歡喜地攝布施波羅蜜伽陀
歓喜地が布施波羅蜜を摂する伽陀
「常與無常苦樂等, 我及無我悉皆空,
不住有為及無為, 住無相行佛亦然。
若求聲聞緣覺等, 乃至佛果亦復然,
不住此忍不可得, 如渡大河不見岸。
若聞此法彼定得, 成等正覺證涅盤,
見於一切如自身, 是大智者如來說。
「佛子當住四補特伽羅,是行大智行:一真實善法;二不退心;三應供離垢無煩惱無求;四善友同等。
仏子よ、四種の補特伽羅に住するべきです。これが大智の行を行うことです。一には真実の善法、二には不退の心、三には応供にして垢を離れ、煩悩なく、求めることのないこと、四には善友と同等であることです。
「大智菩薩如是行, 不學聲聞及緣覺,
樂學如來一切智, 是學非學名為學。
學不受色不增減, 亦復不學種種法,
攝受樂學一切智, 若此功德出離者。
色非有智非無智, 受想行識亦復爾,
色性自性如虛空, 平等無二無分別。
妄想本性無彼岸, 眾生之界亦復然,
虛空自性亦同然, 智慧世間解亦爾。
智慧無色佛所說, 離一切想到彼岸,
若人得離諸想已, 是人語意住真如。
彼人住世恒沙劫, 不聞佛說眾生聲,
眾生不生本清淨, 是行最上般若行。
佛說種種之語言, 皆具最上般若義,
過去佛為我受記, 於未來世證菩提。
大智菩薩はこのように行い、 声聞や縁覚を学ぼうとはしません。 如来の一切智を学ぶことを楽しみ、 この学こそ、学ぶことと学ばないことを合わせて「学」と名づけます。 学びながらも色に執着せず、増えも減りもしません。 また、種々の法を学ぶこともしません。 一切智を学ぶことを喜び、受け入れ、 この功徳によって解脱へと向かうのです。 色は智があるのでもなく、智がないのでもありません。 受・想・行・識もまた同じです。 色の本性、自性は虚空のようであり、 平等で二つではなく、分別もありません。 妄想の本性には彼岸がなく、 衆生の世界もまた同じです。 虚空の自性も同様であり、 智慧と世間を理解することもまた同じです。 智慧には色がなく、仏が説かれたとおりに、 すべての想いを離れて彼岸に至ります。 人がすべての想いを離れることができたなら、 その人の言葉と心は真如にとどまります。 その人は世に恒河沙の劫のあいだ住んでも、 仏が衆生の声を説くのを聞くことはありません。 衆生は生じることがなく、もとより清浄です。 これが最もすぐれた般若の行です。 仏が説かれる種々の言葉は、 みな最もすぐれた般若の意味を備えています。 過去の仏が私に授記してくださり、 未来の世で菩提を証するのです。