---
title: "南嶽單傳記 · 第三十八祖臨濟義玄禪師"
description: "南嶽單傳記（弘儲表）是清代佛教文献，由弘储禅师编撰。该书主要记录南嶽衡山一脉的禅宗单传法系，详细梳理了历代祖师的传承脉络与重要事迹。清代佛教注重法脉正统性，该作品反映了当时禅宗对传承历史的重视。内容涵盖祖师语录、公案及修行要旨，具有较高的史料价值。作为南嶽禅系的重要文献，它对研究中国禅宗发展史、法脉传承及清代佛教思想具有独特意义，是了解禅宗单传体系的关键典籍之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8y63j01bfbl4049z4dzeax"
---

### 第三十八祖臨濟義玄禪師

> 第三十八祖臨濟義玄禅師

曹州南華邢氏子。幼而頴異。長以孝聞。及落髮受具。居於講肆。精究毗尼。博𧷤經論。俄而歎曰。此濟世之醫方也。非教外別傳之旨。即更衣遊方。在黃檗會中。行業純一。時睦州為第一座。乃問。上座在此多少時。師曰三年。州曰。曾參問否。師曰。不曾參問。不知問個甚麼。州曰。何不問堂頭和尚。如何是佛法的的大意。師便去。問聲未絕。檗便打。師下來。州曰。問話作麼生師曰。某甲問聲未絕。和尚便打。某甲不會。州曰。但更去問。師又問。檗又打。如是三度問。三度被打。師白州曰。早承激勸問法。累蒙和尚賜棒。自恨障緣。不領深旨。今且辭去。州曰。汝若去。須辭和尚了去。師禮拜退。州先到黃檗處曰。問話上座。雖是後生。却甚奇特。若來辭。方便接伊。已後為一株大樹。覆蔭天下人去在。師來日辭黃檗。檗曰。不須他去。祇往高安灘頭。參大愚。必為汝說。師到大愚。愚曰。甚處來。師曰。黃檗來。愚曰。黃檗有何言句。師曰。某甲三度問佛法的的大意。三度被打。不知某甲有過無過。愚曰。黃檗與麼老婆心切。為汝得徹困。更來這裏。問有過無過。師於言下大悟。乃曰。元來黃檗。佛法無多子。愚搊住曰。這尿牀鬼子適來道。有過無過。如今却道。黃檗佛法無多子。你見個甚麼道理。速道速道。師於大愚肋下築三拳。愚拓開曰。汝師黃檗。非干我事。師辭大愚。却回黃檗。檗見便問。這漢來來去去。有甚了期。師曰。祇為老婆心切。便人事了。侍立。檗問。甚處去來。師曰。昨蒙和尚慈旨。令參大愚去來。檗曰。大愚有何言句。師舉前話。檗曰。大愚老漢饒舌。待來痛與一頓。師曰。說甚待來。即今便打。隨後便掌。檗曰。這風顛漢來這裏。捋虎鬚。師便喝。檗喚侍者曰。引這風顛漢。參堂去。師栽松次。檗曰深山裏栽許多松作甚麼。師曰。一與山門作境致。二與後人作標榜。道了將钁頭𡎺地三下。檗曰。雖然如是。子已喫吾三十棒了也。師又𡎺地三下。噓一噓。檗曰吾宗到汝。大興於世。徑山有五百眾。少人參請黃檗。令師到徑山。乃謂師曰。汝到彼作麼生。師曰。某甲到彼。自有方便。師到徑山。腰裝上法堂。見徑山。徑山方舉頭。師便喝。徑山擬開口。師拂袖便行。尋有僧問。徑山這僧適來有甚麼言句。便喝和尚。徑山云。這僧從黃檗會裏來。你要知麼。自問取他。徑山五百眾大半分散。師半夏上黃檗山。見檗看經。師曰。我將謂是個人。元來是唵黑豆老和尚。住數日。乃辭檗曰。汝破夏來。何不終夏去。師曰。某甲暫來。禮拜和尚。檗便打。趁令去。師行數里。疑此事。却回終夏。後又辭檗。檗曰。甚處去。師曰。不是河南。便歸河北。檗便打。師約住與一掌。檗大笑。乃喚侍者。將百丈先師禪板几案來。師曰。侍者將火來。檗曰不然。子但將去。已後坐斷天下人舌頭去在。師為黃檗馳書。到溈山時。仰山作知客。接得書。便問。者個是黃檗底。那個是專使底。師便掌。仰山約住云。老兄知是般事。便休。同去見溈山。溈山便問。黃檗師兄多少眾。師曰。七百眾。溈山云。什麼人為導首。師曰。適來已達書了也。師却問。溈山和尚此間多少眾。溈山曰。一千五百眾。師曰。太多生。溈山曰。黃檗師兄亦不少。師辭溈山。仰山送出曰。汝向後北去。有個住處。師曰。豈有與麼事。仰山曰。但去已後。有一人佐輔老兄在。此人祇是有頭無尾。有始無終。師後住鎮州臨濟。學侶雲集。師一日謂普化克符二上座曰。我欲於此建立黃檗宗旨。汝且成褫我。二人珍重。下去三日後。普化却上來。問和尚三日前說甚麼。師便打。三日後克符上來。問和尚三日前打普化作麼。師亦打○師甞示眾曰。如諸方學人來。山僧此間作三種根器斷。如中下根器來。我便奪其境。而不除其法。或中上根器來。我便境法俱奪。如上上根器來。我便境法人俱奪。如有出格見解人來。山僧此間便全體作用。不歷根器。大德到這裏。學人著力處。不通風。石火電光。即過了也。學人若眼定動。即沒交涉。擬心即差。動念即乖。有人解者。不離目前。

> 曹州南華の邢氏の子。幼くして聡明で、成長して孝行で知られた。剃髪して具足戒を受けると、講経の席に身を置き、毘尼（戒律）を精しく究め、經論を広く学んだ。やがて嘆じて言った、「これは世を救う医方に過ぎない。教外別伝の宗旨ではない」と。そこで衣を改め、諸方を遊行した。黄檗の会下にあっては、行業は純一であった。その時、睦州が第一座であった。問う、「上座はここにどれほどの時が経ったか」。師は言う、「三年です」。睦州、「曾て参問したか」。師、「いいえ、参問したことはありません。何を問うべきかも知りません」。睦州、「なぜ堂頭和尚に問わないのか。『仏法の的々大意とは何か』と」。師はそこで行き、問いの声が終わらないうちに、黄檗はすぐに打った。師は下がって来た。睦州、「問いの話はどうであったか」。師、「私は問いの声が終わらないうちに、和尚はすぐに打たれました。私はわかりません」。睦州、「ただまた行って問え」。師はまた問うと、黄檗はまた打った。このように三度問い、三度打たれた。師は睦州に言った、「早くから激励されて法を問うことを承り、度々和尚の棒を賜りました。自ら恨むのは、障縁の故に深い旨を悟れないことです。今まさに辞して去ろうと思います」。睦州、「汝が去るならば、和尚に辞してから去るがよい」。師は礼拝して退いた。睦州は先に黄檗の所に行って言った、「問いの上座は、後輩ではありますが、しかし非常に奇特でございます。もし辞して来たら、方便して受け止めてやって下さい。後には一本の大樹となり、天下の人々を覆い蔭すでしょう」。師は翌日、黄檗に辞する。黄檗、「彼処へ行くには及ばぬ。ただ高安の灘頭に行き、大愚に参じよ。必ず汝のために説くであろう」。師は大愚のもとに行く。大愚、「どこから来たか」。師、「黄檗から来ました」。大愚、「黄檗にどんな言句があったか」。師、「私は三度『仏法の的々大意』を問い、三度打たれました。私に過ちがあるのかないのか分かりません」。大愚、「黄檗はそのような老婆心から、汝のために徹底して困り果てるほどにしたのだ。さらにここに来て、過ちがあるかないかを問うのか」。師は言下に大悟した。そして言った、「元来、黄檗の仏法はたいしたものではない」。大愚は掴まえて言った、「この夜尿の鬼子め、先ほどは『過ちがあるかないか』と言ったのに、今は『黄檗の仏法はたいしたものではない』と言う。お前はどんな道理を見たのか。早く言え、早く言え」。師は大愚の脇の下を三拳打った。大愚は押し開いて言った、「汝の師は黄檗だ。私の関わるところではない」。師は大愚に辞し、かえって黄檗のもとに戻った。黄檗は見るなり問う、「この奴、来たり去ったりして、どうして終わりがあろうか」。師、「ただ老婆心の故でございます」。そしてすぐに人事を済ませ、傍らに立った。黄檗、「どこに行ってきたか」。師、「昨日和尚の慈悲の仰せを蒙り、大愚に参じるよう命じられましたので」。黄檗、「大愚にどんな言句があったか」。師は先ほどの話を挙げた。黄檗、「大愚の老漢は余計なことを言う。来たら痛く一撃を食らわせてやる」。師、「来るのを待つと言われますが、今すぐ打ちなさい」。そしてすぐに掌で打った。黄檗、「この風狂の漢、ここに来て虎の鬚を撫でるのか」。師はすぐに喝した。黄檗は侍者を呼んで言った、「この風狂の漢を引いて、参堂させよ」。 師が松を植えている時、黄檗、「深山の中に多くの松を植えて何にするのか」。師、「一つには山門の境致とし、二つには後人の標榜とするためです」。言い終えて、鍬で地面を三度打った。黄檗、「たとえそうであっても、汝はもう私の三十棒を食らっているのだぞ」。師はまた地面を三度打ち、一声息を吐いた。黄檗、「我が宗門は汝に至って、大きく世に興るであろう」。 徑山に五百人の衆がいたが、参じて請う者が少なかった。黄檗は師に徑山へ行かせようとして、師に言った、「汝が彼処に行ったら、どうするのか」。師、「私が彼処に行ったら、自有方便でございます」。師は徑山に着き、腰に道具を装って法堂に上り、徑山を見た。徑山がまさに頭を上げると、師はすぐに喝した。徑山が口を開こうとすると、師は袖を払って立ち去った。まもなく僧が徑山に問う、「この僧は先ほど何か言句があったのですか。和尚に喝したのですか」。徑山、「この僧は黄檗の会下から来た。知りたいなら、自ら彼に問え」。徑山の五百衆は大半が散った。 師は夏安居の半ばに黄檗山に上った。黄檗が経を読んでいるのを見ると、師は言った、「私はただの人だと思っていたが、元来は黒豆を囓る老和尚だったのか」。幾日か滞在して、黄檗に辞する。黄檗、「汝は夏安居を破って来た。なぜ夏が終わるまで過ごさないのか」。師、「私は暫く来て、和尚に礼拝したまでです」。黄檗はすぐに打ち、追い出そうとした。師は数里歩いて、この事を疑い、かえって戻って夏安居を終えた。後にまた黄檗に辞する。黄檗、「どこへ行くのか」。師、「河南ではない。河北に帰ります」。黄檗はすぐに打った。師は掴まえて一掌を打った。黄檗は大笑した。そして侍者を呼んで、「百丈先師の禅板と几案を持って来い」と言った。師、「侍者よ、火を持って来い」。黄檗、「そうではない。汝はただ持ち去るがよい。後には天下の人々の舌を断ち切るであろう」。 師は黄檗のために手紙を届けて、溈山に行った。その時、仰山が知客をしていた。手紙を受け取ると、すぐに問う、「これは黄檗からのものか。それは使いの汝のものか」。師はすぐに掌で打った。仰山は掴まえて言った、「老兄、かようなことを知っているなら、それでよい」。一緒に溈山に会いに行った。溈山はすぐに問う、「黄檗の師兄は何人の衆か」。師、「七百人です」。溈山、「誰が導首か」。師、「先ほどすでに手紙を届けました」。師はかえって問う、「溈山和尚、こちらは何人の衆ですか」。溈山、「千五百人です」。師、「多すぎます」。溈山、「黄檗の師兄もまた少なくはない」。師は溈山に辞する。仰山が送り出して言った、「汝は後のち北へ行けば、一つの住処があるだろう」。師、「そんなことがありましょうか」。仰山、「ただ行きなさい。後には一人の者が老兄を助けるでしょう。この人はただ頭があって尾がなく、始めがあって終わりがありません」。 師は後に鎮州の臨済に住した。学侶が雲のごとく集まった。師はある日、普化・克符の二上座に言った、「私はここに黄檗の宗旨を建立したい。汝らは私を助けよ」。二人は珍重して、下がった。三日後、普化が上がって来て、問う、「和尚は三日前に何を言われたのですか」。師はすぐに打った。三日後、克符が上がって来て、問う、「和尚は三日前に普化を打たれましたが、何のためですか」。師もまた打った。 師はかつて衆に示して言った、「諸方の学人が来るように、山僧のここでは三種の根器で裁断する。中下の根器が来れば、我はその境を奪い、その法は除かない。中上の根器が来れば、我は境も法も共に奪う。上上の根器が来れば、我は境も法も人も共に奪う。もし格外の見解の人が来れば、山僧のここでは全体が作用して、根器を経ない。大徳、ここに至って、学人の着力する処は、風も通じない。石火電光の如く、すでに過ぎてしまうのだ。学人がもし目を定めて動かせば、すでに交涉しない。心を擬すれば即ち差い、念を動かせば即ち乖く。人で解する者があれば、目前を離れない」。

表曰。西水流急牯牛兒也好看取。堯封潛曰。四目相覩。

> 師が言われた、「西の川の流れは速い。牛の子よ、よく見ていなさい。」堯封潛は言った、「四つの目で向かい合う。」