佛說溫室洗浴眾僧經
仏説温室洗浴衆僧経
後漢安息三藏安世高譯
後漢安息三蔵安世高訳
阿難曰:「吾從佛聞如是:
阿難は言いました。「私は仏様からこのように聞きました。
「一時佛在摩竭國因沙崛山中。王舍城內,有大長者奈女之子,名曰耆域,為大醫王,療治眾病——少小好學,才藝過通;智達五經、天文地理——其所治者,莫不除愈,死者更生,喪車得還。其德甚多,不可具陳;八國宗仰,見者歡喜。
ある時、仏様はマガダ国の因沙崛山(いんさくっせん)におられました。王舎城(おうしゃじょう)には、長者奈女(なじょ)という方の息子で、耆域(ぎいき)と名乗る優れた医者がおりました。彼はまさに医王であり、あらゆる病を治療しました。幼い頃から学問を好み、才能や技芸は並外れて優れ、五経(ごきょう)や天文地理にも精通していました。彼が治療した者は、治らない者はおらず、死んだ人さえも生き返らせ、葬式の車が帰ってくることもありました。彼の功績は非常に多く、全てを挙げることはできません。八つの国々が彼を敬い慕い、彼に会う者は誰もが喜びました。
「於是耆域夜欻生念:『明至佛所,當問我疑。』晨旦,勅家大小眷屬,嚴至佛所。到精舍門,見佛炳然,光照天地。眾坐四輩,數千萬人,佛為說法,一心靜聽。耆域、眷屬下車直進,為佛作禮,各坐一面。
そこで、耆域(ぎいき)は夜中ふとこう思った。 「明日、仏のもとへ行って、私の疑問を尋ねよう。」 朝早く、家中の者たちに命じて、仏のもとへ向かう準備を整えさせた。 精舎の門に着くと、仏は燦然と輝き、その光は天地を照らしていた。 周りには四つの身分の衆が、数千万の人々が座っており、仏は一心に説法に耳を傾けさせていた。 耆域とその家族は車を降りてまっすぐ進み、仏に礼拝し、それぞれ席に着いた。
「佛慰勞曰:『善來,醫王!欲有所問,莫得疑難!』
仏はねぎらいの言葉をかけて言われた。「ようこそ、医王よ。何か聞きたいことがあれば、遠慮なく尋ねなさい。」
「耆域長跪白佛言:『雖得生世,為人疎野,隨俗眾流,未曾為福。今欲請佛及諸眾僧、菩薩大士,入溫室澡浴。願令眾生長夜清淨,穢垢消除,不遭眾患。唯佛聖旨,不忽所願!』
耆域(きいき)はひざまずいて仏に申し上げました。 「たとえこの世に生まれても、私は粗野な人間であり、世の中の流れに沿って生きてきました。これまで善い行いを積むことはありませんでした。今、どうか仏さま、そして僧侶の皆さま、菩薩方をお招きして、温かい湯殿でお清めをさせていただきたいと願っております。どうか全ての生きとし生けるものが、長い夜の闇のように清らかになり、汚れが取り除かれ、さまざまな苦しみに遭うことがありませんように。何とぞ仏さまのお心に適い、この願いをおろそかにされませんように。」
「佛告醫王:『善哉,妙意!治眾人病,皆蒙除愈,遠近慶賴,莫不歡喜。今復請佛及諸眾僧,入溫室洗浴,願及十方眾藥療病,洗浴除垢,其福無量。一心諦聽,吾當為汝先說澡浴眾僧反報之福!』
仏が医王に告げられた。「善きかな、妙意よ。あなたは人々の病を治し、みなを癒し、遠近の人々が喜び頼りにし、みな歓喜している。今また、仏と僧侶たちを温室に招き、沐浴させようと願い、あらゆる方角の衆生のために薬で病を癒し、沐浴で垢を落とそうとしている。その功徳は計り知れない。心を一つにしてよく聞きなさい。あなたに、まず僧侶たちを沐浴させることの報いの功徳について説こう。」
「佛告耆域:『澡浴之法,當用七物,除去七病,得七福報。何謂七物?一者、然火;二者、淨水;三者、澡豆;四者、蘇膏;五者、淳灰;六者、楊枝;七者、內衣。此是澡浴之法。何謂除去七病?一者、四大安隱;二者、除風病;三者、除濕痺;四者、除寒氷;五者、除熱氣;六者、除垢穢;七者、身體輕便,眼目精明。是為除去眾僧七病。如是供養,便得七福。何謂七福?一者、四大無病,所生常安,勇武丁健,眾所敬仰;二者、所生清淨,面目端正,塵水不著,為人所敬;三者、身體常香,衣服潔淨,見者歡喜,莫不恭敬;四者、肌體濡澤,威光德大,莫不敬歎,獨步無雙;五者、多饒人從,拂拭塵垢,自然受福,常識宿命;六者、口齒香好,方白齊平,所說教令,莫不肅用;七者、所生之處,自然衣裳、光飾、珍寶,見者悚息。』
仏は耆域に告げられた。「沐浴の作法には、七つの品を用いて七つの病を取り除き、七つの福徳を得るのである。では、七つの品とは何か。第一に火を起こすこと、第二に清らかな水、第三に洗粉、第四に酥の膏、第五に純粋な灰、第六に楊枝、第七に下着である。これが沐浴の作法である。
では、七つの病を取り除くとは何か。第一に四大が安らかになること、第二に風の病を取り除くこと、第三に湿気による痺れを取り除くこと、第四に寒さによる冷えを取り除くこと、第五に熱気を取り除くこと、第六に垢や汚れを取り除くこと、第七に身体が軽くなり、目がはっきりと見えるようになることである。これらが僧侶の七つの病を取り除くことである。
このように供養すれば、七つの福徳を得る。では、七つの福徳とは何か。第一に、四大に病がなく、生まれるところ常に安らかで、勇ましく健やかであり、多くの人々から敬われること。第二に、生まれるところ清らかで、顔や目が整い、塵や水がつかず、人々から敬われること。第三に、身体に常に香りがあり、衣服が清らかで、見る者に喜ばれ、敬われない者はないこと。第四に、肌がしなやかで潤い、威光と徳が大きく、敬嘆されない者はなく、世に並ぶ者がないこと。第五に、多くの人が従い、塵や垢を拭い清め、自然に福を受け、常に過去世の境遇を知ること。第六に、口と歯が香りよく、整って白く並び、説く教えや戒めに、人々が敬って従わないことはないこと。第七に、生まれるところ、自然に衣服や光り飾る宝が備わり、見る者は息を呑んで畏れ敬うこと。」
「佛告耆域:『作此洗浴眾僧、開士,七福如是:從此因緣,或為人臣;或為帝王;或為日、月四天神王;或為帝釋、轉輪聖王;或生梵天,受福難量;或為菩薩,發意持地,功成志就,遂致作佛。斯之因緣,供養眾僧,無量福田,旱澇不傷。』
ブッダは耆域に告げられました。「このように僧侶や菩薩たちに沐浴の施しを行うことで、七つの福徳が得られます。その縁によって、ある者は臣下となり、ある者は帝王となり、ある者は太陽・月・四天王の神々の王となり、ある者は帝釈天や転輪聖王となり、ある者は梵天に生まれて計り知れない福徳を受け、ある者は菩薩となって誓いを立て、地を支える心を持ち、功徳を成就してついに仏となります。このように僧侶に供養することは限りない福の田であり、干ばつや洪水にも傷つけられることはありません。」
「於是世尊重為耆域而作頌曰:
そこで、世尊は耆域(ぎいき)に向けて、改めて次の詩を説かれました。
「『觀諸三界中, 天人受景福,
道德無限量, 諦聽次說之。
夫人生處世, 端正人所敬,
體性常清淨, 斯由洗眾僧。
若為大臣子, 財富常吉安,
勇健中賢良, 出入無罣礙,
所說人奉用, 身體常香潔,
端正色從容, 斯由洗眾僧。
若生天王家, 生即常潔淨,
洗浴以香湯, 苾芬以熏身,
形體與眾異, 見者莫不欣,
斯造溫室浴, 洗僧之福報。
第一四天王, 典領四方域,
光明身端正, 威德護四鎮,
日月及星宿, 光照除陰冥,
斯由洗眾僧, 福報如影響。
第二忉利天, 帝釋名曰因,
六重之寶城, 七寶為宮殿,
勇猛天中尊, 端正壽延長,
斯由洗眾僧, 其報無等倫。
世間轉輪王, 七寶導在前,
周行四海外, 兵馬八萬四,
明寶照晝夜, 玉女隨時供,
端正身香潔, 斯由洗眾僧。
第六化應天, 欲界中獨尊,
天相光影足, 威靈震六天,
自然食甘露, 妓女常在邊,
眾德難稱譽, 斯由洗眾僧。
梵魔三鉢天, 淨居修自然,
行淨無垢穢, 又無女人形,
梵行修潔己, 志淳在泥洹,
得生彼天中, 斯由洗眾僧。
佛為三界尊, 修道甚苦勤,
積行無數劫, 今乃得道真,
金體玉為瓔, 塵垢不著身,
圓光相具足, 斯由洗眾僧。
諸佛從行得, 種種不勞勤,
所施三界人, 無所不周遍,
眾僧之聖尊, 四道良福田,
道德從中出, 是行最妙真。』
「三つの世界をよく見渡せば、 天や人々は大きな幸せを受ける。 善い行いには限りがなく、 よく聞いてその順に語ろう。
人がこの世に生まれて、 正しく端麗で人に敬われ、 その性質は常に清らかであるのは、 それは僧侶たちを沐浴させたからだ。
もし大臣の子として生まれれば、 富み栄え常に安らかで、 勇ましく賢く善良であり、 出入りに障りがなく、 語ることは人々に受け入れられ、 身体は常に香り清らかで、 端正な姿に落ち着きがある。 これは僧侶たちを沐浴させたからだ。
もし天王の家に生まれれば、 生まれながらに清らかで、 香湯で体を洗い、 芳香で身を包む。 姿形は一般と異なり、 見る者みな喜ばない者はない。 これは温浴室を作り、 僧侶を沐浴させた福の報いである。
まず第一の四天王は、 四方の地域を治め、 光明に満ち姿は端正、 威徳で四方を守護する。 太陽や月、星々は、 光を放ち闇を除く。 これは僧侶たちを沐浴させた、 福の報いが影や響きのように現れるからだ。
次に第二の忉利天、 帝釋(インドラ)という名の主がいる。 六重の宝の城、 七宝を飾った宮殿。 勇猛で天の中の主、 端正で寿命が長い。 これは僧侶たちを沐浴させた、 その報いは比べるものがない。
世間の転輪王は、 七宝が先導し、 四海の外を巡り、 八万四千の兵馬を従える。 宝の明かりは昼夜を照らし、 天女たちは時に応じて供する。 端正な身は香り清らか。 これは僧侶たちを沐浴させたからだ。
第六の化応天は、 欲望の世界で最も尊い。 天の相(姿)は光り輝き、 威霊は六つの天に響き渡る。 自然に甘露を食べ、 音楽や舞姫が常にそばにいる。 その多くの徳は称え尽くせない。 これは僧侶たちを沐浴させたからだ。
梵魔の三鉢天は、 清らかな世界で自然を修める。 行いは清らかで汚れがなく、 女の姿もない。 清らかな行いを自ら修め、 心はひたすら涅槃を求める。 そこに生まれることができるのは、 僧侶たちを沐浴させたからだ。
仏は三つの世界の主であり、 道を修めること極めて苦しく勤め、 行いを積むこと無数の劫を経て、 今ついに真の道を得た。 金の体に玉の璎珞、 塵や汚れは身に付かない。 円満な光の相を具えている。 これは僧侶たちを沐浴させたからだ。
諸仏は行いによって得たもので、 様々に苦労を要しない。 三つの世界の人々に施し、 どこにも届かぬ所はない。 僧侶たちの聖なる尊き者、 四つの道(悟りへの道)の良き福田。 善い行い(道)はここから生まれる。 この行いが最も妙で真実である。」
「佛說偈已,重告耆域:『觀彼三界,人天品類,高下長短,福德多少,皆由先世用心不等,是以所受各異,不同如此;受諸福報,皆由洗浴聖眾得之耳!』」
仏がこの偈を説き終えて、重ねて耆域に告げられた。 「見よ、この三界の、人間や天人の種類を見よ。高い者、低い者、長い者、短い者、福徳の多い者、少ない者。これらはすべて、前世における心の使い方が同じでなかったからである。 ゆえにその受けるところがそれぞれ異なり、このような違いがあるのだ。 様々な福報を受けるのは、すべて聖なる人々に沐浴の行いを施すことによって得られるのである。」
佛說經已,阿難白佛言:「當何名此經?以何勸誨之?」
お釈迦さまがこのお経を説き終えられると、阿難がお釈迦さまに申し上げました。「このお経には、どのような名前をつければよいでしょうか。また、どのようにして人々に教え伝えればよいのでしょうか。」
佛告阿難:「此經名曰『溫室洗浴眾僧經』。諸佛所說,非我獨造;行者得度,非神授與。求清淨福,自當奉行。」
仏は阿難に告げられた。「この経の名は『温室洗浴衆僧経』という。これは諸仏が説かれたものであり、私が独自に作ったものではない。これを実践する者は救いを得るが、それは神が与えるものではない。清らかな福を求めるならば、自ら進んで実践すべきである。」
佛說是經竟,耆域、眷屬聞經歡喜,皆得須陀洹道,禮佛求退,嚴辦洗具。眾坐大小,各得道迹,皆共稽首,禮佛而去。
仏がこの教えを説き終えると、耆域とその家族は喜び、皆、預流果(初果)を得ました。彼らは仏に礼拝して退き、沐浴のための道具を整えました。また、その場にいた全ての僧侶たちも、それぞれ悟りの境地に達し、皆で仏に頭を下げて礼し、立ち去りました。
佛說溫室洗浴眾僧經
仏説温室洗浴衆僧経