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  1. 仏説能断金剛般若波羅蜜多経 (佛說能斷金剛般若波羅蜜多經)
  1. 仏説能断金剛般若波羅蜜多経 (佛說能斷金剛般若波羅蜜多經)
  2. 仏説能断金剛般若波羅蜜多経 (佛說能斷金剛般若波羅蜜多經)

仏説能断金剛般若波羅蜜多経 (佛說能斷金剛般若波羅蜜多經)

「佛說能斷金剛般若波羅蜜多經」について

唐 · 底本の訳者:義淨

5,152 字 · 約 17 分

『金剛般若波羅蜜多経』は、唐代の高僧である義浄によって漢訳された重要な仏教経典で、般若部の経典の一つです。この経典は、般若の空の思想を説き、あらゆる執着を智慧によって断ち切り、悟りの彼岸に至ることを強調しています。経文は金剛石に譬えて、般若の智慧が何ものにも壊されない性質を表し、その核心は「無住の心を起こす」「形にこだわらず善を修める」といった教えを中心に展開しています。これは大乗仏教修行の核心的な指針となるものです。唐代の著名な訳経僧である義浄の訳は、言葉が精確で流暢であり、中国仏教に深い影響を与えました。この経典は鳩摩羅什訳の『金剛経』と同じ原典から訳された別訳であり、古来より般若経典の代表作とされ、仏教思想史や禅の修行において極めて高い地位を占めています。


佛說能斷金剛般若波羅蜜多經

仏説能断金剛般若波羅蜜多経

唐三藏沙門義淨譯

唐三蔵法師義浄訳

如是我聞:

このように私は聞きました。

一時薄伽梵,在名稱大城,戰勝林施孤獨園,與大苾芻眾千二百五十人俱,及大菩薩眾。爾時,世尊於日初分時,著衣持鉢,入城乞食。次第乞已,還至本處。飯食訖,收衣鉢,洗足已,於先設座,加趺端坐,正念而住。時諸苾芻來詣佛所,頂禮雙足,右繞三匝,退坐一面。

あるとき、尊き仏陀は、名高い大都市に滞在されていました。戦勝林にある施孤獨園において、千二百五十人の大比丘たちと共に、また多くの大菩薩たちと共におられました。

さて、世尊は朝早く、衣をまとって鉢を持ち、托鉢のために街へと入られました。順番に乞い終えると、元の場所へと戻られました。食事を済ませ、衣と鉢を片付け、足を洗い、あらかじめ設えられた座に結跏趺坐し、正しい心の状態でとどまられました。

そのとき、比丘たちが仏陀のもとにやって来ました。両足に頭を垂れて礼拝し、右に三度回ってから、一歩下がって座につきました。

爾時,具壽妙生,在大眾中,承佛神力,即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬白佛言:「希有!世尊!希有!善逝。如來應正等覺,能以最勝利益,益諸菩薩;能以最勝付囑,囑諸菩薩。世尊!若有發趣菩薩乘者,云何應住?云何修行?云何攝伏其心?」

その時、尊者スブーティは、大勢の聴衆の中にあって、仏の威神力に支えられ、座から立ち上がりました。右肩の衣を脱ぎ、右膝を地につけ、合掌して恭しく仏に申し上げました。

「稀有なるかな、世尊よ。稀有なるかな、善逝よ。如来・応供・正等覚者は、最も勝れた利益をもって諸々の菩薩を益し、最も勝れた付嘱をもって諸々の菩薩を嘱することがおできになります。世尊よ、もし菩薩の道に向かって発心する者があったならば、どのように心を住まわせるべきでしょうか。どのように修行すべきでしょうか。どのようにその心を調え伏せるべきでしょうか。」

佛告妙生:「善哉,善哉!如是,如是!如汝所說:『如來以勝利益,益諸菩薩;以勝付囑,囑諸菩薩。』妙生!汝應諦聽,極善作意,吾當為汝分別解說。若有發趣菩薩乘者,應如是住,如是修行,如是攝伏其心。」妙生言:「唯然,世尊!願樂欲聞。」

仏は妙生に告げられた: 「善きかな、善きかな。その通りである。その通りである。 そなたが言うように、『如来は最上の利益をもって菩薩たちを益し、 最上の付嘱をもって菩薩たちを託す』と。 妙生よ、よく聞きなさい。心を澄まして深く受け止めなさい。 わたしがそなたのために詳しく説き明かそう。 もし菩薩の道に向かおうとする者がいるならば、 このように心をとどめ、このように修行し、 このように自らの心を調えなさい。」

妙生は答えた: 「はい、世尊よ。喜んでお聞きいたします。」

佛告妙生:「若有發趣菩薩乘者,當生如是心:『所有一切眾生之類,若卵生、胎生、濕生、化生,若有色、無色,有想、無想,非有想、非無想,盡諸世界所有眾生,如是一切,我皆令入無餘涅槃而滅度之。』雖令如是無量眾生證圓寂已,而無有一眾生入圓寂者。何以故?妙生!若菩薩有眾生想者,則不名菩薩。所以者何?由有我想、眾生想、壽者想、更求趣想故。

仏は妙生に告げられた。「もし菩薩の道を志す者がいるなら、このような心を起こすべきである。『すべての衆生の類い、卵生、胎生、湿生、化生のもの、あるいは有色、無色のもの、有想、無想のもの、非有想非無想のもの、すべての世界のあらゆる衆生を、私はことごとく残りなく涅槃に至らしめ、安らぎに導こう。』このように無量の衆生を円寂(涅槃)に至らしめたとしても、実際に円寂に入った衆生は一人もいない。なぜか。妙生よ、もし菩薩に『衆生』という思いがあれば、それは菩薩とは呼べないからである。どうしてか。『我』という思い、『衆生』という思い、『寿者』という思い、『求める者』という思いがあるからである。」

「復次,妙生!菩薩不住於事,應行布施。不住隨處,應行布施。不住色、聲、香、味、觸、法,應行布施。妙生!菩薩如是布施,乃至相想,亦不應住。何以故?由不住施,福聚難量。

さらに、妙生よ、菩薩は事に執着することなく布施を行うべきである。場所に執着することなく布施を行うべきである。色・声・香・味・触・法に執着することなく布施を行うべきである。妙生よ、菩薩がこのように布施を行うとき、その相や想いさえも執着してはならない。なぜなら、執着しない布施こそ、その福徳の集まりが量り難いからである。

「妙生!於汝意云何?東方虛空可知量不?」妙生言:「不爾,世尊!」「南西北方,四維上下,十方虛空,可知量不?」妙生言:「不爾,世尊!」「妙生!菩薩行不住施,所得福聚不可知量,亦復如是。」

「須菩提よ、あなたはどう思うか。東の方の虚空の大きさを、はかり知ることができるか。」 須菩提は答えた。「できません、世尊よ。」 「では、南、西、北の方、また四隅と上下、すべての方角の虚空の大きさを、はかり知ることができるか。」 須菩提は答えた。「できません、世尊よ。」 「須菩提よ、菩薩がとらわれない心で布施を行じたとき、その得る福徳の量もまた、このようにはかり知ることができないのである。」

「妙生!於汝意云何?可以具足勝相觀如來不?」妙生言:「不爾,世尊!不應以勝相觀於如來。何以故?如來說勝相,即非勝相。」

須菩提よ、あなたはどう思うか。如来は完全な姿をもって見ることができるだろうか。 須菩提は答えた。「いいえ、世尊よ。如来をその姿をもって見るべきではありません。なぜなら、如来が説かれる完全な姿は、真の姿ではないからです。」

「妙生!所有勝相,皆是虛妄。若無勝相,即非虛妄。是故應以勝相無相觀於如來。」妙生言:「世尊!頗有眾生,於當來世,後五百歲,正法滅時,聞說是經,生實信不?」

妙生よ、すべての優れた姿や形は、みな虚妄のものである。もし優れた姿や形がなければ、それはもはや虚妄ではない。だからこそ、優れた姿や形のないあり方をもって如来を見るべきである。

妙生が申し上げた:「世尊よ、未来の世、五百年の後、正しい教えが滅びようとする時、この教えを聞いて、真実の信心を起こす者がいるでしょうか。」

佛告妙生:「莫作是說:『頗有眾生,於當來世,後五百歲,正法滅時,聞說是經,生實信不?』妙生!當來之世,有諸菩薩,具戒具德具慧,而彼菩薩,非於一佛承事供養,植諸善根;已於無量百千佛所,而行奉事,植諸善根。是人乃能於此經典生一信心。

仏陀は妙生に告げられた: 「そのように言ってはならない。 『未来世、正法が滅びようとする末の五百年に、この経典を聞いて真実の信心を起こす衆生が果たしてあるだろうか』と。 妙生よ、未来の世には、戒を具え、徳を具え、慧を具えた菩薩たちが現れる。 その菩薩たちは、一仏のもとで仕え供養して善根を植えただけではない。 無量百千の仏のもとで奉事し、数多くの善根を積んできたのである。 そのような人々こそ、この経典に対して一つの信心を生じることができるのだ。」

「妙生!如來悉知是人,悉見是人,彼諸菩薩當生當攝無量福聚。何以故?由彼菩薩,無我想、眾生想、壽者想、更求趣想。

妙生よ、如来はその人をすべて知り、その人をすべて見ている。その菩薩たちは、無量の福徳の集まりを生み、受け取ることになる。なぜなら、その菩薩たちには、『私』という思い、『衆生』という思い、『寿命』という思い、さらに『求めるべきもの』という思いがないからである。

「彼諸菩薩,非法想,非非法想,非想,非無想。何以故?若彼菩薩有法想,即有我執、有情執、壽者執、更求趣執。若有非法想,彼亦有我執、有情執、壽者執、更求趣執。妙生!是故菩薩,不應取法,不應取非法。以是義故,如來密意宣說筏喻法門,諸有智者,法尚應捨,何況非法。

かの菩薩たちは、法という想いもなく、非法という想いもなく、想いもなく、想いがないということもありません。なぜでしょうか。もし菩薩が法という想いを抱けば、それは我への執着、有情への執着、寿命への執着、更なる生への執着を生じさせるからです。もし非法という想いを抱いても、同じく我への執着、有情への執着、寿命への執着、更なる生への執着を生じさせます。妙生よ、だから菩薩は法に執着すべきではなく、非法にも執着すべきではありません。この意味において、如来は密意をもって筏のたとえを説かれたのです。すべての智者は、法でさえ捨てるべきであり、まして非法においてなおさらです。

「妙生!於汝意云何?如來於無上菩提有所證不?復有少法是所說不?」妙生言:「如我解佛所說義,如來於無上菩提實無所證,亦無所說。何以故?佛所說法,不可取,不可說,彼非法,非非法。何以故?以諸聖者,皆是無為所顯現故。」

須菩提よ、あなたはどう思うか。如来は無上菩提において、何か悟りを得たということがあるだろうか。また、何か説かれた教えというものがあるだろうか。

須菩提は答えた。私が仏の説かれた意味を理解する限り、如来は無上菩提において、実際には何も悟りを得たわけではなく、また何かを説かれたわけでもありません。なぜなら、仏の説かれた法は、つかみ取ることもできず、言葉で言い表すこともできないからです。それは法でもなく、法でないものでもない。なぜなら、すべての聖者たちは、無為によって現れているからです。

「妙生!於汝意云何?若善男子、善女人,以滿三千大千世界七寶持用布施,得福多不?」妙生言:「甚多,世尊!何以故?此福聚者,則非是聚,是故如來說為福聚、福聚。」

須菩提よ、あなたはどう思うか。もし善男善女が、三千大千世界に満ちるほどの七宝を寄進したならば、その福徳は多いだろうか。須菩提は答えた。甚だ多いです、世尊よ。なぜなら、この福徳の集まりは、集まりというものではなく、それゆえ如来は福徳の集まりと説かれたからです。

「妙生!若有善男子、善女人,以滿三千大千世界七寶,持用布施;若復有人,能於此經乃至一四句頌,若自受持,為他演說,以是因緣所生福聚,極多於彼無量無數。何以故?妙生!由諸如來無上等覺,從此經出;諸佛世尊,從此經生。是故妙生!佛法者,如來說非佛法,是名佛法。

妙生よ、もし善男子や善女が、三千大千世界いっぱいの七宝を集めて布施したとしても、それよりもはるかに多くの福徳が生まれることがある。それは、この経典のたった四句の偈であっても、自ら受け持ち実践し、また他の人に説き示す人がいるからだ。なぜなら、妙生よ、すべての如来の無上の悟りは、この経典から生まれ出る。すべての仏陀も、この経典から生まれるのだ。ゆえに妙生よ、仏法と呼ばれるものは、如来が説くところでは、仏法という固定的なものではなく、ただ仮に仏法と名づけられているのである。

「妙生!於汝意云何?諸預流者頗作是念:『我得預流果。』不?」妙生言:「不爾,世尊!何以故?諸預流者,無法可預,故名預流。不預色、聲、香、味、觸、法,故名預流。世尊!若預流者作是念:『我得預流果。』者,則有我執,有情壽者更求趣執。」

妙生よ、どう思うか。預流の境地に至った者は、『私は預流の果を得た』というような思いを起こすだろうか。 妙生は答えた。 「いいえ、世尊よ。なぜなら、預流の境地に至った者には、『預る』べき何ものもないからです。色・声・香・味・触・法に預からないゆえに、預流と呼ばれるのです。 世尊よ、もし預流の者が『私は預流の果を得た』という思いを起こすならば、それは自我への執着となり、生きとし生ける者や寿命への執着をさらに求めることになってしまいます。」

「妙生!於汝意云何?諸一來者頗作是念:『我得一來果。』不?」妙生言:「不爾,世尊!何以故?由彼無有少法證一來性,故名一來。」

妙生よ、あなたはどう思いますか。 一度だけ戻ってくるという境地に達した者たちは、 『私は一還果を得た』と考えるでしょうか?」

妙生は答えました。 「いいえ、世尊、そのようなことはありません。 なぜなら、彼らには『一還者である』と証明できる わずかなものさえ存在しないからです。 それゆえに『一還』と呼ばれるのです。」

「妙生!於汝意云何?諸不還者頗作是念:『我得不還果。』不?」妙生言:「不爾,世尊!何以故?由彼無有少法證不還性,故名不還。」

須菩提よ、あなたはどう思うか。不還の境地に至った者たちは、『私は不還の果を得た』という思いを起こすだろうか。須菩提は答えた。『いいえ、世尊よ。なぜなら、彼らには不還の境地を証得したとするわずかな法も存在しないからです。それゆえに不還と呼ばれるのです。』

「妙生!於汝意云何?諸阿羅漢頗作是念:『我得阿羅漢果。』不?」妙生言:「不爾,世尊!由彼無有少法名阿羅漢。世尊!若阿羅漢作是念:『我得阿羅漢果。』者,則有我執,有情壽者更求趣執。世尊!如來說我得無諍住中最為第一。世尊!我是阿羅漢離於欲染,而實未曾作如是念:『我是阿羅漢。』世尊!若作是念:『我得阿羅漢。』者,如來即不說我妙生得無諍住,最為第一。以都無所住,是故說我得無諍住、得無諍住。」

妙生よ、どう思うか。阿羅漢たちは、『私は阿羅漢の境地を得た』という思いを抱くだろうか。」

妙生は答えた。 「いいえ、世尊。阿羅漢と呼ばれるようなわずかな実体さえ、彼らには存在しません。世尊よ、もし阿羅漢が『私は阿羅漢の境地を得た』という思いを抱くならば、それは『私』という執着であり、生きとし生けるもの、寿命ある者への執着となり、さらに求める心を生じさせるでしょう。世尊よ、如来は、私が争いのない境地に住する者の中で最も優れているとおっしゃいました。世尊よ、私は確かに欲望の染みから離れた阿羅漢ですが、しかし、決して『私は阿羅漢である』などという思いを抱いたことはありません。世尊よ、もし私が『私は阿羅漢の境地を得た』という思いを抱くならば、如来は私妙生が争いのない境地に住する者の中で最も優れているとはおっしゃらなかったでしょう。何ものにも執着せずに住しているからこそ、私は争いのない境地に住していると言われるのです。争いのない境地に住しているのです。」

「妙生!於汝意云何?如來昔在然燈佛所,頗有少法是可取不?」妙生言:「不爾,世尊!如來於然燈佛所,實無可取。」
「妙生!若有菩薩作如是語:『我當成就莊嚴國土。』者,此為妄語。何以故?莊嚴佛土者,如來說非莊嚴,由此說為國土莊嚴。是故,妙生!菩薩不住於事,不住隨處,不住色、聲、香、味、觸、法,應生其心;應生不住事心,應生不住隨處心,應生不住色、聲、香、味、觸、法心。

妙生よ、もし菩薩がこのように言うならば、『私は荘厳な仏国土を成就しよう』と、それは虚言である。なぜならば、荘厳な仏国土とは、如来が説くところによれば、実は荘厳なるものではなく、それゆえに国土の荘厳と言われるからである。

それゆえ、妙生よ、菩薩は事象に執着せず、場所に執着せず、色・声・香・味・触・法に執着することなく、心を起こすべきである。執着しない心を起こし、場所に執着しない心を起こし、色・声・香・味・触・法に執着しない心を起こすべきである。

「妙生!譬如有人,身如妙高山王,於意云何?是身為大不?」妙生言:「甚大,世尊!何以故?彼之大身,如來說為非身。以彼非有,說名為身。」

妙生よ、たとえば、ある人が、その身が須弥山のように大きいとしよう。どう思うか?その身は大きいといえるか?

妙生は答えた。「たいへん大きいです、世尊。なぜなら、その大きな身は、如来が説かれるところの『身』ではないからです。その身は実体がないゆえに、『身』と名づけられているのです。」

「妙生!於汝意云何?如弶伽河中所有沙數,復有如是沙等弶伽河,此諸河沙,寧為多不?」妙生言:「甚多,世尊!河尚無數,況復其沙。」
「妙生!我今實言告汝。若復有人,以寶滿此河沙數量世界,奉施如來,得福多不?」妙生言:「甚多,世尊!」

妙生よ、私は今、真実をあなたに告げよう。もしまた、ある人がこの川の砂の数ほどの世界を宝で満たし、如来に捧げたとしたら、その人は多くの福徳を得るだろうか?

「妙生!若復有人,於此經中受持一頌,并為他說,而此福聚,勝前福聚無量無邊。

妙生よ、もしまた人が、この経典の中の一つの偈を授け持ち、さらに他の人々に説くならば、その福徳の集まりは、先の福徳の集まりよりも無量無辺に勝るのです。

「妙生!若國土中有此法門,為他解說,乃至四句伽他,當知此地,即是制底,一切天、人、阿蘇羅等,皆應右繞而為敬禮;何況盡能受持讀誦,當知是人則為最上第一希有。又此方所,即為有佛,及尊重弟子。

妙生よ、もしある国や土地に、この教えの法門があり、人々にその意味を解き明かすならば、たとえわずか四句の偈であっても、その場所はまさに仏塔の地であると知りなさい。すべての天界の神々、人間、阿修羅たちは、皆、右回りに巡礼して礼拝すべきである。ましてや、この教えをすべて受け持ち、読み、唱えることができるならば、その人は最も優れた、第一の稀有な存在であると知りなさい。また、その場所には、仏とその尊い弟子たちが共にいると見なされるのです。

「妙生!於汝意云何?頗有少法是如來所說不?」妙生言:「不爾,世尊!無有少法是如來所說。」

妙生よ、あなたはどう思いますか。少しでも如来が説いた法というものがあるでしょうか。

妙生は答えた。いいえ、世尊。少しも如来が説いた法というものはありません。

「妙生!三千大千世界所有地塵,是為多不?」妙生言:「甚多,世尊!何以故?諸地塵,佛說非塵,故名地塵。此諸世界,佛說非界,故名世界。」

妙生よ、三千大千世界のすべての塵を集めたなら、それは多いと言えるだろうか。

妙生は答えた。大変多いです、世尊。なぜなら、それらの塵は、仏が説かれたところによれば、もともと塵ではないからこそ、塵と呼ばれるのです。また、これらの世界も、仏が説かれたところによれば、もともと世界ではないからこそ、世界と呼ばれるのです。

「妙生!於汝意云何?可以三十二大丈夫相觀如來不?」妙生言:「不爾,世尊!不應以三十二相觀於如來。何以故?三十二相,佛說非相,是故說為大丈夫相。」

妙生よ、あなたはどう思いますか。三十二の立派な大人の相によって如来を見ることができるでしょうか。

妙生は答えました。「いいえ、世尊。三十二相によって如来を見るべきではありません。なぜなら、三十二相は、仏が説かれたところでは相ではなく、それゆえに立派な大人の相と言われるからです。」

「妙生!若有男子女人,以弶伽河沙等身命布施;若復有人,於此經中受持一頌,并為他說,其福勝彼無量無數。」

妙生よ、もし男女がガンジス川の砂の数ほどの命を布施したとしても、それよりもさらに、この経典の一偈を受け持ち、他者に説く者の福徳は、計り知れないほど勝れているのです。

爾時,妙生聞說是經,深解義趣,涕淚悲泣而白佛言:「希有!世尊!我從生智以來,未曾得聞如是深經。世尊!當何名此經?我等云何奉持?」

その時、妙生はこの経を聞き、深くその意味を理解し、涙を流して悲しみながら仏に申し上げました。

「稀有なることです、世尊よ。私が知恵を得て以来、これほど深遠な経典を聞いたことはありません。世尊よ、この経は何と名づけるべきでしょうか。私たちはどのように受け持ち、実践すればよいのでしょうか?」

佛告妙生:「是經名為『般若波羅蜜多』,如是應持。何以故?佛說般若波羅蜜多,則非般若波羅蜜多。」
「世尊!若復有人,聞說是經生實想者,當知是人最上希有。世尊!此實想者,即非實想,是故如來說名實想、實想。世尊!我聞是經,心生信解,未為希有。若當來世,有聞是經,能受持者,是人則為第一希有。何以故?彼人無我想、眾生想、壽者想、更求趣想。所以者何?世尊!我想、眾生想、壽者想、更求趣想,即是非想。所以者何?諸佛世尊離諸想故。」
「妙生!如是,如是!若復有人,得聞是經,不驚不怖不畏,當知是人第一希有。何以故?妙生!此最勝波羅蜜多,是如來所說諸波羅蜜多。如來說者,即是無邊佛所宣說,是故名為最勝波羅蜜多。
「妙生!如來說忍辱波羅蜜多,即非忍辱波羅蜜多。何以故?如我昔為羯陵伽王割截支體時,無我想、眾生想、壽者想、更求趣想。我無是想,亦非無想。所以者何?我有是想者,應生瞋恨。妙生!又念過去於五百世,作忍辱仙人,我於爾時,無如是等想。是故應離諸想,發趣無上菩提之心,不應住色、聲、香、味、觸、法,都無所住而生其心;不應住法,不應住非法,應生其心。何以故?若有所住,即為非住。是故佛說:『菩薩應無所住而行布施。』
「妙生!菩薩為利益一切眾生,應如是布施。此眾生想,即為非想;彼諸眾生,即非眾生。何以故?諸佛如來離諸想故。妙生!如來是實語者,如語者,不誑語者,不異語者。
「妙生!如來所證法及所說法,此即非實非妄。妙生!若菩薩心住於事而行布施,如人入闇,則無所見。若不住事而行布施,如人有目,日光明照,見種種色,是故菩薩不住於事應行其施。
「妙生!若有善男子、善女人,能於此經受持讀誦,為他演說。如是之人,佛以智眼悉知悉見,當生當攝無量福聚。
「妙生!若有善男子、善女人,初日分以弶伽河沙等身布施,中日分復以弶伽河沙等身布施,後日分亦以弶伽河沙等身布施,如是無量百千萬億劫,以身布施。若復有人,聞此經典,不生毀謗,其福勝彼,何況書寫受持讀誦,為人解說。
「妙生!是經有不可思議不可稱量無邊功德,如來為發大乘者說,為發最上乘者說。若有人能受持讀誦,廣為他說,如來悉知悉見是人皆得成就不可量、不可稱、不可思議福業之聚,當知是人則為以肩荷負如來無上菩提。何以故?妙生!若樂小法者,則著我見、眾生見、壽者見、更求趣見,是人若能讀誦受持此經,無有是處。
「妙生!所在之處若有此經,當知此處則是制底,一切世間天、人、阿蘇羅,所應恭敬,作禮圍繞,以諸香花供養其處。
「妙生!若有善男子、善女人,於此經典受持讀誦演說之時,或為人輕辱。何以故?妙生!當知是人於前世中造諸惡業,應墮惡道,由於現在得遭輕辱,此為善事,能盡惡業,速至菩提故。
「妙生!我憶過去過無數劫,在然燈佛先,得值八十四億那庾多佛,悉皆供養承事,無違背者。若復有人,於後五百歲正法滅時,能於此經受持讀誦,解其義趣,廣為他說,所得功德,以前功德比此功德,百分不及一,千萬億分算分勢分比數分因分,乃至譬喻亦不能及。妙生!我若具說受持讀誦此經功德,或有人聞,心則狂亂,疑惑不信。妙生!當知是經不可思議,其受持者,應當希望不可思議所生福聚。」
復次,妙生白佛言:「世尊!若有發趣菩薩乘者。應云何住?云何修行?云何攝伏其心?」
佛告妙生:「若有發趣菩薩乘者,當生如是心:『我當度脫一切眾生,悉皆令入無餘涅槃。雖有如是無量眾生證於圓寂,而無有一眾生證圓寂者。』何以故?妙生!若菩薩有眾生想者,則不名菩薩。所以者何?妙生!實無有法可名發趣菩薩乘者。
「妙生!於汝意云何?如來於然燈佛所,頗有少法是所證不?」妙生言:「如來於然燈佛所,無法可證,而得菩提。」
佛言:「如是,如是!妙生!實無有法,如來於然燈佛所,有所證悟,得大菩提。若證法者,然燈佛則不與我授記:『摩納婆!汝於來世,當得作佛,號釋迦牟尼。』以無所得故,然燈佛與我授記,當得作佛,號釋迦牟尼。何以故?妙生!言如來者,即是實性真如之異名也。
「妙生!若言:『如來證得無上正等覺。』者,是為妄語。何以故?實無有法,如來證得無上正覺。妙生!如來所得正覺之法,此即非實非虛。是故佛說:『一切法者,即是佛法。』妙生!一切法、一切法者,如來說為非法,是故如來說一切法者,即是佛法。
「妙生!譬如丈夫,其身長大。」
妙生言:「世尊!如來說為大身者,即說為非身,是名大身。」
佛告妙生:「如是,如是!若菩薩作是語:『我當度眾生令寂滅。』者,則不名菩薩。妙生!頗有少法名菩薩不?」答言:「不爾,世尊!」
「妙生!是故如來說:『一切法無我、無眾生、無壽者、無更求趣。』
「妙生!若有菩薩言:『我當成就佛土嚴勝、佛土嚴勝。』者,如來說為非是嚴勝,是故如來說為嚴勝。妙生!若有信解一切法無性、一切法無性者,如來說名真是菩薩、菩薩。
「妙生!於汝意云何?如來有肉眼不?」妙生言:「如是,世尊!如來有肉眼。」
「如來有天眼不?」「如是,世尊!如來有天眼。」
「如來有慧眼不?」「如是,世尊!如來有慧眼。」
「如來有法眼不?」「如是,世尊!如來有法眼。」
「如來有佛眼不?」「如是,世尊!如來有佛眼。」
「妙生!於汝意云何?如弶伽河中所有沙數,復有如是沙等弶伽河,隨諸河沙,有爾所世界,是為多不?」妙生言:「甚多,世尊!」
「妙生!此世界中所有眾生,種種性行,其心流轉,我悉了知。何以故?妙生!心陀羅尼者,如來說為無持,由無持故,心遂流轉。何以故?妙生!過去心不可得,未來心不可得,現在心不可得。
「妙生。於汝意云何?若人以滿三千大千世界七寶布施,是人得福多不?」妙生言:「甚多,世尊!」
「妙生!若此福聚是福聚者,如來則不說為福聚、福聚。
「妙生!於汝意云何?可以色身圓滿觀如來不?」「不爾,世尊!不應以色身圓滿觀於如來。何以故?色身圓滿、色身圓滿者,如來說非圓滿,是故名為色身圓滿。」
「妙生!可以具相觀如來不?」「不爾,世尊!不應以具相觀於如來。何以故?諸具相者,如來說非具相,是故如來說名具相。」
「妙生!於汝意云何?如來作是念:『我說法。』耶?汝勿作是見。若言:『如來有所說法。』者,則為謗我。何以故?言說法、說法者,無法可說,是名說法。」
妙生白佛言:「世尊!於當來世,頗有眾生,聞說是經,生信心不?」
佛告妙生:「有生信者,彼非眾生,非非眾生。何以故?眾生、眾生者,如來說非眾生,是名眾生。
「妙生!於汝意云何?佛得無上正等覺時,頗有少法所證不?」妙生言:「實無有法是佛所證。」
佛告妙生:「如是,如是!此中無有少法可得,故名無上正等菩提。妙生!是法平等,無有高下,故名無上正等菩提。以無我、無眾生、無壽者、無更求趣性,其性平等,故名無上正等菩提。一切善法皆正覺了,故名無上正等正覺。妙生!善法者,如來說為非法,故名善法。
「妙生!若三千大千世界中,所有諸妙高山王,如是等七寶聚,有人持用布施。若復有人,於此經中,乃至一四句頌,若自受持,及為他說。以前福聚比此福聚,假令分此以為百分,彼亦不能及一分,或千分億分算分勢分數分因分,乃至譬喻亦不能及一。
「妙生!於汝意云何?如來度眾生不?汝莫作是見:『如來度眾生。』何以故?曾無有一眾生是如來度者。若有眾生是如來度者,如來則有我見、眾生見、壽者見、更求趣見。妙生!我等執者,如來說為非執,而諸愚夫妄為此執。妙生!愚夫眾生,如來說為非生,故名愚夫眾生。
「妙生!於汝意云何?應以具相觀如來不?」「不爾,世尊!不應以具相觀於如來。」
「妙生!若以具相觀如來者,轉輪聖王應是如來,是故不應以具相觀於如來,應以諸相非相觀於如來。」
爾時,世尊而說頌曰:
「若以色見我, 以音聲求我,
是人起邪觀, 不能當見我。
應觀佛法性, 即導師法身,
法性非所識, 故彼不能了。
「妙生!『諸有發趣菩薩乘者,其所有法是斷滅不?』汝莫作是見。何以故?趣菩薩乘者,其法不失。
「妙生!若有男子、女人,以滿弶伽河沙世界七寶布施。若復有人,於無我理、不生法中,得忍解者,所生福聚,極多於彼無量無數。
「妙生!菩薩不應取其福聚。」妙生言:「菩薩豈不取福聚耶?」
佛告妙生:「是應正取,不應越取,是故說取。
「妙生!如有說言:『如來若來若去、若坐若臥。』者,是人不解我所說義。何以故?妙生!都無去來,故名如來。
「妙生!若有男子、女人,以三千大千世界土地碎為墨塵。妙生!於汝意云何?是極微聚,寧為多不?」妙生言:「甚多,世尊!何以故?若聚性是實者,如來不說為極微聚極微聚。何以故?極微聚者,世尊說為非極微聚,故名極微聚。世尊!如來所說三千大千世界,說為非世界,故名三千大千世界。何以故?若世界實有,如來則有聚執。佛說聚執者,說為非聚執,是故說為聚執。」
「妙生!此聚執者,是世言論,然其體性,實無可說,但是愚夫異生之所妄執。
「妙生!如有說云:『佛說我見、眾生見、壽者見、更求趣見。』者,是為正說為不正耶?」妙生言:「不爾,世尊!何以故?若有我見如來說者,即是非見,故名我見。」
「妙生!諸有發趣菩薩乘者,於一切法,應如是知,如是見,如是解。如是解者,乃至法想亦無所住。何以故?妙生!法想、法想者,如來說為非想,故名法想、法想。
「妙生!若有人以滿無量無數世界七寶,持用布施。若復有人,能於此經,乃至受持讀誦四句伽他,令其通利,廣為他人正說其義,以是因緣所生福聚,極多於彼無量無數。云何正說?無法可說,是名正說。」
爾時,世尊說伽他曰:
「一切有為法, 如星、翳、燈、幻,
露、泡、夢、電、雲, 應作如是觀。」
爾時,薄伽梵說是經已,具壽妙生,及諸菩薩摩訶薩、苾芻、苾芻尼、鄔波索迦、鄔波斯迦,一切世間天、人、阿蘇羅等,皆大歡喜,信受奉行。
佛說能斷金剛般若波羅蜜多經

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