---
title: "太虛大師全書．第九編　制議 · 二　宗史"
description: "太虚大师著《太虚大师全书》第九编制议，收录于民国时期，是近代佛教改革领袖太虚大师关于僧制建设与佛教制度革新之核心文献。内容涵盖僧伽教育、寺庙管理、戒律整理及人间佛教实践方案，系统提出以现代组织化、教育化方式复兴佛教。该书继承传统戒律精神，融合时代需求，为佛教现代化转型提供理论基础，被视为近代中国佛教制度史里程碑著作，对当代佛教组织建设与人间佛教发展具有深远指导意义。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmpjjew0u000it15kcx9v2x0m"
---

### 二　宗史

> 二 宗派の歴史

一、南山宗，震旦律學，始曇摩迦三藏之傳戒。繼是翻譯而疏述者，唐代之前，垂數十家，而惠光、法礪、智首三師之疏為最著。唐終南山道南宣律師，始唱心宗戒體，作五大部發明其義。集成之功，遠邁西土，遂為此宗祖焉。同時有懷素律師及宗法礪律師學者，崇峙一時。稍後有義淨三藏，復譯出根本說一切有部律甚多。然或湮沒大藏，或淪散殊邦，後代鮮宏通者。獨南山所宏四分律，迄今不替。蓋由南山歷傳至宋，得允堪律師會正記，及靈芝律師資持記，用法華、涅槃開顯之圓意，光大斯宗，故得綿延不衰。今雖法門猥雜，大義泯棼，其故轍猶未盡隳也。

> 一、南山宗。中国における律学は、曇摩迦（曇無徳）三蔵による戒律の伝授に始まる。その後、唐代以前までに多くの翻訳や注釈書が著され、数十の流派が現れた。中でも、恵光、法礪、智首の諸師による注釈が最も著名である。唐代、終南山の道宣律師は、初めて心の戒体を説き、五大部を著してその義を明らかにした。その集大成の功績は遠くインドをも凌ぎ、この宗派の祖とされる。同時代には懐素律師や、法礪律師の学を継ぐ者たちが現れ、一時併立した。やや後れて義浄三蔵が『根本説一切有部律』を多く翻訳したが、それらは大蔵経の中に埋もれたり、諸国に散逸したりして、後代に広く伝わることはなかった。ただ南山が広めた『四分律』だけは、今日に至るまで絶えることなく伝わっている。これは、南山の教えが宋代にまで連綿と伝わり、允堪律師の『会正記』や霊芝律師の『資持記』によって、法華経や涅槃経の開顕する円満な義によってこの宗が大きく発展させられたからである。今は仏法の形が乱れ、大いなる義も曖昧になってしまったが、その古い道筋はまだ完全には失われていない。

二、少室宗：昔世尊在靈山會上，拈花示眾，獨大迦葉破顏微笑。乃曰：吾有正法眼藏，付囑於汝。十二傳為馬鳴，十四傳為龍猛。二十八傳則為菩提達磨，始將傳法衣缽，東來震旦，面壁少室，是為震旦初祖。五傳至曹溪，其道始顯於世。蓋梵土諸祖僅密付單傳而已。馬鳴、龍猛，廣造大乘經論，未嘗專揚靈山拈花之旨，故此宗梵土不光顯。至曹溪、悟者始如過江名士矣。由曹溪出青原南嶽二支，青原下出曹洞一派，由南嶽下復出溈仰、臨濟、雲門、法眼四派，是為五家宗派。後由臨濟，復出楊岐、黃龍二派。今雲門、法眼、溈仰，久成墜緒；曹洞亦不絕如線。憧憧遍震旦者，錄臨濟源流曰幾十幾世而已。然猶幸有此臨濟源流也，不然，宋明迄今，不知裂成幾百幾千派矣！故晚明諸師，殷殷辨源流綱宗已。雖然、末矣！與初祖東來之旨益荒矣。今既不足復分五派，則宜溯源少室，曰傳少室正宗幾十幾世為當。

三、開元宗：唐朝開元四年，善無畏三藏、始將梵筴至長安，譯出密部經論。一行大師盡得其傳。同時、金剛智三藏率弟子不空三藏，亦來東土。案密部由龍猛菩薩開南天竺鐵塔，禮金剛薩埵，受灌頂儀軌，其法遂行於世。龍猛即以之傳龍智，而金剛智則親承於龍智者也。善無畏亦傳自龍智，而與金剛智、不空、同稱開元三大士。當時君相禮敬如佛，此宗遂如日月經天，江河行地。顧未幾即湮沒。故志磐法師作佛祖統記，已謂唐未亂離，經疏銷毀。今其法盛行於日本。而吾國所謂瑜伽者，但存法事，蓋宋時已成市井歌唄矣。元、明、清朝，其法行於宮掖，然亦承於蒙藏喇嘛，非復開元之舊。唯日本猶存其全法，受而歸之，則此宗可復也。

> 三、開元宗について：唐の開元四年（716年）、善無畏三蔵が初めて梵文経典を長安にもたらし、密教の経典や論書を翻訳しました。一行大師はその教えを全て受け継ぎました。同時に、金剛智三蔵は弟子の不空三蔵を連れて、東の地（中国）にやって来ました。密教は龍猛菩薩が南インドの鉄塔を開き、金剛薩埵に礼拝し、灌頂の儀軌を受けたことに始まり、その教えが世に広まりました。龍猛はそれを龍智に伝え、金剛智は龍智から直接教えを受けました。善無畏もまた龍智から伝えられ、金剛智・不空と共に「開元の三大士」と称されました。当時の皇帝や大臣たちは彼らを仏のように敬い、この宗派はまるで日月が天空を運行し、河川が大地を流れるかのように栄えました。しかし、間もなくして衰え失われてしまいました。そのため、志磐法師が『仏祖統紀』を作った際には、すでに「唐の末年に戦乱があり、経典や注釈書は焼失してしまった」と述べています。現在、この教えは日本で盛んに行われています。一方、我が国で「瑜伽」と呼ばれるものは、わずかに法要の形式だけが残っていますが、宋代にはすでに街中の歌謡のようになってしまいました。元・明・清の各王朝では、この教えは宮中で行われましたが、それもモンゴルやチベットのラマ僧から伝えられたもので、もはや開元年間の本来のものではありません。ただ日本だけがその完全な教えを今に伝えています。これを受け継ぎ、我が国に持ち帰れば、この宗派は再び興すことができるのです。

四、廬山宗：東晉廬山慧遠大師，與居士劉遺民等百餘人，宗依經論，修專念彌陀、求生極樂之法門，首創蓮社。遠公既負天下重望——遠公不徒邃精佛法、為梵僧歎為震旦大菩薩，且尤善莊、善易、善詩、善禮，各有儒生傳其專學——，其證驗又昭然人目，尊為此宗初祖，千古翕然。歷代宏揚，曾不稍替。唐初善導大師，以專持阿彌陀佛名號倡，迄今婦孺莫不知稱阿彌陀佛。禪、教、律師及諸居士，尤多提撕，蓋無不崇奉也。故此宗無法派流傳，然莫不尊廬山至雲棲為八祖云。

> 四、廬山宗：東晉の廬山・慧遠大師は、居士の劉遺民ら百余名と共に、経典や論書をよりどころとして、念仏に専念し極楽浄土への往生を願う法門を修行し、初めて蓮社を創設されました。慧遠大師は天下の重い信望を担っておられました。大師は仏法に深く通じただけでなく、インドの僧からも「震旦の大菩薩」と嘆称されるほどでした。さらに、『荘子』、『易経』、詩、礼法にも優れ、それぞれにその学問を伝える儒者たちがいました。その修行の証拠や功徳が人々の目に明らかであったため、この宗派の初祖として尊ばれ、千古にわたって皆が一致して敬ってきました。歴代にわたって広く宣揚され、少しも衰えることがありませんでした。唐の初め、善導大師が阿弥陀仏の名号を専らに称えることを提唱されて以来、今日に至るまで老若男女、阿弥陀仏の名を知らぬ者はおりません。禅宗・天台宗・律宗の僧侶や在家の仏教徒も、特にこの念仏の教えを励まし、尊ばない者はありません。それゆえ、この宗派には特別な法系の流れはありませんが、廬山から雲棲までを八祖と仰ぐことについては、だれも異存がありません。

五、慈恩宗：玄奘三藏西訪五天，學於戒賢大師。囊括梵土大小乘法，東還譯講。悉舉彌勒、無著、天親之學，以傳弟子窺基，是為慈恩法師，作疏百本，大暢其義。因成唯識一論，作述記及樞要二部，以匯其流。慈恩弟子惠沼，又依述記著了義燈。惠沼弟子智周，亦依之作演祕。三師親承，其教義燦若日月矣。然更武宗之難，五代之亂，至宋已式微矣。元時又盡失其疏記，六百年來，講筵僅略識其梗概。今幸由日本次第取還其典籍，可期恢復。雖然，明、清來稱教下三家，固未嘗全絕其學也。

六、嘉祥宗：鳩摩羅什大士，為龍猛菩薩四傳之弟子，提婆菩薩之曾孫也。傳法東來，專宏龍猛、提婆之般若宗，是為此宗遠祖。門下生、肇、融、叡、影、觀、恆、濟八哲，咸受大義。濟傳道朗，朗傳道詮，詮傳法朗，朗傳吉藏，即是嘉祥大師。大師盛弘之於隋朝，製作繁多，難以具舉。蓋此宗至嘉祥門學始嚴，卓然不可逾也。入唐講學愈盛，惠遠、智拔、惠喻、法敏諸德，相繼輩出。破顯妙宗，光被四海。惜乎五季之後，教典蕩然，宋、元來至無人能舉其名！今幸得日本為反哺，學者乃皆知此宗為震旦佛法碩果，而研鑽者日多。

七、天台宗：北齊惠文大師讀中論偈，悟三觀理，以授慧思大師。師居南岳，大弘禪法。智顗大師往謁，喜曰：『昔日靈山同聽法華，夙緣所追，今復來矣』！乃授三觀禪法。後誦法華至藥王品，證入法華三昧，徹見靈山一會，儼然未散。思印之曰：『非爾莫證，非吾莫識，此法華三昧之前方便也』。自是智解泉湧，學徒影從。棲天台山，終身弘法。始立五時、八教，網羅全藏，宗極法華，道觀雙流，戒定兼闡，其義指莫高也！故為此宗高祖。弟子章安筆記其說，成為一宗典籍，比之阿難結集。再傳法華、天宮、左溪三師，其道稍隱。溪傳荊谿湛然大師，起而振之，號為烈祖。五代喪亂，教典亦失。宋代漸由高麗、日本求歸。荊溪八傳弟子四明知禮大師，又重興之。與四明同時有孤山法師，立義稍異，遂裂為山外派，不久消息。獨四明之山內一派，廣智、南屏，相繼流衍；明代亦多哲人。今南北講筵盛弘者，胥在此宗。然第歠其流而不探其源，禪觀固不相應，教義亦多汗漫！

八、清涼宗：晉佛陀跋陀羅三藏，始譯出華嚴六十卷。雖經敷講，未極玄致。杜順和尚、謚號帝心尊者，始括奧旨作法界觀，是為此宗遠祖。順授智儼大師，明六相義，作搜玄記。儼授賢首國師，造探玄記及六十華嚴疏，發揮盡致。蓋此宗之三祖也。惜其說為弟子惠苑所亂，嗣又紛失莫傳。時有實叉難陀，又譯華嚴成八十卷，號曰新經。清涼澄觀國師，遙承前三祖之遺意，籠罩諸宗，匯歸真界，撰成新經大疏，足為千古極唱，故宗祖宜在乎此也。且歷代流通者，皆八十卷之華嚴經。縱賢首之舊疏復出，不足以易之矣。惜後代少能承其法流之全者！觀傳圭峰宗密大師，著述亦富。會昌之厄，遺風掃地，至宋長水子濬大師，始稍稍搜輯以起其墜緒，然亦不復能光大矣。明代別峰、麓亭諸公，亦講其學。今雖流傳，精者良少。然楊仁山居士從日本、高勾麗，收回此宗佚書頗多，教典則宏備矣，興起之、則嘗有需乎豪傑士！

> 第八章 華嚴宗（清凉宗） 晉代の仏陀跋陀羅三蔵が初めて『華厳経』六十巻を翻訳しました。その後、講義や解説は行われましたが、その深遠な真髄にはまだ至っていませんでした。杜順和尚（諡号は帝心尊者）が初めて奥義をまとめて『法界観』を作り、この宗の遠祖となりました。杜順は智儼大師にその教えを伝え、智儼は六相の義を明らかにし、『捜玄記』を著しました。智儼は賢首国師に伝え、賢首は『探玄記』と六十巻『華厳経』の注釈書を作り、その教えを余すところなく解き明かしました。この三人がこの宗の三つの祖です。しかし、惜しいことに賢首の教えは弟子の恵苑によって混乱させられ、その後さらに散逸して伝わらなくなりました。その頃、実叉難陀が再び『華厳経』を翻訳して八十巻とし、新経と名付けました。清凉澄観国師は遠くこの三祖の遺志を受け継ぎ、諸宗を包括し、真実の世界に帰一させて『新経大疏』を撰述しました。これは千古の絶唱であり、宗の祖はここに置くべきでしょう。また、歴代で流布しているのは八十巻の『華厳経』です。たとえ賢首の古い注釈が再び現れても、これに取って代わることはできません。惜しいことに後代には、その法流を完全に受け継ぐ人がほとんどいませんでした。圭峰宗密大師に伝わり、著作も多くありましたが、会昌の法難によってその遺風は地に落ちました。宋の長水子濬大師に至って、ようやく少しずつ捜集してその断絶した道を再興しましたが、もはや大いに光り輝かせることはできませんでした。明代の別峰や麓亭などの諸師もその学を講じました。現在も伝わってはいますが、精通している者は非常に少ないのです。しかし、楊仁山居士が日本と高句麗からこの宗の散佚した典籍を多く回収し、教典はほぼ充実しました。これを興隆させるには、豪傑の士を待つ必要があるのです。