No. 675-B自序
675-B 自序
佛祖之道高而無上深不可測然造之必有門行之必有漸求可為蒙學之指南作千里之跬步者其唯三經歟昔世尊始成道機緣未熟不堪大法於是於鹿苑中隱實施權循循善誘三乘五乘咸備焉四十二章是也諸乘既經法華開顯如來出世事畢於是於雙樹間唱入無餘涅槃扶律譚常以為最後深誨遺教是也是二經者時雖有始終意實無二軌但始則近而詳終則嚴而切防妄情流逸峻正法藩籬謂非如來開物之妙權群機必由之要道乎第去聖既遙根器日劣往往出家之士亡失正因於如來大師始終明訓不啻秦人視越人之肥瘠所以圓顱方服雖類乎僧而實去婆羅門不遠此溈山警䇿所由作也葢其言撥亂反正儆俗救弊深得先佛之遺旨可翼二經於不墜故古德合之目為佛祖三經以傳於世使後之學者於佛祖高深之道知所造詣不至墮於匪類廢於半塗則其為益豈不大哉(濡)弱冠始禮老和尚於荷山和尚愍其愚鈍首授是經且俾力行迨今十餘秊所矣出入禪講孜孜矻矻不至於畔道者此三經力也頃因山中無事客有扣余者曰昔大洪遂禪師於兵火之餘草衣木食為學者釋三經其言簡其理精葢所謂藥因救病出金瓶也今去大洪之世五百有餘載而世道法道交相為病益烈子能發其蘊以藥之乎余唯然起曰是余之志也烏敢飾讓於是頓忘孤陋黽勉從事凡朞月而藁成自署名曰指南葢欲使始發意者知所嚮往不至迷誤失錯入於險道耳若其藥病與否則余葢不暇計云。
仏陀の道は高くして極まりなく、深く測るべからず。しかし、そこに至るには必ず門があり、行くには必ず段階がある。学び始める者の指南とし、千里の道の第一歩とすべきもの、それは三経にほかならない。
かつて世尊が初めて悟りを開かれたとき、機緣は未だ熟さず、大法に堪えられなかった。そこで鹿苑において、真実を隠して方便を示し、順を追って導き、三乗・五乗をすべて備えられた。これが『四十二章経』である。諸々の乗がすでに経た後、法華経によって開かれて顕わされ、如来の出世の事は終わった。そこで双樹の間において、無余涅槃に入ることを唱え、戒律を保持し、常を説いて、最後の深い教えとされた。これが『遺教経』である。
この二経は、時には始めと終わりの違いがあるが、その意味は実に二つの軌道ではない。ただ、始めは近しくて詳しく、終わりは厳しくて切実である。虚妄の情が流れ逸れるのを防ぎ、正しい法の囲いを厳しくする。これが如来の物を開く妙なる方便、すべての機緣が必ず通る要道でないなどと言えようか。
しかし、聖人を遠く離れて久しく、根器は日々に劣っていく。往々にして出家の者たちは正しい因を失い、如来の大師の始終の明らかな教えを、秦の人が越の人の肥え太り瘦せ細りを顧みるようにしか見ない。それゆえに、頭を丸くし、方丈の衣をまとうことは、僧に似てはいても、実際には婆羅門から遠くない。これが潙山の『警策』の作られた所以である。
その言葉は乱れを正し、世を戒め、弊を救い、深く先仏の遺旨を得て、二経を支えて廃れさせないものである。故に古徳はこれを合わせて、『仏祖三経』と名付けて世に伝えた。後の学ぶ者たちが、仏祖の高く深い道を知り、至り行くところを誤り、よからぬ者に堕ちたり、途中で挫折したりしないようにするためである。その益はなんと大きなものではないか。
(私が)二十歳の頃、初めて老和尚に荷山で礼した。和尚は私の愚鈍を哀れみ、最初にこの経を授け、努めて行うように命じられた。それから十余年、禅や講義に出たり入ったり、愚直に努めて、道に背くことはなかった。これらの三経の力である。
先頃、山の中で暇な時があった。客が私に問うて言った。「昔、大洪の遂禅師は、兵火の後、草衣木食で、学び手のために三経を解釈されました。その言葉は簡にして、その理は精妙です。いわゆる、薬は病を救うがゆえに金瓶より出ずる、というものです。今、大洪の世より五百有余年を経て、世道も法道も互いに病み合い、ますます激しくなっています。あなたはその蘊奥を発揮して、これを薬することができますか。」
私は「その通り」と起って言った。「これは私の志である。どうして飾って辞退することができようか。」そこで、たちまち孤陋を忘れ、努めてことに当たり、凡そ一月で稿は成った。自ら名付けて『指南』とする。もとより初心の者たちに、赴くところを知らしめ、迷い誤って過ちを犯し、険しい道に入ることのないようにするためである。もし病に薬が効くかどうかは、私の計り知るところではない。
旹歲在乙酉春王正月上元日序