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title: "佛祖綱目 · 三祖商那和修傳法優波毱多"
description: "佛祖綱目是明代朱時恩所著的一部佛教经典汇编，成书于明朝万历年间。该书系统梳理了佛教历代祖师的法脉传承与重要教义，内容涵盖禅宗、净土宗等多个宗派的核心思想，并收录了大量高僧大德的言行事迹。朱時恩以纲目体例编撰，条理清晰，便于研习。作为明代重要的佛教文献，佛祖綱目不仅保存了珍贵的佛教史料，也为后世研究中国佛教发展提供了重要参考。该书在佛教史上具有承前启后的地位，是了解汉传佛教传承体系的重要典籍之一。"
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### 乙未三祖商那和修傳法優波毱多

> 三祖商那和修、優波毱多への伝法

商那和修。摩突羅國人。亦名舍那婆斯。姓毗舍多。父林勝。母憍奢耶。在胎六年而生。西域有九枝秀草。名商諾迦。此云自然服出則聖人降生。和修生而此草出。昔如來行化。至摩突羅國。見一青林枝葉茂盛。語阿難曰。此林地名優留荼。吾滅後一百年。有比丘名商那和修。於此轉妙法輪。後百歲。果誕和修。出家證道。受慶喜尊者法眼。化導有情。及至此林。降二火龍。龍受三歸。遂施其地。以建梵宮。和修化緣既久。思付正法。尋於叱利國。得優波毱多。以為給侍。因問毱多曰。汝年幾耶。答曰。我年十七。和修曰。汝身十七。性十七耶。答曰。師髮已白。為髮白耶。心白耶。和修曰。我但髮白。非心白耳。毱多曰。我身十七。非性十七也。和修知是法器。後三載。遂為落髮。受具。告曰。昔如來以無上正法眼藏。付囑迦葉。展轉相授。而至於我。我今付汝。勿令斷絕。汝受吾教。聽吾偈曰。非法亦非心。無心亦無法。說是心法時。是法非心法。說偈已。即隱於罽賓國南象白山中。後於三昧中。見毱多有五百徒眾。常多懈慢。乃往彼正之。毱多見和修至頂禮次。和修以右手上指。即有香乳。自空而注。問毱多曰。汝識之乎。毱多不測。遂入三昧觀察。亦不能測。乃請曰。是果何三昧耶。和修曰。是謂龍奮迅三昧。如是五百三昧。汝皆未之知。復曰。如來三昧。辟支不識。辟支三昧。阿羅漢不識。吾師阿難三昧。而我不識。今我三昧。汝豈識乎。是三昧者。心不生滅。住大慈力。󳯝相恭敬。其至此者。乃可識之。於是毱多弟子。皆伏而悔謝。和修復為說偈曰。通達非彼此。至聖無長短。汝除輕慢意。疾得阿羅漢。五百比丘聞偈已。依教奉行。皆獲無漏。和修乃現十八變化。火光三昧。用焚其身。毱多收舍利。建塔於梵迦羅山。當此土周宣王二十二年乙未歲也。

> 商那和修は、マトゥラーの人でした。またの名をシャナヴァーサとも言います。姓はヴァイシャーダ、父は林勝、母は驕奢耶でした。彼は胎内に六年いて生まれました。西域には九本の枝を持つ瑞草、商諾迦（これは自然に服すという意味）という草があり、この草が生えると聖人が降誕するといわれています。和修が生まれると、この草も生えました。 昔、如来が教化のためにマトゥーラーに赴かれた時、青々と茂る林を見て、阿難におっしゃいました。「この林の名はウルティカという。私が滅亡した後百年に、商那和修という比丘がここで素晴らしい法の輪を転ずるであろう。」果たして百年後、和修が誕生し、出家して悟りを開きました。彼は慶喜尊者（阿難）から法の眼を受け継ぎ、衆生を教化しました。そしてこの林に至り、二匹の火龍を降伏させました。龍は三帰依を受け、彼の地を寄進して寺院を建立しました。 和修は教化の縁が長く続いた後、正法を伝えることを思い、チリ国で優波毱多を得て、侍者としました。そこで毱多に尋ねました。「あなたの年はいくつか。」毱多は答えました。「私は十七歳です。」和修が言いました。「あなたの身体は十七歳か。それとも本姓が十七歳なのか。」毱多は答えました。「師匠の髪は白くなっていますが、それは髪が白いのでしょうか。それとも心が白いのでしょうか。」和修は言いました。「私はただ髪が白いだけで、心が白いわけではない。」毱多は言いました。「私の身体は十七歳ですが、本姓が十七歳なのではありません。」和修は彼が法器であると知り、三年後、髪を剃り具足戒を授けました。そして告げました。「昔、如来が無上の正法眼蔵を迦葉に付嘱し、順に伝えられて私に至った。私は今、あなたにこれを授ける。絶やしてはならない。私の教えを受け、私の偈を聞きなさい。」 「法にあらず、また心にあらず 心なく、また法なし この心法を説く時 この法は心法にあらず」 この偈を説き終えると、和修はカシミールの南方、象白山の中に隠れました。その後、三昧の中で毱多に五百人の弟子がいるが、多くは怠り慢心があるのを見て、そこへ赴いて彼らを正しました。毱多は和修が来るのを見て頂礼しました。和修が右手の指を上に向けると、香りのよい乳が虚空から注がれました。和修は毱多に尋ねました。「あなたはこれを知っているか。」毱多は見当がつかず、三昧に入って観察しましたが、やはりわかりませんでした。そこで尋ねました。「これはどのような三昧なのでしょうか。」和修は言いました。「これは龍奮迅三昧という。このような五百の三昧を、あなたはまだ知らないのだ。」さらに言いました。「如来の三昧は辟支仏も知らない。辟支仏の三昧は阿羅漢も知らない。私の師である阿難の三昧は、私も知らない。今の私の三昧を、あなたが知るはずがあろうか。この三昧は、心に生滅がなく、大慈の力にとどまるものである。互いに敬い合い、これに至る者こそ、これを知ることができるのだ。」そこで毱多の弟子たちは皆、伏して悔い謝りました。和修は再び偈を説きました。 「通達は彼此にあらず 至聖に長短なし 汝ら軽慢の意を除きなさい 速やかに阿羅漢を得よ」 五百の比丘はこの偈を聞き、教えのままに行い、皆、無漏を獲得しました。和修は十八の変化と火光三昧を現して、その身を焼きました。毱多は舎利を収め、梵迦羅山に塔を建てました。これは（中国の）周の宣王二十二年、乙未の歳にあたります。