楞伽の宝山は高く 四方に行く道はない ただ悟りを得た人だけが 虚空に乗ってその地に至る
阿羅漢がもし空を悟れば 錫杖を投げて虚空を翔ける 縁覚がもし空を悟れば 三世の出来事を醒めて見る 菩薩がもし空を悟れば 十方が一つのところとなる
諸仏がもし空を悟れば 妙なる理は空中に住む 空の理こそ真の法身 法身すなわち常住なり 仏の御身はまさにこれ 迷える人はただ自ら悟らず
もし一切<rubic>空</ruby>ならずんば 苦しみはどこから救われるのか
大海は広さ三千由旬 深さは五、六万尋 私はわずか七尺の身 その中に入って一飲みすれば たちまち枯れ尽くし 龍王が自ら現れる
大いに経蔵の門を開き 請うて一度説いてください 教えに従っても説く法はなく 龍王は悟りを見る
君の髻にある宝珠を売りなさい それは如来の殿に隠れている 将軍が陣頭に立てば 賊は降伏して戦わない
世に仁ある人は 永く貧賤を離れる 有為の身に執着せず まさに如来の御顔を見るだろう
日輪は次第に短くなり 光陰はなんと急なことか 身は水の泡のよう 命は風に向かう灯のよう
常に四蛇に気を配り 心を持して三毒を捨てよ 互いに会えば修道を語り さらに婬欲に執着してはならない
婬欲は一時の情 長い劫も地獄に堕ちる たとえ出ることができても 異形で人には見分けられない
ある時は四足となり あるいは足のない姿となる 惜しいかな、よい人身が 醜い畜生に変わってしまう
今日あらかじめ知らせておく 行く行く努めねばならぬ
私は久しく山に住み すでに都会を離れている 草の家が三つ 一つは長さ一丈二尺 一つには葛五を置き 一つには塵六四がある
我が家は内室 終日何事もなく過ごす 昨=日 黒月の二十五日 初夜に酒に酔い 二人が入り乱れ さまざまな戯れ言を言う
私は我慢できず 火を放って家を焼き尽くす 葛五は灰燼と化し 塵六は跡形もない 物はすべて焼け尽くし ただ空き地だけが残る
我が身は裸となり 体には衣もない もう盗賊を憂えず 逍遥と安らかに眠れる
同じく火に焼かれても 行く手によって得るものは違う
出家して煩悩を捨てても 煩悩はなお共に住む 愚かな心で福田を求め おろかな想いで救いを頼む
十二因縁に縛られ 来たり去ることから逃れられない
智に依って識に依らず 義に依って語に依らず 仏の心は一子の地 蠢くものすべて男女なり
平等は虚空の如く 善悪ともに取ることなし すでに天<rubic row="てんごく">堂</ruby>を作らず 誰が三<ruby row="さんず">塗</ruby>の苦しみを受けるのか
ある法は尽きて余りなく 虚空に乗って自ら度る 神は如来の身となり 智は如来の庫となる
涌き出る波羅蜜 正しき道を流通す 全身がみな仏である 迷える人はただ自ら悟らない
古と今は異ならず 今と古は異ならない 生まれる事は日々に滅びていく
(音に合わせて)
できる事がないのは 世の中に金銭が乏しく 空しく守っても財貨も贈り物もないからだ
理を詠む詩は日々新しく 朽ちた家は時と共に古びる 船がまだ破れ漏らないうちに
愛の河は早く渡るべきだ 三江の河口を過ぎれば 逍遥として心は自ずから悟る
損を重ねてさらに損をすれば やがてベニバナの木となる 旅立ちの道のりは難しい
渡す船もなく 業に老いて閻魔に会えば お前の弁解の余地はない
もし優曇華の花を見れば 処々に疑いの余地はない
世の中の愚かな者たちは 会えばただ金の話ばかり 張三は五百貫
李四はいくらかある 趙大は元手を損し 王六は大いに行き詰まる
口では三業を語るが 心の中は欲の火が燃え 愚かさの狼が腹を焼き焦がし
貪りの鬼が頭を引きずる 足もあれば脚もあるのに 目を開けていながら常に眠る
羅刹と心を通わせ いつ青い空を見られるだろうか 青い空は見えず
地獄の因縁を結ぶ 故郷の家で真の妻を守り 外に他の色を求めてはならない
真の妻は男子女子を生み 大きくなれば栄辱を共にする 外の色にも男子女子ができ
成長すれば盗みを好む 妻があれば我に累が及び 我を牢獄に引き入れる
我も早くからそれと知り 誘い入れて我が室とする 内外共に団らんし
同じ鉢の飯を食べる 食べ飽きて虚妄を断つ 無相であれば福もない
もし真の寂静の理を論じれば 皆、得るものがないところに帰する 昔、有の時にあった時は
常に有という人に欺かれた 一つの相に分別を生じ 見たり聞いたりする事に多かった
その後、無に入った時は また無という人に欺かれた 一心に座禅を組んで
暗闇の中で何も知らない 有も無も共に執着である どこに無為があるだろうか
有と無は同じ一つの体であり 諸々の相は全て離れる 心は虚空と同じであるから
虚空こそ我が師である もし無相の理を論じれば ただ我が父王のみが知っている
老いて気力が無くなれば 家屋の修繕もできない 基礎は崩れ柱は根腐れ
垂木や棟木は抜け落ち 塗り壁は全て剥がれ落ち 四方の壁は空しく風が吹き抜ける
頭を上げて梁や柱を見れば ちらりと白い頭が露わになる 智慧の雲が法の雨を降らせ
智慧の水が心の流れを潤す 家の中は空っぽで 家が倒れても何の憂いもない
山荘の草庵は破れ 我は大きな家に帰って遊ぶ 生まれ変わるたびに場所を選ばず
(一説には「爛」) 機縁に従って無求を説く 人には五つの花がある 花蘭は香りに変わり
立ち込めて故郷の家に満ち 本来の父母を供養する ある人には見えても識別できず
十月の桑の事を報じる 外の塵に一念の愛が生じ 五色の袋を作り上げる
袋の中から三本の柱が立ち 柱の上には千の梁がある 梁のそばに地獄ができ
地獄が天国となる 一群の賊のせいで 自ら作り自ら消え去る
たとえ命が草のように残っても いつ故郷に帰れるだろうか 文字で定慧を説くが
定慧こそ父母である どうして理智に従わず 色を追い求めて他郷にいるのか
早く大きな家に帰り 孝行して父母に会うべきだ 父母は子が来ると聞き
端座してにっこり笑う 我の持つ全ての宝蔵を 鍵を開けて委ね渡す
貧しい子が富むのは言うまでもなく 国全体が三災を免れる 如意の宝珠は尽きる事なく
さらに胎内に宿る事もない 逍遥として障りがなく 終日、如来にお会いできる
如来は諸子を哀れみ 平等で高低はない 諸子の方から愚かになり
それゆえ教化し難い 直心こそ道場だが 子の心はますます奸詐になる
子に三業を清めるよう命じても 俗語を好んで語る 子に内に真実を修めるよう命じても
外に向かって虚仮を求める 子に無相を学ぶよう命じても 有相を取って握る
無諍こそ第一なのに 論議が口論になる
十方世界はみな同じ、ここがまことの真如の寺。 その奥には無量の寿命がある。
もともと名前などない。 凡夫は理に入れず、心は世の中のことに縛られる。
金を乞い、瓦や木を買い、 虚ろな空き地に建物を建てる。 そんな者を六つの賊が追い立てる。
真如の智慧を背にして、 一日中苦しみを受け、 妄想の中で名声や利益を追い求める。
このように道を学ぶ人は、 幾度もの生を経ても、決して悟りに至ることはない。
<row>大きな果報などない 虚空には座る場所もない 家の中は空っぽで何もない</row> <row>空っぽには品物もない 昼は虚無の中で歩き 日が沈めば虚無の中で横たわる</row> <row>虚無に座り虚無に詩を詠む 詩と虚空は互いに呼応する すべてを「空」で語ることを不思議に思うな</row> <row>空は諸仏の座である 世の人々は宝を見分けられない 空こそが本当の宝なのだ</row> <row>もし「空」のないことを嫌うなら それこそが諸仏の過ちとなる</row>
誰かが何かを知っている 何かがあり、是と非がある 道には形のない理があると聞いても 心に疑いを抱いて離れない 五歳になっても成長せず ただの幼子のまま 拳を口に入れて噛み 百年経っても離そうとしない 造られた花は立派でも 結局は飢えを満たせない すべては愚かな子ゆえに それが方便だと気づかない 如来の形なき理は 作為あるものはすべて誤りである
怒りに遭っても、怒り返す必要はありません。 喜びに遭っても、喜びに浮かれる必要はありません。 喜びに浮かれると、そこから欲望が生まれます。
怒りは、まるで毒蛇が立ち上がるようなものです。 毒蛇は激しい炎を上げ、 欲望は貪りの鬼となります。
激しい炎と貪りの鬼が結びつき、 無知の狼が心の奥底をかき乱します。 妄想は、ガンジス川の砂のように無数にあり、
煩悩は尽きることなく現れます。 無知の闇は、漆黒の闇のように深く、 渇きを覚えては、塩水を飲むようなものです。
一日中、あれこれと物事に追われ、 空の真理に立ち返ろうとはしません。
我に見れば、これはまさに畜生道の者。悪賢い業師(ごうし)と知るべきだ。法を曲げて人の金を奪い、「算盤のできる賢い者だ」と誇る。金を得れば湯水のように使い果たし、苦しみの時には誰も寄り添わない。力ある者には好きに乗られ、棒や鞭で背中を打たれる。口には轡(くつわ)をはめられ、中には鉄の板を入れられる。首の骨は擦り切れ、鼻の穴には縄が通される。自分で蒔いた種は自分で刈り取る——仏でさえこれを変えることはできないのだ。
愚か者が智慧なく、 己が父を「醜い」と嫌う。 母がこの身を生んだのに、 「顔がよくない」と嫌う。 実の父母を捨てて、 外で色(欲)を追いかけて歩く。 六親は協力して何とかするが、 普段は口を閉じる暇もない。 一年十二ヶ月、 毎月酒を飲み続け、 毎夜一度も覚めることなく、 酔って吐いたもので豚や犬を養う。 このような悪しき男は、 いかなることも成し遂げられずに終わる。
私は一つの宝剣を持つ それはこの世の鉄ではない 作り上げてから、磨く必要もない きらきらと白く雪のよう その気迫は浮き雲を吹き散らし 光は三千世界を照らし通す 獅子の声を轟かせれば 百の獣はみな脳を裂かれる 異国の者はことごとく帰順する (古の洞窟) 生きとし生けるものは滅び尽くす 滅びてもまた生まれ変わる 生まれ変わって金の鐍(くさり)となる それを身に帯びて行く先々で 喜ぶ者には説き示すのである
私が般若の教えを説くのを知ったなら、私が金剛の教えを説くのを見たなら、合掌して敬意を表しなさい。動ずることなく空の王を見れば、それは身命を施すよりも勝れ、天の楽しみを得るよりも勝れています。五台山に供養するよりも勝れ、西方浄土を求めるよりも勝れています。とどまりながらもとどまらない境地にあり、その福徳は計り知れません。作られたものは夢や幻のようであり、形のないものは真実の永遠にかなうのです。
如来は大いなる慈悲により、波羅蜜を広く説かれました。三界の苦しみをはっきりと知り、心を込めてあなたに迷いから出るよう勧めます。それなのに、この教えを得ても修行しようとしないのは、まったく頑なな者です。彼はすでに仏となり、あなたは未来に仏となるべき身です。未来に仏となるべきあなたが、自ら成ろうとしないのは、誰の過ちでしょうか。この先、幾度もの苦しみの劫を経ても、過去の仏を恨んではなりません。
どこの家の若者かは、目を開きながら地獄を作り、法を曲げて人の金を取り、あの賊どもを養っています。たとえ家が大きくても、業が成れば逃れられません。輪廻を終えるまでは、姿を変えてその力に償うのです。あなたが乗っているその驢馬を見なさい、すべてこのような姿です。何もしていないのに鞭で打たれ、道理があっても言うこともできません。愚かな人は壺を割ってしまい、人に頼んで修繕を望みます。悪い方法で金を得て、その布施で将来を補おうとしますが、物と見合わず、そんなことは無駄なことです。たとえ少しの福徳があっても、地獄にはそれを持っていけません。罪と福は行いのままにあり、いつ巡り合うものでしょうか。自分自身の基盤さえ壊れているのに、どうして良い道がありましょう。
まず五戒を守り、それで初めて人の身を得られます。財産があれば布施をし、そうすれば貧しくなることはありません。十善業を行えば、天の人となる道を聞くことができます。天の人の福は生滅するものであり、来たり去ること車輪のようです。作られたものを、梵天界につなげても、ほんのわずかな真実にも及びません。さらに深遠な教えを語ろうとすれば、法王の怒りを畏れるべきです。一枚一枚の皮を比べれば、孫は子には及びません。座禅は読経に勝り、読経は作られた行いに勝ります。文を追って理を識らず、母を捨てて養母を養うようなものです。養母は色身であり、実母は法の本体です。色身は文字のようなもの、法は作りのない理に入ります。文字には生滅があり、形のないものはそのままに在るのです。
仏教は本来、虚偽のないものです。一句一句を必ず真理として語りなさい。自分を律して他を益すること。
俗に言う「陰徳」というものは 天王さまでも、君の宰相の甥でも 世の中に貴賤はあれど 業の力は同じもの 富める人よ、言っておく 貧しい子を侮るな 習慣が重なって業の力はでき ひっくり返っても抜け出し難い わが身の愚かさを恨み 知る人もない だらりと両脚を伸ばして寝て 朝まで何も考えない 諸仏は我が父 私は世尊の子 子は今や大きくなり 父に代わって導師となる 親子が同じ家に住み 一寸の隙も離れない 法身に形はなく 世の人にどうしてわかろう これら一群の賊は 生生世世、主人を欺く 今こそお前の正体を知った お前とは親しくしない もしお前に服従しないなら 私はあちこちで説き 皆にお前を知らせ お前の行く手を絶つ もしお前が私に服従するなら 私も区別せず お前と一身となり 永遠に生滅を離れる 世の人は珍宝を重んじる 私はそうではない 名声を得ればそれで満足し 富貴に心は寄せない ただ一簞の飯、一瓢の飲み物を楽しみ 鏡や秤を求めることはない 飢えれば西山の稲を食べ 渇けば本源の泉を飲む 寒ければ無相の衣をまとい 暑くなれば松の下で眠る 体が永遠でないと知り 運に任せて余命を過ごす 霧が深くて日も出にくく 雲が厚く月はぼんやり 心を込めて仏を求め 昼夜努力する 夢を見て現実だと言い 真実を聞いて耳は却って聞こえない 一群の賊が道に座り 道理がどうして通じよう 本性を見て透き通れば 多く求めると説くところが通じる 凡聖の言葉を借りても 結局はすべて空 どうして人のために説くのか 相を離れて如如を説く 心と鏡、共に空しく静かで 実もなく虚もない 心は常に通じて黙して働き 世を出て無余に入る 梵天や帝釈も皆敬い 菩薩も共に住む 言葉は凡夫の言葉 理は釈迦の書にかなう もしこのように学べば 無駄に努力することはない 早朝に薄い粥を飲み 食事の後は薪二束 二升の米を売り 余った身を支える 身に飢えの火が迫らず 無相の神を安んずる 神が安らかなら仏土は清らか 内外に塵埃はない 間断なく般若を説き 心を開いて関所を開く 火が家財をすべて焼き尽くし すっかり無事な人となる 円鏡は日のように朗らかで 無礙の智が湧き出る 梵語の波羅蜜 唐で言えば無量の義 説く者は無相を説き 離れる者は文字を離れる ただ無上の道を説き 他を利して自らも利する もし理に入って行えば 動かずして地に到る 物事に常に忙しいのは 脚を伸ばして寝るに及ばない 私は三界に有るのを見る ある人は草の庵をかぶり 蛇や鼠と同穴に住む 昼も常に夜のよう 鳩や鳩が親しく 羅刹と心を通わせる 五匹の犬が常に吠え 思うと人を怖がらせる 私はすべて幻と見る 虚空の名も仮である 牛を放ち草庵を食わせ 三身が一つに化する 如来の一真の智は 娑婆世界に満ち渡る 懇ろに方便を説くが 自ら悟らない人がいる 無いところに心を生ぜず あるところに多く貪り愛する 心王が黒い業を作り 口だけ悔い改めさせ 口で悔いても心が改まらず 心と口が背く 無心の薬を飲まねば 病の根は治らない 相に執着して菩提を求めても ついに借りを返さねばならない 香山には栴檀があり 宝山には伊蘭はない 金山が毛先を照らし 毛先に百億の広さ 清らかな心で空室に座れば 妙徳は四方に安らか 空が内外を知り 事相を阿難に任せる もしこの理に達すれば どこであれ涅槃である
もし互いに語り合うならば、私は一つの秘訣を教えよう。三毒の矢をすべて折り取れ。
一気に全部を打ち砕け。地は四方空となり、五つの狗の牙もすべて欠ける。
色の集まりは自ずと消え去り、六つの賊はすべて打ち滅ぼされる。閻魔大王は法の王となり、
羅刹も菩薩となる。自分の一身だけを論じることなく、国中が一時に喜びに満ちる。
悟った人は、これが幻であると知る。たとえ心に損傷があっても、それは元のまま。天の神々さえも災いを免れない。
ましてや、この閻浮提の世にあっては。無上の真理を求めるべきだ。苦しみながら迷い続けてはいけない。
衣食はほんの少しあれば足りる。蓄えを余らせてはいけない。少欲には涅槃がある。
足ることを知る者は凡夫ではない。将来に地獄はなく、今すでに三悪道から脱している。
外に向かって執着しなければ、喜びは常に現れる。本来、何かを得るものなど何もない。
吉祥は自ずと姿を現す。空生は長老と呼ばれ、燃燈仏は常に照らし続ける。
弥勒菩薩は同級生、釈迦牟尼仏は兄。神通力によって次々と座に着く。
わざわざ名前を尋ねる必要はない。名や形に違いはあるが、法の身は同じ姿である。
大乗の一つの真理は、本来、遮るものなく開かれている。凡夫は形に執着して求めるから、
心に捉われが生じる。心のないことが真の空であり、空寂が本体である。
問うこともなければ説くこともない。常に照らし続け、やめることのないようにせよ。仏の子は道を行じ終えたなら、
さらに来ることも去ることも憂いるなかれ。
心に念がなければ、それは清涼寺。 五つの集まりは空であり、それは真の五台山。 目の前の対象に対しても、心に汚れはない。
目の前の状況に心を動かさなければ、心は灰のように死ぬ。 その中に、妙なる真理が現れる。 優曇華は、虚空の中で開く。
真実の法の眼を求めてはいけない。 姿(相)を離れて、如来と会うのだ。 もし、このように学ぶことができるなら、
動かずして、三つの災いを超え出る。
いつも阿閦仏(あしゅくぶつ)のことを耳にしていたので、 東の方角を求めようと思い立った。 ところが、今日、じっくりと考え直してみると、 何も動かずとも、自然とその境地に至っていたのだ。
お前に告げよう、門番の者よ。 どうして苦しみ、じたばたする必要があるのか。 私は父王に申し上げ、 お前の名を新たに改めてやろう。 “作為”という功績を打ち破り、 “無為”の道をはっきりと示すために。
識(しき)に囚われた凡夫は楽しみを追い求める。 縄(希望や執着)に導かれ、迷いながら行動するものだ。 しかし智慧ある菩薩の楽しみは違う。
縄もなければ、縛るものもない。 もし悟りを志すなら、すぐに「無作」(作為をしないこと)を学ぶべきだ。
「空に落ちるのが怖い」などと言ってはいけない。 空を得ることも、また悪いことではない。 鉱石を見ても、それが金そのものではないと分からず、 掘り進んで初めて自分の誤りに気づく――そんなものだ。
苦しみは心身を縛り、 疲れ果てて官職を求める。 束の間、官服をまとうだけ。
(役人は)机を叩き、怒りの色をあらわにし、 「打て!」と兵士を叫び、 声高に「脇腹を押さえ込め!」と命じる。
「王様がお迎えに来る」と聞けば、 曲がったこともまっすぐになる。 たとえ道理があっても、 言い訳は一切許されないのだ。
家長が酒を飲めば 家中がたちまち酔い 火事で古い家が焼け落ちる
水を運んでも空き地にまくだけ 水と火が頭上で燃え上がり 三つの災いが同時に起こる
空では鳩や鳩が舞い ラバが来て屁を放つのを助ける 原因に良い花がなければ 結果も天の道理
道を学びながら道に迷う者は、 まことにかわいそうなものだ。 賊に惑わされ、無理やり引きずられて、 悪い縁に次々と与ってしまう。
教えはこの世界に満ちているのに、 目を開けて仏の言葉を見よ。 舌を洗って経典を読め。 しかし、経典をいじることは、蛇や鼠を弄ぶようなもの。 心が動けば三界ができあがり、 その時、道を見失ってしまうのだ。
凡夫の姿で身を現しつつ 内なる心は自ずと明らかである 三千大千世界の
すべての生きとし生けるもの 一瞬のうちに業を起こす そのすべてをはっきりと知っている
芥子の粒の中に収め 「無相経」と呼ぶ 常に保つが人は識らず
念じる時には色も声もない
仏道を学ぶことは夢のようなもの 地獄について論じる必要はない 天国すらも超越している
六つの感覚は召使のようなもの 心はどこにもとどまらない どこにも汚れはつかない
五つの迷いの道には人の行く跡もない 心がないことこそが極楽 空の中に優曇華(うどんげ)を見るように
迷える人々が橋となる
仏に早くなりたいと願うならば、 ただ「無生忍」を学びなさい。 これは、心と力の負担が非常に少ない。
そうすれば、たちまち煩悩は尽き、 七宝の宝庫の門が開かれ、 智慧は限りなく湧き出る。
教えを広く説き示しても、 心に咎めるところはなく、 ただ心配なのは、「ある」と執着する人がいて、 愚かさゆえに自ら信じないことだ。
世の中の人は、表面だけは賢く見せかけて、 心の中はまったくの無知でいる。 目の前の利益ばかり追い求めて、 その後の過ちをどうして知ることができようか。 むやみに人を欺いて得をしても、 「あいつは動きが遅かった」と自慢する。 そんな者がやがて閻魔様の前に引きずり出され、 逆さにされて研ぎ鉢で引き回される。 あなたがまだ気づいていないのが心配で、 今日この言葉を伝えておくのだ。
普通人は静けさを好み、修行者は威儀を重んじる。しかし菩薩の心には、そのようなこだわりはない。
凡人の間にあっても、凡人はそれに気づかない。仏は形のない本体であり、なぜ形を追い求める必要があろうか。
ただ自分の心が事を悟れば、他人の疑いは気にしなくていい。まるで人が喉の渇きを癒すために水を飲むように、
その冷たさや温かさは、自分の心だけが知っているのだ。
心が外界のものに囚われなければ 心も乱れることはない 優れた智慧が心の師となり
「ある」という迷いを打ち破る王と呼ばれる 瞬く間に六つの完全な修行を体得し 五つの香りを働かせる
これこそが真の極楽であり これこそが真の西方浄土である お釈迦様も無量寿仏も 共にこの悟りの場に住んでいる
日常の仕事をやめることなく、 心の中では密かに貪りの心を秘めて、 世間でのはかない名声を学ぶ。
しかし、それらすべてに執着せず超越し、 三つの世界が空であると心に思うならば、 五つの濁りから逃れようとは求めない。
法身と報身はどちらも円満となり、 意の根が正しい悟りに至るのだ。 もし、このように修行できるならば、 転輪聖王とさえも、交換しようとは思わないだろう。
五蘊が本当に実在するなら、色や形も実在するはずだ。 五蘊が本当に無いなら、音も形も存在しないはずだ。 ただ仮の名前に過ぎないからこそ、迷いが生じて止まない。 名前や形が本来空だと理解すれば、すべてのことが明らかに見える。 心の主である「心王」に障りがなければ、三界(欲界・色界・無色界)を超え出る。
私は凡夫の身でありながら、真理を語ることを喜び、本性として貪りや吝嗇がない。 常に平等に施しを行い、凡夫は作為の世界に生きるが、仏の智慧は生死を超えている。 仏となるも凡夫となるも、すべてはあなた次第。 耳で無相の真理を聞き、眼は空しく色に執着せず、鼻で無相の香りを嗅ぐ。 舌で無相の食物を味わい、身に無相の衣をまとい、心は無相の悟りに従う。 心が静かであれば諸天を超え、精神が澄めば弥勒菩薩を見る。十方はすべて同じ一乗の教えであり、 心に南北の区別を留めない。
慈悲の心からこの法を説き、 衆生の病を現している。 純陀が最後の供養を捧げ、
妙徳もまた共に行じた。 名や形に違いはあっても、 法身は一つの同じ姿。
化身は千億もの数に及び、 その名は仮に立てられたもの。 法に執着する必要はない。
円通こそが最もすぐれた理である。
本当に仏陀になりたいなら、 すべてのものに心を留めてはいけない。 心が空のように澄み、外界もまた空のように澄んでいる。 本当の智慧はこの空から生まれる。 瞑想と智慧は等しく整えられ、 広く波羅蜜(悟りへの完全な修行)を説き示す。 この教えは十方の世界に広がり、 あらゆる存在も速やかに避けて通れない。 あなたに告げよう、修行を求める人よ。 ただこのようにして、仏陀となるのだ。
お経を読むなら、その意味を解せよ。 意味を解してこそ、修行は始まる。 もし意味に従って学ぶことができれば、 そのまま涅槃の境地に入るのだ。
経を読んでも意味を解さなければ、 たくさん見ても目の見えない者にも劣る。 ただ文章ばかりを広げて場所を占め、 心の中では耕そうとしない。 田んぼはどこもかしこも、ただ草ぼうぼう。 それで、いったいどこに稲が生えるというのか。
ある人が言う、それは「心の王」が暗いからだ。 自分で物事をはっきりと見通せないのだ。 心の内には、一群の賊が潜んでいる。 その賊どもは、むさぼりと愚かさに満ちている。 出来事に触れては、あれこれと喧嘩を始める。 心の王は、その賊に使われてしまう。 劫を重ねても、迷いの世界から逃れられない。 花を見ても、それがどんな木のものかは分からない。 実が熟して初めて、その正体が分かるのだ。
君の家は集落にあり 私は谷に住んでいる 山は空っぽで何もない
集落には百種のものが有る 有れば飯を食べ 無ければ口を開けて空しく立つ
口が空でも腹も空 その空をもって有を喰らう 有が尽きれば物は空に帰す
同じ体に前後はない
すべての仏とすべての生きとし生けるものは もともとは一つの家族。 けれども、本当の親や尊い師を認めず 外側に偽りの主を探している。
優曇華(うどんげ)という尊い花を摘まずに ただひたすら瓢箪(ひょうたん)の花を摘んでいる。 瓢箪の花が散らないうちに 何度も何度も縛りつけられてしまう。
そのような者たちは 無限の劫(こう)のあいだ、輪廻をくり返し続けるのである。
私は田舎の貧しい老人です この世で最も貧しく 家には何一つありません
口を開けば「空」を説き かつての悪い知恵さえも すべて導いて師や僧と共に
一つの場所に集まって座り 常に大乗の教えを聞かせ 食事の時には鉢を持たせて
ただ私一人が差し出すのです