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  1. 縁起経一巻 (緣起經一卷)
  1. 縁起経 (緣起經)
  2. 縁起経一巻 (緣起經一卷)

縁起経 (緣起經)

「緣起經」について

唐 · 底本の訳者:玄奘

923 字 · 約 3 分

縁起経は唐代の高僧・玄奘三蔵によって漢訳された、仏教の重要な経典の一つです。この経典は、仏陀の核心的な教えである「縁起の法」を説き、あらゆる現象は因縁によって生じ、因縁が散滅すれば滅びるという真理を明らかにしています。経文は十二縁起を中心として、衆生が輪廻する因果の連鎖を体系的に説明し、無明・行・識などの各段階が互いに依存し合っていることを強調しています。玄奘は貞観年間にこれを天竺から持ち帰り漢訳し、仏教の縁起思想を研究するうえでの鍵となる文献となりました。この経典は大乗仏教において基礎的な地位を持ち、「縁起の聖なる真理」の経典的根拠として位置づけられています。後世の仏教哲学の発展に深い影響を与え、仏教の宇宙観と人生観を理解するための重要な典籍です。


緣起經一卷

縁起経

三藏法師玄奘奉 詔譯

三蔵法師玄奘奉詔訳

如是我聞:

このように私は聞きました。

一時,薄伽梵在室羅筏,住誓多林給孤獨園,與無量無數聲聞、菩薩、天人等俱。爾時,世尊告苾芻眾:「吾當為汝宣說緣起初差別義,汝應諦聽,極善思惟,吾今為汝分別解說。」

ある時、尊き仏は室羅筏(シュラーヴァスティー)の誓多林(ジェータ林)にある給孤独園(アナータピンディカの園)にいらっしゃいました。そして、数え切れないほどの声聞(弟子)、菩薩、天や人々と共におられました。

その時、世尊は僧たちにお告げになりました。「私はあなたがたに、縁起の最初の意味の違いについて説き明かしましょう。あなたがたはよく聞き、よく考えなさい。今、私があなたがたのために詳しく説明します。」

苾芻眾言:「唯然願說,我等樂聞。」

修行者たちが言いました。「はい、どうかお話しください。私たちは喜んでお聞きします。」

佛言:「云何名緣起初?謂依此有故彼有,此生故彼生,所謂無明緣行,行緣識,識緣名色,名色緣六處,六處緣觸,觸緣受,受緣愛,愛緣取,取緣有,有緣生,生緣老死,起愁歎苦憂惱,是名為純大苦蘊集,如是名為緣起初義。

仏が言われた。「では、『縁起の初め』とは何かというと、『これがあるからあれがあり、これが生じるからあれが生じる』という道理に基づく。すなわち、無明(むみょう)を縁として行(ぎょう)があり、行を縁として識(しき)があり、識を縁として名色(みょうしき)があり、名色を縁として六処(ろくしょ)があり、六処を縁として触(そく)があり、触を縁として受(じゅ)があり、受を縁として愛(あい)があり、愛を縁として取(しゅ)があり、取を縁として有(う)があり、有を縁として生(しょう)があり、生を縁として老死(ろうし)が生じ、また嘆

「云何名為緣起差別?謂無明緣行者,云何無明?謂於前際無知,於後際無知,於前後際無知;於內無知,於外無知,於內外無知;於業無知,於異熟無知,於業異熟無知;於佛無知,於法無知,於僧無知;於苦無知,於集無知,於滅無知,於道無知;於因無知,於果無知,於因已生諸法無知;於善無知,於不善無知;於有罪無知,於無罪無知;於應修習無知,於不應修習無知;於下劣無知;於上妙無知;於黑無知,於白無知;於有異分無知,於緣已生或六觸處,如實通達無知。如是於彼彼處如實無知,無見無現觀,愚癡無明黑闇,是謂無明。云何為行?行有三種,謂身行、語行、意行,是名為行。

では、縁起(えんぎ)の違いとは、どのようなものでしょうか? 無明(むみょう)を縁(よ)として行(ぎょう)が生じると言いますが、無明とは何でしょうか。 それは、過去について無知であること、未来について無知であること、過去と未来の両方について無知であること。 内側について無知であること、外側について無知であること、内側と外側の両方について無知であること。 行為(業)について無知であること、その結果(異熟)について無知であること、行為とその結果について無知であること。 仏陀について無知であること、教え(法)について無知であること、僧団(僧)について無知であること。 苦しみ(苦)について無知であること、苦しみの原因(集)について無知であること、苦しみの消滅(滅)について無知であること、消滅に至る道(道)について無知であること。 原因(因)について無知であること、結果(果)について無知であること、原因から生じるあらゆる現象について無知であること。 善について無知であること、不善について無知であること。 罪のあるものについて無知であること、罪のないものについて無知であること。 修行すべきものについて無知であること、修行すべきでないものについて無知であること。 下劣なものについて無知であること、優れたものについて無知であること。 黒いものについて無知であること、白いものについて無知であること。 区別のあるものについて無知であること、そして縁(よ)って生じた六つの触れる場所(六触処)をあるがままに理解することについて無知であること。 このように、あらゆる事柄をあるがままに知らず、見えず、はっきりと観察せず、愚かで、無知で、暗闇の中にあること、これが無明と呼ばれるものです。

では、行(ぎょう)とは何でしょうか。行には三つの種類があります。すなわち、身体の行(身行)、言葉の行(語行)、心の行(意行)です。これを行と言います。

「行緣識者,云何為識?謂六識身,一者眼識,二者耳識,三者鼻識,四者舌識,五者身識,六者意識,是名為識。

行(サンカーラ)によって識(ヴィニャーナ)が生まれる。では識とは何か?それは六つの識の集まりのことである。一つ目は眼識、二つ目は耳識、三つ目は鼻識、四つ目は舌識、五つ目は身識、六つ目は意識。これらを識と名付ける。

「識緣名色者,云何為名?謂四無色蘊:一者受蘊,二者想蘊,三者行蘊,四者識蘊。云何為色?謂諸所有色,一切四大種,及四大種所造,此色前名總略為一,合名名色,是謂名色。

「識が名色を縁とすると言うが、では『名』とは何か。それは四つの無色の構成要素(蘊)のことを指す。すなわち、感受作用(受蘊)、表象作用(想蘊)、心の働き(行蘊)、そして認識作用(識蘊)である。では『色』とは何か。それはあらゆる物質的なもの、すなわち四大元素(地・水・火・風)と、それらから生じるすべての物質を指す。この色と先に挙げた名を総合して一つにまとめ、名色と名付ける。これが名色である。」

「名色緣六處者,云何六處?謂六內處:一眼內處,二耳內處,三鼻內處,四舌內處,五身內處,六意內處,是謂六處。

「名色を縁として六処があるとは、どのような六処か。それは六つの内処である。一に眼の内処、二に耳の内処、三に鼻の内処、四に舌の内処、五に身の内処、六に意の内処、これらを六処という。」

「六處緣觸者,云何為觸?謂六觸身:一者眼觸,二者耳觸,三者鼻觸,四者舌觸,五者身觸,六者意觸,是名為觸。

「六つの感覚の場(六処)から触(接触)が生じるとは、どのような触のことでしょうか。それを六つの触のグループ(六触身)といいます。一つ目は眼による触、二つ目は耳による触、三つ目は鼻による触、四つ目は舌による触、五つ目は身体による触、六つ目は心による触です。これらを触といいます。」

「觸緣受者,云何為受?受有三種,謂樂受、苦受、不苦不樂受,是名為受。

「触によって生まれる『受』とは何か。『受』には三種類ある。すなわち、楽しい感覚、苦しい感覚、そして苦しくも楽しくもない感覚である。これを『受』と呼ぶ。

「受緣愛者,云何為愛?愛有三種,謂欲愛、色愛、無色愛,是名為愛。

縁(よ)って生じる「愛」とは何か?愛には三種ある。すなわち、欲望への愛、物質的な世界への愛、そして物質を超えた世界への愛である。これらを愛と名づける。

「愛緣取者,云何為取?謂四取:一者欲取,二者見取,三者戒禁取,四者我語取,是名為取。

愛が執着の原因となるとは、では執着とは何か?四つの執着がある。第一に欲望への執着、第二に誤った見解への執着、第三に戒律や行いへの誤った執着、第四に自我への執着である。これを執着という。

「取緣有者,云何為有?有有三種,謂欲有、色有、無色有,是名為有。

「取を縁として有がある」とは、では「有」とは何か。有には三つの種類がある。すなわち、欲有、色有、無色有であり、これを有と名づける。

「有緣生者,云何為生?謂彼彼有情,於彼彼有情類,諸生、等生、趣、起、出、現、蘊得界得、處得,諸蘊生起,命根出現,是名為生。

縁によって生じるもの、その「生」とは何か。それは、あらゆる衆生がそれぞれの種類の中で、生まれ、等しく生まれ、趣き、起き、現れ出て、五蘊が得られ、界や処が得られ、諸々の蘊が生じ、命根が現れることである。これを「生」という。

「生緣老死者,云何為老?謂髮衰變,皮膚緩皺,衰熟損壞,身脊傴曲黑黶間身,喘息奔急,形貌僂前,憑據策杖,惛昧羸劣,損減衰退,諸根耄熟,功用破壞,諸行朽故,其形腐敗,是名為老。云何為死?謂彼彼有情,從彼彼有情類,終盡壞沒,捨壽捨煖,命根謝滅,棄捨諸蘊,死時運盡,是名為死。此死前老總略為一,合名老死,如是名為緣起差別義。

「生があるから老いと死がある」と言われるが、老いとは何か。それは、髪が衰え変化し、肌がたるみしわが寄り、衰え熟し損なわれ老化すること、背中が曲がり、黒い斑点が全身に現れ、呼吸が荒く速くなり、見た目が前にかがみ、杖にすがり、ぼんやりとして弱り衰え、機能が損なわれ、感覚器官が老いて衰え、働きが壊れ、全ての活動が古びて、体が腐敗する様を老いという。 では死とは何か。様々な生き物が、それぞれの種類の中で、終わり、尽き、壊れ、無くなり、寿命を捨て、体温を捨て、命の根源が消え去り、五つの構成要素(五蘊)を手放し、死ぬ時が来て尽きることを死という。この死と、その前にある老いを一つにまとめて老死と名付ける。これが縁起の各項目の意味の違いである。

「苾芻!我已為汝等說所標緣起初差別義。」

「比丘たちよ、私はすでにあなたがたに、縁起の最初の違いについて説き示した。」

時薄伽梵說是經已,聲聞、菩薩、天人等眾,聞佛所說皆大歡喜,得未曾有,信受奉行。

その時、尊き世尊がこの経典をお説きになると、聴聞していた声聞や菩薩、天や人の衆は、仏の教えを聞いて皆、大いに喜び、未曾有の法を得て、深く信じ受け入れ、実践したのである。

緣起經一卷

縁起経


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