No. 1235-A重刻智證傳引
大法之衰。由吾儕綱宗不明。以故祖令不行。而魔外充斥。即三尺豎子。掠取古德剩句。不知好惡。計為己悟。僭竊公行。可嘆也。有宋.覺範禪師於是乎懼。乃離合宗教。引事比類。折衷五家宗旨。至發其所祕。犯其所忌而不惜。昔人比之貫高.程嬰.公孫杵臼之用心。噫。亦可悲矣。書以智證名。非智不足以辨邪正。非證不足以行賞罰。蓋照用全。方能荷大法也。充覺範之心。即天下有一人焉。能讀此書。直究綱宗。行祖令。斯不負著書之意。即未能洞明此書。而能廣其傳於天下。以待夫一人焉。能洞明之者。縱未能即酬覺範之志。亦覺範所與也。覺範所著。有僧寶傳.林間錄。與是書相表裏。業已有善刻。金沙于中甫比部。復捐貲刻是書。三集並行於世。亦法門一快事也。有志於宗門者。珍重流通。是所望云。
大法が衰えるのは、我々がその根本となる教えを明らかにしないからだ。それゆえ祖師の教えが行われず、魔や外道がはびこっている。三尺の子供さえ、古い徳者の残した言葉を拾い、良し悪しもわからず、自分が悟ったと思い込み、勝手に振る舞う。嘆かわしいことだ。
宋代の覚範禅師はこれを憂い、宗と教を離合し、事例を引き比べ、五家の宗旨を折衷した。秘伝を明かし、禁忌に触れることさえ惜しまなかった。昔の人はこれを貫高・程嬰・公孫杵臼の心になぞらえた。ああ、これもまた悲しいことだ。
この書は「智証」と名付けられている。智がなければ邪正を弁えられず、証がなければ賞罰を行えない。照用が完全であってこそ、大法を担うことができるのだ。
覚範の心を推し量れば、たとえ天下にただ一人でも、この書を読み、根本教えを究め、祖師の教えを行う者がいれば、著書の意に背かない。たとえこの書を深く理解できなくとも、天下に広く伝え、やがて一人でも深く理解する者を待つことができれば、たとえ直ちに覚範の志に応えられなくとも、覚範もまたそれを許すであろう。
覚範の著した『僧宝伝』『林間録』は、この書と表裏をなす。すでに善本が刻まれているが、金沙の于中甫比部がさらに資金を投じてこの書を刻み、三集を世に並行させた。これも法門の一つの快事である。宗門に志す者は、大切に流通させてほしい。それが望みである。
皇明.萬歷乙酉夏六月既望。僧真可述。
附達觀師書 智證之義。或以維摩受諸觸。如智證釋之。非洪老著書意也。吾究之久矣。當以吾釋為準。藏公切勿疑之。如吾序文醜拙。宜用心與具區公共潤色之。方可入刻。