No. 1578-B刻指月錄發願偈(有述)
『指月録』発願偈
釋典雖有宗教兩塗。世尊云。吾四十九年住世。未曾說一字。則何教之非宗乎。顧宗門須憑實悟。毫不容偽。觀古之尊宿。幾十年點胸自許。直至末後。為明眼人煅煉過。方始開省。則悟豈易言哉。及其悟後。奉戒愈精。檢過愈密。甚至向折脚鐺下。入山磨煉。真悟人氣象如此。豈非識法者懼乎。今之望見門頭戶口者。便謂已證已得。從而呵佛罵祖。放蕩無檢。聲色貨利。居然常人。而高談闊論。明欺一世。噫欺世乎自欺乎。有日鬚眉墮落。嘔血無及在。何得歸罪於宗。偈曰。
経典には宗教の二つの道があるとはいえ、世尊はこう仰せられた。「我が四十九年の住世において、一字も説いたことはない」。それならば、どの教えが宗でないと言えようか。
しかし、宗門は実悟に依らねばならず、少しの偽りも許されない。古の尊宿たちを見よ。幾十年も胸を打って自らを認め、最後の最後まで、明眼人の鍛錬を受けて初めて悟りを開いた。悟りなど、そう易々と言えるものだろうか。
悟りを得た後は、戒律を守ることますます精しく、過ちを省みることますます密かになる。折れた脚の鍋の下でさえ、山に入り鍛錬するほどだ。真に悟った人の気概はこのようである。法を識る者は恐れるものだと、誰が言えようか。
今、門の入口を望んだだけで、すでに証しを得たと言い、それによって仏を罵り祖を罵り、放蕩無頼に振る舞い、声色や財貨に溺れて、まるで常人と変わらない。しかも高談闊論し、あからさまに世を欺く。ああ、世を欺くのか、自らを欺くのか。いつの日か髭や眉が堕ち、血を吐いても及ばぬ時が来よう。どうして宗に罪を帰せられようか。
偈に曰く。
世皆懺罪造福 我亦作福滅罪
惟有流傳法寶 續佛慧命為最
願我生生世世 不迷正路修行
直取菩提上果 徧度法界眾生
還願眾生覺悟 修行不迷正路
聊憑標月指頭 正見雲開月露
逍遙性海之中 當體與佛全同
逐一銷除夙習 次第到岸登峰
慎勿撥無因果 莽莽蕩蕩招禍
殺盜婬妄不除 豈得泥犂免墮
還有向上一言 頭上便是青天
秋月梧桐滴露 春風楊柳含烟
萬曆辛丑歲八月初三日 吳郡嚴澂和南書。