No. 1593-B禪宗正脉敘
禅宗正脉叙
原夫三界惱熱。灼諸火之易燃。一物長靈。亘億劫而弗滅。欲求作佛。莫切證心。心本圓成。性原玅覺。恒河沙數總具如來。萬徑千蹊悉歸定慧。若心外求佛。何異㸑塵以為糜性。外探宗真。䫫吹砂而作飯。能使菩提融徹。摩尼朗曜。明宗衍派。啟廸沙門。難矣。然我釋迦文佛。迨夫達摩祖師方軌弘宣。既著明於西域。分鏕顯說。亦漸移於東土。闡無三之教。開不二之門。禪悅彌彰。宗風大普。導示眾惑。遏絕諸妄。萬塗叢歸。一繇般若。由是有溈仰灋眼雲門。至以曹洞靈濟之五宗。各自成佛作祖。有一世二世。以至數世。十世百世之法嗣。亦自授派傳支。燈燈繼續。鉢鉢相承。聆此師傳。參他僧旨。譬持明鏡遇物。可以鑑形。若投良劑。隨方因之療疾。家操智炬。燭眾生於迷途。人駕慈航。渡群品於覺海。此禪宗正脉之所以作也。夫禪而曰宗。玅心珠之悟證。脉而曰正。去𱝯道之外邪。公案分明。階級剖別。剪經文之蕪蔓。斷文字之葛藤。廣取頓漸之玅言。獨宏問答之奧義。誠禪域之南車。宗門之武庫者也。如巖上人。摹寫赫𨂜。鬻其瓶鉢。鏟劂梨棗。募彼金錢。數載拮据。一朝卒業。實心懽喜。質問愚蒙。蒙也慈波空蕩。苦海易沈。印證未窺乎真如。希仰猶累於塵垢。若夫尊南為聖。𠷣北為愚。背北向南。大悟可入。背南向北。下愚匪明。是在學佛之徒。得迦葉之會心。豈必出家之流。効豐干之饒舌。
そもそも三界は煩悩の熱に灼かれ、さまざまな火が燃えやすいように、一つの生命の長い霊性は、億劫を経ても滅びることはない。仏になろうと願うなら、心を証悟するより切なるものはない。心はもとより円満成就しており、本性は本来、妙なる覚りである。ガンジス川の砂の数ほどすべてに如来が具わっており、無数の道筋はすべて定慧に帰する。もし心の外に仏を求めれば、塵をかき集めて粥を作ろうとするのと何ら変わらず、外に宗門の真実を探れば、砂を吹いて飯を作ろうとするようなものだ。菩提を融通貫徹させ、摩尼宝珠を明るく輝かせ、宗旨を明らかにし流派を広め、修行者を導き開くことは、難しいことである。
しかし、我らが釈迦牟尼仏から達磨大師に至るまで、教えを広く宣揚し、西域で明らかにされたように、分かれて顕著に説かれ、東土にも次第に伝わった。三つ無き教えを闡明し、不二の門を開き、禅悦はますます明らかになり、宗風は広く普及した。衆生の迷いを導き示し、あらゆる妄念を断ち切り、万の道が叢のように帰するのは、ただ般若一筋による。これによって溈仰・法眼・雲門、さらに曹洞・臨済の五宗が生まれ、それぞれが仏となり祖となり、一世二世から数世、十世百世にわたる法嗣も、自ら流派を授け支流を伝えた。灯りは灯りへと継ぎ、鉢は鉢へと受け継がれる。この師の伝えに耳を傾け、他の僧の宗旨を参究することは、明鏡を持って物に遇えば形を映し出すことができ、良薬を投じれば方に随って病を癒すようなものである。家ごとに智慧の炬火を操り、迷える衆生を照らし、人ごとに慈愛の舟を操り、あらゆる衆生を覚りの海へ渡す。これが禅宗正脈が作られた所以である。
禅といって宗と称するのは、妙なる心の珠を悟り証することであり、脈といって正と称するのは、邪な道を去ることである。公案は分明であり、階梯ははっきりと分かれる。経文の雑草を刈り取り、文字の葛藤を断ち切り、頓漸の妙言を広く取り入れ、問答の奥義を独自に広めた。まさに禅の世界における南車(羅針盤)であり、宗門の武庫(武器庫)である。
巖上人は、赫蹄(紙)に模写し、瓶と鉢を売り、版木を彫り、金銭を募り、数年にわたる苦労の末、一朝にして完成させた。真心から歓喜し、愚かで蒙昧な者に質問を投げかける。私のような者は慈愛の波は空しく漂い、苦海は沈みやすく、真如を印証することも窺えず、希求と仰ぎ見ることもなお塵垢に累われている。もし南を尊んで聖とし、北を蔑んで愚とし、北に背いて南に向かえば、大悟に入ることができる。南に背いて北に向かえば、下愚は明らかにならない。これは学仏の徒が、迦葉の会心を得ることにあり、必ずしも出家の流れが、豊干の饒舌を倣う必要はない。
萬曆乙巳初秋閩郡徐𤍗興公序
万暦乙巳の初秋、閩郡の徐𤍗興公が序す。