁によって生じた万事万物——十法界のすべての依報・正報の法——には、それぞれ自相があり、また生滅遷流の上に現れる差別の相——無量無数の種類の違い——がある。これに対して執着を起こすのである。さらに二種の妄計性が生じる。これは如来が示されたものであり、菩薩・二乗・凡夫・外道が説けるものではない。すなわち名相計着相と事相計着相である。名と事とはどういう意味か。名とは実の客分であり、必ず詮じられるべき実物があって、はじめてそれを詮じる名が生じる。だからこの二種の相は、一つは名の上に執着を起こし、一つは実の上に執着を起こす。以下、二種の相についての四句を解釈するが、義に従えば文句が前後しており、「事相計着相とは、内法と外法に計着することをいう。名相計着相とは、すなわちかの如き内法・外法の自相・共相に計着することをいう」と読むべきである。事相に計着するとは、内の根身の法と外の器界の法の上に計着することである。名相に計着するとは、かくの如き内法・外法の上の自相・共相に計着することである——言説を離れたものを自相といい、言説のあるものを共相というが、ここでいう自共相はそれではない。たとえば色・受・想・行・識を自相といい、五陰という一つの名を共相という。意根を除く五根と六塵を自相といい、色法をまた共相という。——計着とは、すなわち妄想の自性相である。依にせよ縁にせよ生じる、これを縁起と名づくとは、種子の親因が衆縁に依って起こることをいい、縁起の自性を解釈したものである。いかにして成自性を成じるか以下は、成自性を解釈したものである。縁起の法の上で、名相・事相の計着妄想を離れ、すなわち正智の得るところ、自覚聖智に証入して円成の聖果を成就することを、成自性・如来蔵心と名づける。聖智は三乗に通じ、自覚聖智の行じるところは、照了される境界をいう。ここでの自覚は、特に仏の自覚を指す。如来蔵心とは、すなわち正智・如如・理智一如の自覚聖智の境界であり、不可思議なものである。それゆえ楞厳会の上で文殊菩薩は「如来蔵の無漏不思議に頂礼したてまつる」と言われたのである。