慧永
慧永
晉慧永。河內人。十二出家。既而與遠公。同依安法師。太元初。駐錫廬山。刺史陶範。捨宅為西林以居之。絕志塵囂。標心安養。後義熙十年示疾。忽斂衣求屣欲起。眾驚問。答曰。佛來迎我。言訖而化。異香七日方滅。唐玄宗。追諡覺寂大師。
慧永は河内の人。十二歳で出家し、やがて慧遠と共に安法師に師事した。太元の初め、廬山に錫杖を留め、刺史の陶範が邸宅を西林寺として寄進し、そこに住んだ。俗世の喧騒を断ち切り、一心に安養の浄土を願った。後に義熙十年、病に伏した際、突然衣を整え履物を求め起き上がろうとした。一同が驚いて尋ねると、「仏が迎えに来られた」と答え、言葉を終えると遷化した。異香が七日間絶えず漂った。唐の玄宗は、覚寂大師の諡号を追贈した。
贊曰。永初入道。與遠師伯仲。而創淨社。以為萬世法。亦遠祖而永宗矣。至於命終之際。見佛來迎。先後如出一輒。證往生之瑞。當以二師為準則焉。
賛して曰く、永初は仏道に入り、慧遠大師と肩を並べ、浄土結社を創始し、万世の規範となした。これまた遠祖にして永初の宗とするに足る。命終の際に至っては、仏の来迎を見るという点で、両師の事跡はまるで一つの軌跡から出たかのようである。往生の瑞相を証するには、この二師を以て準則とすべきであろう。