---
title: "太虛大師全書．第十一編　宗依論（上） · 八　維摩詰等之刱造淨土行"
description: "太虚大师（释太虚）是民国时期倡导人间佛教的革新领袖。本书为《太虚大师全书》第十一编宗依论（上），成书于民国年间。内容系统辨析佛教经典与宗派的依止理论，涵盖经论判释、教相判释及修行次第，旨在会通各宗、融贯中西。作为太虚大师佛学思想体系的核心著作之一，此书对现代佛教义学建构与人间佛教实践具有奠基性地位，是研究近代佛教转型的重要文献。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmpjjhw9i00ogt1920xvhzz38"
---

### 八　維摩詰等之刱造淨土行

> 第八品　維摩詰らの浄土行の創造

通說淨法緣起，亦含二乘自了生死之離繫果——即擇滅涅槃——；而刱造淨土行——非往生淨土行，往生淨土亦多劣根，為自了故——，則為自他有共同關係之社會淨行。個人不能成社會業，多個自顧自之個人，雖聚處亦不能成社會業；凡社會果，必須化成共同心理、共同生活、共同行動、而有大眾相和合之關係，乃能成社會業以刱建清淨之國土。大乘發心與諸眾生同甘共苦，悲救世間眾生之苦，而慈濟以究竟安樂，故無不以刱造莊嚴淨妙佛國為修行之目標。然以維摩詰經說最明了，茲錄其文：

> 浄法の縁起を広く説くならば、その中には声聞・縁覚の二乗が自ら生死を超越するための離繫果（択滅涅槃）も含まれている。しかし、浄土の行を創造すること（これは往生浄土の行とは異なる。往生浄土もまた多くの劣根の者たちが自らのために行うものだからである）は、自他の共同関係に基づく社会の清らかな行いである。個人は社会の業を成すことはできない。各自が自分のことだけを考える個々の人間は、たとえ集まっても社会の業を成すことはできない。すべての社会の果報は、共通の心理、共通の生活、共通の行動へと変化し、大衆が和合する関係を持たなければ、社会の業を成して清らかな国土を建設することはできない。大乗の心の発起は、衆生と苦楽を共にし、世間の衆生の苦しみを慈悲をもって救い、究極の安楽を施すことにある。それゆえ、荘厳で清らかな仏国土を創造することを修行の目標としない者はない。しかし、このことは『維摩経』に最も明らかに説かれている。ここにその文を引用する。

寶積白佛：「我等今已發菩提心，願聞菩薩得佛國土清淨之行」！佛言：「寶積！眾生之類是菩薩佛土。所以者何？菩薩隨所化眾生而取佛土，隨所調伏眾生而取佛土，隨諸眾生應以何國入佛智慧而取佛土，隨諸眾生應以何國起菩薩根而取佛土。所言者何？菩薩取於淨國，皆為饒益諸眾生故。譬如有人，欲於空地造立宮室，隨意無礙；若於虛空，終不能成。菩薩如是，為成就眾生故，願取佛國。願取佛國者，非於空也。

> 宝積が仏に申し上げました。「私たちは今、すでに菩提心を起こしました。どうか菩薩がどのようにして仏国土の清らかな行いを得るのかをお聞かせください。」 仏はお答えになりました。「宝積よ、衆生のあり方こそが菩薩の仏国土なのです。なぜなら、菩薩は教化する衆生に応じて仏国土を得、調伏する衆生に応じて仏国土を得、衆生がどのような国で仏の智慧に入るべきかに応じて仏国土を得、衆生がどのような国で菩薩の根を起こすべきかに応じて仏国土を得るからです。それはどういうことかと言えば、菩薩が清らかな国を得るのは、すべて衆生を利益するためなのです。たとえば、ある人が空き地に宮殿を建てようとするならば、自由に思いのままに建てられます。しかし、虚空に建てようとしても、決して完成することはありません。菩薩もこれと同じで、衆生を成就させるために、仏国土を得ようと願うのです。仏国土を得ようと願うことは、虚空に向かって願うことではないのです。」

此明菩薩為眾生故刱造淨土，若二乘但繫心涅槃以求自了，不能修取淨土行也。眾生之類，即眾同分，依此起行，即眾和合之社會業，故能建成種種不同諸淨佛國，分類攝化諸眾生也。

> これは、菩薩が衆生のために浄土を建立することを明らかにしています。もし二乗（声聞・縁覚）がただ涅槃に心を留めて自己の解脱のみを求めれば、浄土を成就するための修行を行うことはできません。 「衆生の類」とは、同じ性質を持つ仲間（衆同分）を指します。これに基づいて修行を行うことは、多くの人々が和合した社会による善業（社会業）となるのです。そのため、様々に異なる清らかな仏の国々を建立し、それぞれの衆生を分類して導き、教化することができるのです。

寶積當知：直心是菩薩淨土，菩薩成佛時，不諂眾生來生其國；深心是菩薩淨土，菩薩成佛時，具足功德眾生來生其國；……隨其心淨則佛土淨。

> 宝積よ、知るがよい。誠実な心こそが菩薩の浄土である。菩薩が仏になるとき、偽りのない心を持つ人々がその国に生まれる。深い志の心が菩薩の浄土である。菩薩が仏となるとき、功徳を備えた人々がその国に生まれる。（中略）心が清らかであれば、仏の国も清らかなのである。

此正明於諸清淨行，自修化他。故成淨國時，有共行關係諸眾生皆來生其國中也。

> これは、様々な清らかな行いを自ら実践し、また他者を導くことを明らかにしています。そのため、清らかな国が成就した時には、共に修行した関係にある多くの人々が、皆その国に生まれてくるのです。

有維摩詰菩薩，欲度人故，以善方便居毗離耶。資財無量，攝諸貧民——勞資可以不爭——；持律清淨，攝諸毀禁——刑罰可以不施——；以忍調行，攝諸恚怒——戰鬥可以不作——；以大精進，攝諸懈怠——百工各勤其業——；一心禪寂，攝諸亂意——萬民各安其分——；以決定慧，攝諸無智——諸學皆正其理——；雖為白衣，奉持沙門清淨律行；……長者維摩詰，以如是等無量方便，饒益眾生。

> 維摩詰という菩薩がいた。人々を救おうという願いから、巧みな方便（手段）を用いて、毘舎離の地に住んでいた。彼は計り知れないほどの財産を持ち、貧しい人々を助けていた——そのため、財産を巡る争いは起こらなかった——。戒律を清らかに守り、戒めを破った人々を導いた——そのため、刑罰を用いる必要はなかった——。忍耐の行で自らを調え、怒りの心を鎮めた——そのため、戦いは起こらなかった——。大いなる精進によって、怠ける心を奮い立たせた——そのため、様々な仕事にそれぞれが励んだ——。一心に禅定の静けさに浸り、乱れた心を整えた——そのため、民はそれぞれの分を安んじた——。確かな智慧によって、無知な人々を導いた——そのため、あらゆる学問が正しい道理にかなった——。彼は在家の身でありながら、沙門（修行者）の清らかな戒律と行いを守っていた……。長者ヴィマラキールティは、このような計り知れない方便によって、人々に大きな利益をもたらしたのである。

此舉維摩詰所行為實例，以證明菩薩隨眾生之類以修諸淨佛國行也。既修淨佛國行，即當得淨佛國之果。證以釋迦按足之堪忍界，淨名手取之阿閦國，夫亦可以知矣。他若阿彌陀因地——法藏比丘等種種發心，修取淨土以攝受眾生，皆大乘之不共行也。

> これは維摩詰の行動を実際の例として、菩薩が衆生の種類に応じて様々な清らかな仏国土を修行することを示している。いったん清らかな仏国土の修行を成し遂げれば、その報いとして清らかな仏国土の結果を得るのである。釈迦牟尼が足を押し付けて現した堪忍世界と、維摩詰が手に取って示した阿閦仏国土の例を見れば、これを理解することができる。また、阿弥陀仏が修行者だった頃の法蔵比丘などの様々な発心や、清らかな国土を修行して衆生を引き寄せ摂取したことも、すべて大乗仏教に特有の行いである。